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Webライター奮闘記 #01-I | 無理だと最初から決めつけないで。

こんにちは。
4月始めから副業Webライターを志望しているayacoです。

noteで出会った、同じくWebライターを目指す方の記事を読んでいて、
「私も記録しよう」と思い、このシリーズを連載することにしました。

現在のWebライターの進捗としては、案件応募を実施し、
CrowdWorksにてテストライティングの話が進んでいる所です。

テストにも報酬が出るんだ、とかなりびっくりしています。
さらに、現在応募している案件のテストライティングは"ランク報酬制"で、
判定されたランクに応じた評価額が頂けるとのこと。

自分の実力が一般的にどの程度なのか、という指標が生まれる為、
合格でも、不合格でも、初心者からしたらものすごくありがたいです。

さて、それでは本題に入ります。

この記事は、私のWEBライターとしての活動をまとめたものになります。
なぜ、私が前職を辞めてしまったのか、
そして、副業WEBライターを選んだ理由とは何か。
#01ではその経緯を伝えられたらと思います。

私は前職、システムエンジニアでした。
システムエンジニアといえば、専門職ですし、
頑張り次第では高収入も狙えるかと思います。
しかし、私は前職のシステムエンジニアを辞めてしまいました。

では、「なぜ、私は前職のシステムエンジニアを辞めてしまったのか」
そこから話していきたいと思います。


SEを辞めた理由


引用元:pixabay

職場環境について

先程もお話しした通り、私の前職はシステムエンジニアです。
都内のSES企業で働いていました。

SES企業とは、以下のような企業を指します。

SES(System Engineering Service)とは、システム開発における委託契約の1種です。ソフトウェアやシステムの開発、保守、運用など特定業務において、エンジニアの技術力を提供する契約をSESと呼びます。

出典:IT業界におけるSESとは?派遣との違いや働くメリットとデメリットも紹介

"派遣"や"請負"のイメージに近い存在ではありますが、
責任の所在であったり、法律的な問題が前述した二つと少し異なります。

常駐先の会社と面談を実施し、面談合格であれば、
常駐にあたり契約をします。
契約後は、常駐先の社員とほぼ同等の扱いを受ける事となります。
その為、基本的には、常駐先のルールに従って働きます。

6年ほど、約10社以上の会社に常駐しました。
新人の頃は、武蔵小杉や品川、大崎などに直接出向し、
現地の社員さんに囲まれて仕事をしていました。
3年前からコロナ禍になってしまい、リモートワークが主流となった為、
一度も対面できなかった常駐先のプロジェクトメンバーも沢山います。

それでも、出会った方々は皆温かくて、
どこの常駐先でも辞める際には必ずと言っていいほど、
「ayacoさんがいてくれて良かった」とか、
「ayacoさんがいなくなると困る」とか、
「またいつでも戻ってきてください」等の
心優しいお声がけを頂きました。

決して人間関係は悪く無かったですが、
それでもなぜSEを続けることを諦めたのか。
理由は3つありました。

理由1:あまりにも重すぎた責任

1つ目の理由は、個人として抱える責任が重すぎたことです。
私が最後に携わった案件のお仕事は、
全体の総額が約3000万円もするプロジェクトの、
設計と、人員及び課題管理でした。

最初は数百万程度のプロジェクトの想定でしたが、
どんどん顧客からの要望が膨らんでしまい、最終的には3000万円越え…。
おまけに、設計を1から任されたのはその時が初めて。
人員管理も、簡単なチームリーダー等は経験がありましたが、
ガッツリ何人ものメンバーのWBSを引いたり、
課題管理したりといった事は初めて。

いち契約社員である私が、
そんな膨大なお金と時間と人員とをかけて作るプロジェクトの、
主要な柱を築くこと。
あまりにも重い荷物に、さすがに狼狽しました。

更に加えて、残業代などは貰っていましたが、
お給料も決して高くはありませんでした。
世の中のSEをイメージすると高収入のイメージを持たれますが、
私達は年齢の平均額にも満たない額を、会社から貰っていました。

