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がんは身近な病気

母をがんで亡くして、癌が身近になってしまいました。
近い人をがんで亡くしたという方、多いと思います。

母の闘病の間、薬剤師として、がんについても知識を深め、どのように中医学で対応すべきかを考えさせられた日々でした。

母の経過をみて、がんの怖さが身に染みました。

私のなかで、母のことが落ち着いて、がんについて伝えておくべきことを、一度まとめてみたいと思いnoteしました。

がんはCanser(大きなカニ、かに座)と英語で書きます。
がん細胞がカニの足のように細胞に食い込んで、増殖していくので、カニのようなゴツゴツした腫瘍であるのも関係するともいわれます。

漢字の癌は岩のようにゴツゴツした表面であることから派生したようです。

がん細胞は不老不死の細胞


人体が死ぬことでがん細胞も死にます。
アポトーシスという、自然死があることで、
通常の細胞増殖は限りがあります。

しかし、がん細胞は制御されず増殖し続けます。

がんは遺伝するといわれますが、、


遺伝以外に生活環境によることが多いといわれます。

細胞の核のDNAの変化により、がん化します。
細胞への刺激が長く続くことにより、遺伝子の変化がおきてくるため、
DNAが変化するとされます。

1個のがん細胞から1gになると直径1㎝くらいで、1億個の細胞になると、MRIやCT などで確認されます。
1㎏くらいになると、1兆個のがん細胞になってしまいます。
1㎝くらいになるまで10~20年かかるとされ、
1㎝からは急激に変化、10㎝まで1~5年で大きくなります。

がん細胞は浸潤して、血流に乗って、体に散りばめらることが転移です。

症状が出るころには相当な大きさになっていることがあり、浸潤や転移が起きてやっと発見されると、ステージ3くらいになっています。

母がそうでした。
余命1年と言われましたが、リンパ節転移があり、病巣がかなり浸潤していました。

がんは症状がないと言われますが、


正常細胞に浸潤するため、圧迫や閉塞、出血、疼痛があることで発見されることがあります。

また、増殖や転移により、がん細胞も栄養が必要になります。
栄養を体から吸い取っていくため、悪液質という状況になり、体重減少が出てきます。

母の衰弱を見て、がんの恐ろしさを知る

やはり進行していくとどんどん衰弱して、食事を摂る気力も下がって、
「食べてね」「食べられんわ」
という会話が毎日続きました。

そうすると、色々な臓器が衰弱し始めます。

母の場合、浸潤したがんは小腸に。腸閉塞を起こし、全く食べられなくなり、そのうち腹膜炎になっていました。

痛みに強い母は耐え抜いていたようで、ドクターになかなか気が付いてもらえず、気がついた時には相当な出血があったようで、とりあえず小腸の閉塞部分をバイパスオペしました。

その後、奇跡的に食事が摂れるようになり、一安心した矢先、次は嘔吐とは発熱が、、
胆石の発作が起きました。
これは抗生剤の点滴を膀胱炎対策にしていたため、副作用が出たのだと思います。

食事が摂れなくなる前には胆石がないことは確認しています。小腸に浸潤して食事がとれないようになってから、胆石が発生することはないと思われます。

小腸が機能しなくなると、胆のう、大腸も続いて機能低下になるのは分かりますが、胆石は食事以外に抗生剤の副作用で砂状の胆石ができることを、後で知りました。

胆石を排泄するドレーンを入れて、数日が経過すると、次は尿が出なくなりました。
原発の膀胱がんを手術できず、尿は腎臓から直接排せつさせる腎ろうをしていて、その腎ろうから一滴も尿がでなくなったのです。

ドクターは血栓が腎の尿細管の毛細血管に出来たのだと。
まずドクターはDIC(播種性血管内凝固症候群)を疑いました。

がん細胞から生理活性物質が出てきて、発熱や血栓やDICなどが発生しやすいからでしょう。

しかし、原因はビタミンKの不足でした。

それを聞いて、胆石のドレーンの装着によるビタミン吸収低下であろうと推測できました。

胆のうからのドレーン処置中の輸液管理にビタミンKを付加すべきものをしていなかったのでしょう。

尿閉になり、また嘔吐を繰り返していました。
7日間も尿がでなければ尿毒症ですから、透析をするしかないのです。
ただ、血栓ができた原因が分からず右往左往していたので、透析するにも時間が掛かりました。

そしてついに透析が急に決まり、透析を始めすぐに、母は脳梗塞を起こし、意識がなくなり、透析中止となりました。
大声で興奮して話すようになり、人格が変わってしまったかと、娘としては相当にショックを受けました。

腎ろうをすれば透析もしなくて良いのですが、DICならそれもできないと説明されました。
では透析しなければ、尿毒症になり、その後は、、、

そんな中、DICでなく単なるビタミンK不足による血栓形成と判明して、
ビタミンKを点滴し、再度腎ろうをたてることができ、尿閉は回避できました。

ただ脳梗塞は血栓融解の薬も使えないとして、自然経過を見ていました。

私は必死に田七人参を父に何かに混ぜて飲ませてあげるようにお願いし、数日後にはいつもの母に戻り安心しました。

経過の見通しが出来ているドクターに巡り合いたい

ここまでの経過を淡々と描けるようになるには、3年はかかりますね。。

主治医は、やはり経験値がある方にお願いしたいのは、患者なら同じ思いです。

ドクターに対する家族の不信感はマックスになりました。

まず、第1に原発の膀胱がんが小腸に浸潤していることを見逃しておきながら、
腹膜炎をがんによる腹膜播種の段階で、手術はできないと言ったこと。
このまま苦しむのを見過ごしても手立てはないと放置を選んだ姿勢。
すべてにおいて、ドクターに対しての抗議を病院に相談し、説明を求めました。

結果的に、どうしても腹膜炎を回避するためのバイパスオペだけはしてほしいとお願いして、急遽オペをしてもらいました。

そのお陰で奇跡的に食事がとれるくらいになったのです。
オペから5か月延命できたことは感謝しています。

それから、第2の不信感は、抗生剤の副作用の胆石を以前からあったという内科のドクターの話は納得できませんでした。
実際にCTには食べられていた時は胆石は存在しませんでした。
その上、胆のうのドレーン中にビタミンKを付加しなかったため、腎ろうに血栓ができ尿閉となり、透析をするまでになったこと。

これらについては、どちらのドクターも経験が浅く、経過の見通しが出来ていなかったのだと思います。

医者を責めることはしない

母は、最期まで医者を責めることはしなかった。
「私は運がない」
としか言わず、これまでの経過を
「なるようにしかならんわ」
といい、先生を責めることはなかったのです。

家族は納得いきませんが、本人が主治医を変えなくていいというため、
その通りにしました。

冷静な判断は沢山の経験がないとできません。

主治医も内科の医師もまだ経験が浅いのでしょう。
私も自分自身の漢方相談について、省みると、医者をせめることはできないと思いました。

熟練になる前は必ず未熟であること。

これを肝に銘じました。

沢山、母の経過を書いてしまいました。
同じような経験を持つ方は、この経験を何かに生かすように切り替えていくしかないと思います。

つぎはがんのマーカーや診断について書きます。






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