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記憶のパン

パン教室に行った。
教室で「パン、結構焼かれますか?」と尋ねられて、そういえば、「結構」というほどではないけれど、ことあるごとにパンを焼きたくなって焼いてきたことを思い出した。
それって何がきっかけだったっけ…

考えているうちにもレッスンはどんどん進む。捏ね方、生地の扱い方のコツなど、先生の言うことを夢中でメモし、手を動かす。その間、その件はほうっておいた。

ロールパンが焼き上がり、アチアチ言いながらパンを割り、酵母の香りをほわっと鼻の先に感じながら口に入れた時、思い出した。
はじめてパンをつくった日。その夜のことを思い出したのだ。

小学校何年生だったかは判然としないけれど、家庭科の調理実習ではじめてパンをつくった。焼く前に卵液でツヤっと仕上げをしたから、ロールパンだったと思う。

その実習が楽しくて、焼きたてのパンに感動して、帰宅したわたしは母に「いまからパンがつくりたい!」と言った。
母は夕飯の支度をしているところだったけれど、材料をなんとか準備してくれて、わたしが家庭科の授業の通りにパンをつくるのを手伝ってくれた。そのうち、帰宅した父がそこに参戦した。

子どもが正確に実習の手順を憶えているはずもなく、三人であーだこーだ大騒ぎしながらパンの形をつくり、なんとかオーブンに放り込んだ。
パンが焼き上がった時には、もうすっかり夜になっていた。

完成したパンは、学校でつくったようには膨らんでおらず、見た目が不細工…焼きたてなのに堅い…
つまりは大失敗で、脳の奥深くに、せっかく親に付き合ってもらったのに申し訳ない、いたたまれない気持ちになった記憶がある。

それから成長するにつれ、どんどん両親との距離が大きくなった(精神的にも物理的にも)。わたしには、親がやってくれなかった、理解してくれなかった、話を聞いてくれなかった、という出来事の方がインパクトがあったから、記憶の引き出しを開けるとそんなことばかりが取り出されてしまっていた。

けれども今日、記憶のパンの引き出しが開いた時、出てきたのはいつも思い出すのとは違う、親たちの姿だった。

パンづくりなんて興味ないのに、子どもがやりたいと言うから付き合っていた母と、母が不器用なのを見かねて参加した器用な父。三人でわいわい、妙な時間にパンをつくって、できあがってみればぜんぜんおいしくもなくて。

子どもだったわたしは申し訳なくて残念な思いでいたけれど、大人になってみたらわかる。
親たちは楽しかったんだろう。子どもに付き合わされることをおもしろがってくれていたんだな、ということが。

今日のパンは、あの日のパンと比べ物にならないくらいフワフワで、天然酵母のいい香りがした。

おいしいパンを頬張りながら、おいしくなかったあの日のパンを思い出し、わたしは最高に幸せな気持ちに包まれていた。

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