ひな祭り…3は母の忘れられない日
母は桃の節句の3月3日に他界しました。
娘が生まれてすぐに、ひな人形を買わなくちゃと言っていましたね。娘が1歳になり、ほどなくして母の病気が見つかりました。
余命1年、手術をすれば5年生存率50%。
コロナの影響か、手術に迷っているうちに、返答なしで手術日程が大幅に延期されました。これが運命の分かれ道になるとは、後になって分かりました。
近くの病院へ転院してからは、穏やかながら苦しい毎日だったと思います。いつ悪化するかを怯えつつも、薬の副作用に耐えていました。
ひな人形は病気の宣告前の数日前に、とても高価なものを選んでくれました。数日後には、本人への宣告があり、人生のどん底に落とされ、寝られない日々が続いていたのだと思います。ひな祭りどころではなかったね。
思えば、私が幼いころ母に聞いたことを覚えています。幼稚園か小学校の低学年だったか、
「うちにはひな人形がないの?」
母は
「妹に女の子が生まれて、ひな人形をあげてしまったからないの」
ひな祭りの度に、毎年聞いていたのかと思います。その度に母は辛かったかと思います。、母親(私の祖母)から買ってもらったひな壇は気前よく、妹にあげてしまったようです。
その頃は決して裕福でなかったし、祖母は兄の生まれる数日前に他界して、両実家に援助をもらいにいくような性格ではありませんから、毎年心に突き刺さっていたのだと思います。
だから、私に娘が生まれたらすぐに、ひな人形と言ったのだと思いました。
去年はひな人形を飾る前に、病気の宣告をされて、じっくりひな人形を見れなかったと思います。
今年は一緒にと思ってはみても、家からは一歩も出られないから、こちらで飾った写真しか見れなかったね。。一緒にひな祭りしたかったね。
3月1日に会った時に、娘のひな祭りの作品(ほぼ私が作った)をみて微笑んでくれました。私は2日にプレひな祭りを娘と記念撮影して、母の携帯に送りましたが、既読になりませんでした。
ひな祭りの朝に息を引き取った母、結局一緒にひな祭りができなかった、、、私の幼少期からずっとずっとしたかったのが、孫の時に実現できると思っていたのにね。
母のほんの小さな願いが叶えられず、本当に淋しい、母への哀悼を込めて、noteしています。
本当にありがとう。母からもらった愛情を娘に注いていけたら、私の中にいる母が喜んでくれるかな。
母のような苦しみを味わっている方が多くいらっしゃいます。ここ数日でも店頭やメールで相談がありました。母が運命の別れ道で選択できなかった道を見つけていく助けをしていくことが、母への供養となると思っています。
漢方相談も一期一会。いつもそう思い、一瞬一瞬を大切に、周りの方、ご相談者の方に接していけたらと思います。
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