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組織が羨ましい話

というよりなんでも羨ましく見えた話。
もう喉元すぎてその気持ちは落ち着いているので過去形。

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10年間、会社勤めの保育園の管理栄養士をしていた。2年前に退職した。
会社には勤務時間があり、評価制度があり、等級がある。 

わたしはとりわけ優秀な管理栄養士ではない。

が、道筋が立てられていて、なにをすれば評価が上がるかが視認できることは、
保育業界において割合の少ない調理業務、おいてはさらに少ない管理栄養士という資格の中では昇格することは容易だと思った。

容易だと思ったなら実行するまで。
会社が管理する都内の全保育園の調理室の統括と、所属する園の主任を兼任していたので、あのとき管理栄養士としてできる領域は若干超えていたと思う。
それでもあくまで勤務時間内の話。
勤務時間外が評価されない。なんなら皺を寄せられる。だから鬼のように定時で帰った。
帰ったあとは修行として、レストランのスタッフをした。
週末は自宅で料理をひとに教えていた。
暮らしと仕事と遊びが混ざり合う今とは真逆の働き方をしていた。


いつもより文章に体温をどうにものせられない。

淡白な働き方のような印象になってしまったが、充実していたしやりがいがあった。

保育園の子どもたちはかわいかったし、成長を見守ることは毎日に新しく小さな喜びがあった。
豊かな食の時間は人生の幸福度を高めること、豊かさは決して富とイコールではないことを経験として培った。
理想を掲げるだけの指導ではなく寄り添うケアが自分の栄養士としての柱になっている。
子どもたちへの接し方は、友人たちへの接し方にもおそらく滲み出ている。
この仕事が好きだった。


あるとき、あなたはこれ以上昇格はしませんと言われた。会社としてその席がないからだと。
30歳の働き盛りにして昇給昇格ストップは早すぎると思ったが、オブラートに包まず、ストレートに伝えてくれた上司には感謝している。
では辞めますと、わたしもオブラートに包まずにその場で辞意を示した。

10年同じ職種を続けていて、好きな仕事ではあったがどこかで区切りをつけたいと思っていたのもある。


退職を決めた日から退職日までの3ヶ月、辞令が2回出た。なかなかの内容だった。
仕事後の活動も圧迫されてできなくなった。
軽度のうつと適応障害の診断がおりたのもそのときで、記憶が曖昧な期間だ。
適応障害による心身の明確な不調を感じたのは実質数日だった。
心のざわつき、末端の冷えと震え、消化機能の低下、不眠。
すぐにメンタルクリニックに行こうという気持ちになったのと、不眠になった翌朝に予約がとれたことは運が良かった。
適応障害の診断がおり、残っていた勤務日数は出勤停止になり、傷病手当が支給された。

保育業界は保育士の人手不足で東京都では借上社宅制度がすすみ区によるが当時は(今も?)月に8.6-11万円ほど補助が出ていた。
保育士に限らず賃貸に住む正社員はその対象で、条件はあるもののわたしも利用できたが、利用しなかった。
気に入った住まいを職を失うともに退去か再契約をしなくてはいけないのはわたしとってデメリットでしかなかった。
年間100万円近くの補填があったとしても、わたしは自由を選びたかった。
結果、辞めたいときに辞められた。

ここで、わたしの会社勤めの10年間はいったん終わる。



初めて無職になって、近所の産土神の神社で空を見上げたときに圧倒的な自由を感じて涙が出たのを覚えている。

そこからはもうスター状態というか、東京と島の2拠点生活を始め、島では居心地良く暮らし働き、東京では仲間を増やし場所を拓いて現在に至るのである。

自分が組織が向いているのか、個人事業主が向いているかは、断じることはできない。
どちらもそれなりにうまくできる気がするし、だめになる理由も組織であり、ひとりであることだと思う。

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1on1でここのカフェに行くの、ドライブでね。

近所のNPOに勤める友だちが楽しそうに言っていた。
彼女の先輩であり共通の友だち、1on1の相手である彼もわたしに楽しそうに話していた。
純粋に楽しそう、と思った。
彼らの楽しそうに内包されるたくさんの業務や苦労もあることは日々見聞きしているが、それでも信頼関係を築き上げていく姿は、輝いて見える。

それはかつてのわたしにはできなかった働き方だし、かつてのわたしにもしその環境があっても、きっとふいにしていた。
ないものねだりなのだろうが、羨ましいと思うくらいに今のわたしは、きっと変わった。


短絡的だがどこかに属そうかなとも思い、なんとなく情報を集めてみたものの、そもそも自分の運営するスペースを定期的に離れられる算段もなく、想像だけが膨らむ。

そんなときに友だちが勤めるNPOの周年パーティーがあり、1日手伝いをする機会があった。
スタッフも利用者もお客さんも見知った顔が多く、それぞれが設営や自分の持ち場を盛り上げ、全員が一丸となり大盛況。多幸感と心地よい疲労感のある日となった。

その日の夜の小さな打ち上げで、友だちに話した。
「組織に属したいって言ってたでしょ?今日はまさしく組織のなかにいたし、楽しかった。でもわたしはチームじゃなかった。
いくら友だちばかりで仲良くても、1日では成らないんだよ」

外様だと感じたわけではないし寂しいと思ってもいない(それどころじゃなかった)
ただ、やはり築き上げてきた関係性が違うのだ。乗り越えてきたこと、経験値。
当たり前のことだが、そこに一朝一夕に入り込むことはできない。

組織に属したいという思いはなくなった、というか薄れた。今のわたしには難しい。

すこしだけ、自分を気にかけて、同じくらいかもっと、だれかを気にかけて、フォローアップし合えるひとがいたらいいなと思ってしまっただけ。
どうやったら信頼関係を築けるか、とか悩んでみたかった。
まさしく隣の芝は青く見える。

ちょうど仲のいい友だちの環境の変化が続き、今までは自分も二拠点生活や、どちらかというと送り出される側だったのに、拠点をひとつ構えたことで思うように動けないことに焦りを感じていたのかもしれない。
自己変容を感じるのは環境を変えるのがいちばん手っ取り早いと経験として知っている。

でもそれができないならば、できることをやるしかないと、気持ちを改めた。
運営するコーヒースタンドとレンタルスペース、場所を丁寧に拓き続けること。
自分にしかできないことを積み重ねる。
きっと、それが存在に重きを増すし、だれかに手を差し伸べることなるのだろう。

と、体裁を整えたことを言いつつも、ただかっこよくなりたいのだ。
近ごろ未熟さが滲み出ていて、すこしいやだ。

組織が羨ましかった話。
もう羨ましくない話。

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