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2022.11.5

書くことについて短く考えた。

何を考えているのかわからない、
掴みどころがない、
こちらは平常心でいたつもりが、何か怒ってる?
と聞かれる、
アンケートを取った訳でもないのに寄せられる子供の頃から続いていた私への印象を一部抜粋した。
そういうところは変えたほうが、もっと周りの人たちとの関わり方が変わって、自分のまわりにやさしい世界を築けるのかな。
Twitterでしばらくは毎日ひとつはつぶやいてみよう、とふんわり決めたときによぎった考え。
それは日常生活の中でも、自分から先に思っていることを出してみよう、にもつながる。
全部じゃなくても。
続けてみたらわかった。全部は無理だ。無理というか、私だとすごいうるさい人になる。全部だと。
そのやりかたは私には合っていない気がして、伝えたいことか言ってみたいことか私が面白く感じたただ書きたいだけのことを書くようになった。
その間、仕事の愚痴も色々あったけど1/100くらいしか書いていない。そのうち忘れるくらいの愚痴は書いて残したくない。それなら毎日のストレスにしかならないルールが変わるようにその場で発言したほうが私は気が楽だった。

書きたくなったことを書くうちに、思うようになる。
今書いていることの意図は何か。

特に言いたいことが思い浮かばなかった子供が、
それでは大切な人たちにすら何も伝わらなくて、
本当に思っているのと違う自分が伝わっていて、
さみしいのにさみしいことも伝えられなくて、
伝える練習をするかのように書いたその日の気持ち。

11月から漠然と何かを変えたいと思っていた。
これを書いていて少しまとまった。
これまでは、小さい頃にずっと言えなかった、
「聞いて聞いて!」を続けてみたのだと思う。
自分のことも感じたことも好きな気持ちも。
素直に言えるようなときが増えて、聞いて聞いてという衝動がおさまったのが、小さな変化そのものだった。

聞いている人がいなくても、言うだけで気が済んだ。
Twitterは、そんなところがあった。
常に全世界に発信している可能性を薄皮の様に纏いつつ。

こんなにつぶやいてもまだ書いていないことはある。
私の土台になった習い事も10年向き合った自分の心を知るための勉強も。
何度か書こうと思っても、気軽につぶやけないくらい、教わることを辞めたそれ自体を語るのは何か違う。
まわりからの期待も感じたし時間も費やした。
その両方を自分から切り離したときに、
自分でも音楽を奏でてみたいと思う気持ちに出逢ったのだ。

以上、2022.11.5の「聞いて聞いて!」。

読んでくださってありがとうございます。日常の中や旅の楽しみとして写真を撮り、日々の思いを書き、ギターを弾き歌います。いただいたサポートでは記事に書いたポストカードなど作りますね。今日も素敵な1日を。