見出し画像

他人への優しさのつもりが「逃げ」だった

私は小さい頃から、あまり自分の意見を言わない子だった。
周りの子が、自分が思ったようにことが治ればいいと思っていたから、自分なんかより周りの子の夢実現に向けて頑張った方が楽だから、自分から強く何かを主張した経験がない。
飲みに行く時も本当は焼き鳥食べたいのに、友だちが魚と言ったら魚にする。そんな人生。
でも、それは良かれと思ってやっているつもりだった。

ディスカッションの時間は苦手だった。
AよりもB、BよりもC。
そんなんどうでもいい。もうみんながAがいいっていうならいいじゃん?って思ってしまう。
自分が1人で意見を主張してもみんながそっちがいいと思うなら、もうそれでいい。
人ととことん議論した記憶が私にはない。
でも、自分はこう思うのにな…って思うことは多々あり、それを誰も知らないXのアカウトにひたすらつぶやいて発散させている。
レポートもどこか他人に責任を押し付けている。
「〜思います」って逃げている。
結局、最後は自分に責任が来ないように、他人に責任をなすりつけている。
失敗はしたくないから、自分に責任が来ない最善の方法を考える。
ここまで書いて思うけれど、めっちゃ私はずるい。自分の意思がない、意見がない、意見を通そうという気力もない。
そんなんでやってこれたから、何も考えない人間になってしまった。
学生時代はなんとなくそれで誤魔化せていたんたけど、社会人になって、それが裏目に出ている。
自分の意見を言わない、なんとなく人に責任を押し付けようとしている…私はそんなつもりはあまりないのだれど、それは他の人が楽しいように過ごせばいいと願ってやっていることだったのだけれど、それは「逃げ」として判断されるようだ。
口を開けば、先輩たちに対して屁理屈ばかり言っている気がする。
自分にバツをつけられたくないから、いい風に見せようとする。
ダサい。すんごくダサい。
そしてずるい。
そんなズルい人間、私が1番嫌いなのにそんな人間に自分がなっている。

こんな自分がとてもとても情けない。
いつになったらマトモな人間になれるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?