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あなたの頭のなかのわたし

プレゼントというほど、大袈裟なものでなくとも、なにかをもらうことが多い。

多分わたしも同じくらい、だれかになにかをあげているのだけど、すぐに忘れてしまう。

でも、もらったものは忘れないから、
わたしはもらってばっかりだなあと思えるので、幸せな思考回路な気がする。


自慢したいくらい、誇れるくらい
嬉しいのは、「概念」をもらうことがたびたびあるということ。

あるいは刺繍のブローチ。

「毎日たしかにそこにあって、黄色の鳥に会える。
美味しい実が食べられる。
 仲間と待ち合わせしてもいいし、
ひとりで雨宿りをしてもいい。」
「初めはあなた自身を樹に見立てたけど、
軽やかに飛び回っているから、鳥だなと思ったんです」


あるいは踊り。

これはぜひInstagramの動画で見てほしい。
ゲリラ的に踊りにきたダンサーのご近所さん。


あるいはうた。

わたしが好きなジブリの曲や、
手作りのうた。
穏やかであたたかい祝い。
「祝うべき日常、愛すべき普通だ」



あるいは絵。

「この場所と、あなたと、愉快な仲間たちです。
みんなここへ回遊してくるから。」
とてもかわいく書いてもらった。
白くてもこもこでふわふわなものを見ると
思い出すらしい。



花束だって、示し合わせたようにそのほとんどが同じ色をしている。

黄色い花たち。
イメージカラーが黄色なのだ。



わたしの手に届くまでに、何度そのひとの頭のなかにわたしがいただろうか。
うたや絵として具現化された概念は、そのひとの目にうつるわたしだ。
どれくらいの時間をかけてくれただろうか。

その過程さえも愛おしく思えて、何度も想像する。その瞬間さえもわたしだけの、かけがえのない贈り物だ。



追記

花やうたや絵や踊り
ひょっとして、捧げられている…?
ムラのお祀りみたいだね

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