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家屋の記憶

築70年の古民家を、文字通り手入れし、たくさんの力を借りて改装したレンタルスペース兼コーヒースタンド。


営業時間外は自分の作業場にしたり、ご近所さんとの食事の場に使ったり、ときにはゆっくりと対話をしたり、くつろぐ場所になっている。


近ごろはわたしが仕込みや作業をする傍ら、畳で友だちが昼寝をしていることがしばしばある。

とくに起こす理由もないので寝かせておくと、むっくりと起きて、夢を見たと、ということが2回ほど続いた。


ひとつは、
グラスを割っちゃって慌ててたら、カワダさんが大丈夫よーと声を声をかけてくれてました、と。

もうひとつは、
ここでテーブルを長く並べて、大勢でごはんを食べていました、と。


本人の記憶でもあるだろうが、
なんとなくそれはこの場所がもつ記憶だなあ、と思った。
かつて熱湯を注いでグラスを割ったのはわたしで、そのときに彼女はいなかった。



家屋にも想いは宿るし意思があると、信じている。
わたしが外部の仕事や外出をしているなか、レンタルスペースの利用があり大勢がここを出入りした日。
ひとの気配を残しつつも、いつも通り静かで懐かしい匂いがする廊下に帰ってくると、ありがとう、お疲れさま、とつい呟いてしまう。

ここに靴がひとつもない景色を
見るのはわたしだけかもしれない


米糠で廊下を磨いていたおばあちゃん。
1階は暗くて怖くて、お風呂に入りにいくのも奥の茶の間を見ないようにしていたという大家さんの娘さん。
奥の茶の間を書斎に使っていた小学校の先生。
大きめの神棚を拵えた神職の方。

伝聞は大家さんやご近所さんからいくつか聞いている。
わたしがここに来る前の70年も、この家はたくさんの景色を見守り続けたのだろう。
もしかしたら、わたしで最後かもしれない。

たくさんの靴で溢れる玄関、長く並べた大食卓に所狭しと並んだ料理とその上を行き交う手と手、心落ち着けて静かに過ごす茶の間、隣り合うだれかをコーヒーを飲みながら待つコーヒースタンド。
この1年で見たこの場所の大好きな景色はいくつもある。

終わりがいつかはわからないけれど、そのときまで景色を作り続けて、見守られたいと思った。


茶の間で過ごす時間が増えた夏。
守りの夏。対話をする時間を日々重ねている。
対話の相手はひととは限らない。

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