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交渉と日本文化・西洋文化

(以下の文章はWomen Negotiatingの一部ではありませんが、著者のMalene Rixさんより追加で文章をいただきましたので日本語訳のサマリーを掲載します。)

日本に行った時に京都を自転車で観光することにした。自転車はコペンハーゲンでも良く乗っているので大丈夫だと思ったが、日本では規制の多いコペンハーゲンに比べて自転車の運転に関するルールが非常に少ないことには、最初は不安を感じた。しかしすぐに、日本では歩行者も自動車や自転車を運転する人もそれぞれのニーズに注意を払いながら、お互いに相手の邪魔になることは上手く避けつつスムーズに進むことができるのだと知った。このイメージは建設的な、ウィンウィンの交渉に似ていると感じて印象に残った。

交渉する時には、それぞれの当事者はそれぞれの目的を持っていることが重要だ。自転車なら、乗る前にどこに行きたいのか決めている必要がある。あなたの交渉相手にも行きたい場所があるけれども、それはあなたと同じではない。京都やコペンハーゲンで自転車で通行できる空間は限られている。多くの人が同じことを望んでも、誰かひとりが独占することはできない。空間をめぐって交渉するとしたら、他の人と競争して自分の権利のある空間を争うか、あるいは語らずともお互い譲り合って他の人のニーズも勘案するかだ。

個人主義の文化における交渉はコペンハーゲンで自転車に乗るときと似ている。はっきりとしたルールがあり、交渉人は自分が何を交渉から得る必要があるのか明確な使命を持っている。交渉のスタイルは要求を提示し、その妥当性を議論し、相手を説得しようとし、直接的な質問をし、その場で決着をつけようとする。交渉当事者同士が直接対決となることもよくある。ルールや交渉人の使命がはっきりしていることや、相違点の直接的な話し合いはプロセスの透明性には役立つ。

しかしながらこのような交渉のスタイルは、特に交渉当事者がお互いに疎遠で意見の相違の大きい難しい交渉に際しては問題がある。このような状況では交渉人はさらに個人主義的になり、全員が自分の考え方を守ろうとして自分の分け前を得ようと戦い、交渉のプロセスは座礁してしまう。相手の立場から考えるといった点は全く考慮されないのだ。効果的で建設的な交渉のテクニックとは、集団主義と個人主義の文化の両方の側面が必要だ。

日本のような集団主義の文化では、人とのネットワークや他の面子を保つことが重視される。京都でのサイクリングのように、人々は他のニーズを敏感に読み取る能力に長けており、ベルを鳴らしたり怒鳴ったりしなくても目的地にたどり着く。これは交渉人としても素晴らしい能力といえる。建設的な交渉術の証ともいえる他への尊敬と優しさがある。

私は20年間交渉トレーナーとして、西洋的な個人主義の交渉人をより日本的にしようと時間を費やしてきたのかもしれないとふと思った。日本的とは、自分の目的地ははっきりしているけれども、同時に交渉相手が何を望んでいるかにも敏感に注意を払い、合意への最も簡単な道筋を見つけようとすることだ。こうして交渉相手も交渉のプロセスに満足を感じれば、相手は交渉プロセスを良いものだったとみなし、合意内容を尊重する。

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