大丈夫よぉ。
あなたは、大丈夫よぉ、大丈夫だからねぇ。
思えば、リリコさんの、いつも優しく、温かく、慈愛に満ちた「大丈夫よぉ。」に、私は何度もピンチの時、助けていただいてきた。
沖縄に住むリリコさん。
20年くらい前、まだ前の会社を立ち上げたばかりの頃、悩み多き私は、誘っていただいた旅先の沖縄で、リリコさんと出会った。
20歳くらい年上のリリコさんの普段モードはいつもお茶目。
家から30mしか離れていないスーパーにも、必ず車で移動。
「歩いていきましょうよ」と言っても、「いや、沖縄では、誰もこんな暑い中、歩かんよ」と真顔で拒否されて車に乗せられる。
でも、ちょっとふっくらとした体型については、少し気にされてて、「あー、私も運動して、ちょっと痩せなきゃ。」と苦笑いしながらいう。
東京に冬に遊びにきてくださった時、たまたま雪景色になって「きゃー、あやこうじさん、雪よ、雪♪」と子供のようにルンルンと雪景色を楽しんでたリリコさん。
一方、夜の部のフットワークは軽く、カラオケや賑やかなお酒の席が大好きで、沖縄滞在中、夕食を食べ終わると「遊びに行こうねぇ♪」と車に乗って、お知り合いのママが待っているカラオケスナックへ直行。
そこでこれまた常連となっている、リリコさんのボーイフレンド達を適当にあしらい、キャッキャと笑い、「あら今日もいい声で歌うわねぇ」とまた男性陣を骨抜きにしながら、私が真面目な相談をすると、途端に真剣な顔つきに戻り.... と、みんなの人気者、アイドルでした。
そして、不安そうな顔をしていた私に向かって、いつも大きな黒い目を細めながら微笑んで、ちょっとハスキーな声で言ってくれたの。
「あなたは、大丈夫よぉ。」
リリコさんは私の仕事内容のことまではよくわからない。
リリコさんは私の人間関係のこともよく知らない
そして沖縄に住んでいるリリコさんに会えるのは、せいぜい、多くて年に2-3回。
よくよく考えれば、リリコさんからすれば、私のことについて、私の周りにいる友人達よりも知らないことばかりだったと思う。
でもそんなリリコさんが、真っ直ぐに言ってくれた「大丈夫よ」を聞くと、心底、心丈夫になって「よし、また頑張ろ。」と当時住んでいた、東京に戻っていたのでした。
そして、コロナ禍になって、沖縄に行きにくくなって、既往症があるリリコさんには会えなくなっていた。
たまに電話で、近況報告しあって、私が作った糀入りの商品を送ったら「あやこうじさん、これすっごくいいね。上等よー♪」と嬉しいお褒めの言葉をくださってという、電話のやりとりしかできなかった期間が1年と少し。
ワクチン接種率が上がりはじめ、来年の沖縄の旧正月くらいには、リリコさんに会えるかなぁ、なんて思っていた昨夜、リリコさんは突然、コロナで旅立ってしまった。
コロナに感染されて入院されたとはうかがってたし、ちょっと症状が深刻だとも聞いていたけれど、
「リリコさんはミラクルの人だ。大丈夫! 絶対また元気になって夜遊べる!!」
だなんて、私はいつものように根拠なく、楽観的に考えすぎていた。
昨夜、お亡くなりになった連絡を受けて、力が抜けた。
今は、リリコさんの「大丈夫よ」というハスキーボイスとあの茶目っ気たっぷりの笑顔ばかりが思い出されて、ただ、泣きくれている。
そんな数時間を過ごし、今、ハッと気づく。
記録しなきゃ。
PCを立ち上げ、そしてこのnoteを書きはじめたんです。リリコさんの優しい「大丈夫よ」をしっかりと記憶したくて。
当たり前だけど、私の頭の中の声を直接録音することはできない。
でも、このnoteを読めば、リリコさんの「大丈夫よぉ」という大好きな声とスマイルが私の中でいつでも甦りますように、という願いを込めて。
「ありがとうございました」とお伝えすることすら、今は許されないけれど、いつか沖縄に行けるようになったら、心からの感謝の気持ちを熱烈に墓前でお伝えしたいと思う。
リリコさん、今までいっぱい、いっぱい、愛情深く、見守ってくださってどうもありがとうございました。
いつもみんなことを心配しすぎて、2:00くらいまで遊んでても、朝4:00ごろから起き出して、心配したり、お祈りしたりしてくださってて、寝不足だったですよね。
どうか、静かに安らかに、ゆっくりお休みくださいね。
そして。
またお会いましょう!
またお会いしたいです!!!!
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