エンジニアは下請けになればなるほど、
低収入、長時間労働になりがちな職業です。

SESの性質上、必ず1社は契約を挟むことになるので、
昇給があったとしても、値段が大幅に上がることは基本ありません。

重すぎる責任、低い月給。
常駐先の上の立場の方に現状が厳しいことを相談し、
他の人にお願いしたいと頼んだとしても、
「ayacoさん以外、適任な人がいない」と言うプレッシャーをかけられる。

最初は楽しかったのに、
あまりの重圧に毎日心が張り裂けそうでした。

理由2:自分のしたい仕事ができなかった

2つ目の理由は、自分のしたい仕事ができなかったことです。

私は、プログラマーとして働くことが好きでした。
新しい言語に触れること。
昨日まで知らなかった知識を学び、実践に活かすこと。
自分が書いたプログラムが想定通りに動くこと。
何か壁に当たっても、様々な情報を駆使して解決した時の喜び。

そういったことの積み重ねをして、
"エンジニア"として成長したかったのです。
自分はまだまだ、学ぶべき立場の人間だと思っていました。

しかし、常駐先が新たに変わったとしても、
なぜかいつも最終的には、
”マネジメント業務をお願いしたい”だとか、
"部署の紹介用のプレゼンを作って欲しい"だとか、
あまり自分のしたいこととは関係のない路線に話が向かっていました。

正直、マネジメントはIT業界でなくとも、どんな業界でも出来ます。
そしてIT業界のプロジェクトマネジメントとなると、
高確率で心身ともに過労な毎日が始まります。
お客様と会話をするためには、専門的な知識も必要になります。

私にはまだそんなことはできないし、
やりたいとも思っていない。

そういったことをきっかけに何度も常駐先を離れて、
"次こそは自分が理想とするお仕事が出来るかもしれない"と
淡い期待を抱きながら、また最後は前回と同じような流れを辿る…
その繰り返しでした。

理由3:過労と心労による体調の変化

最後に3つ目の理由として、過労と心労により体調が変化し始めたことです。

一番最初の変化は、約4年前、
たまたま入った、自社の抱えるプロジェクトの、ヘルプをした時でした。

ヘルプに入る直前、実は最初で最後の人間関係のトラブルがあり、
契約していた会社を途中抜けしてしまったタイミングでした。
仕事を途中で投げ出す形になってしまっていたし、
毎日鬱々としていました。
あまりメンタル的に回復はしていませんでしたが、
仕事をしていた方が気が紛れるだろうからと、
営業さんが私に持ってきてくださった仕事でした。

入った瞬間から若干炎上気味でしたが、
『まあこれぐらいの大変さは新卒の時に経験しているから、大丈夫だろう』
と鷹を括って入りました。しかし、それが間違いでした。

6月の途中からお手伝いを始めて、
それから8月の下旬まで、生き地獄が待っていました。

最後の方は、毎日終電帰り。何なら終電さえ逃してしまい、
朝までカラオケで過ごしたこともありました。
土日休みも取れないし、夏季休暇なんてもっての他といったぐらいの
目まぐるしい忙しさでした。

改修したつもりなのに改悪させてしまい、お客様にも怒られる。
プロジェクトマネージャーをしていた上司は
7月の途中から病気になり、入院した後は来なくなり…
そのまま退社しました。

まともにご飯も食べたか食べなかったか、
正直忙しすぎてもう記憶が所々飛んでしまっているのですが、
そんな生活を毎日送っている内に体に異変が起こりました。

まず、夜に眠りたいのに目が異常に冴えてしまい、眠れない。
あまり眠れていないからか、常に頭に霞がかったよう。
笑顔で挨拶したいのに、笑顔が全く作れない。
足を動かしたり手を動かすことがやりづらい。
そして幻覚、幻聴。
家に、いるはずがない男の人の気配を感じた時は、
本当に背筋がぞっとしました。

その時も仕事を辞めようかと悩んだのですが、
営業さんに止められたことと、
プロジェクト自体、途中で他の会社へ引き継ぐこととなった為、
その時は退職を思い止まりました。

そして二回目の体調の変化が、去年の8月でした。
前述した3000万円の案件が走り出し、
そこに、なかなか上手く進行しない他案件の要件定義と、
問題が頻発していたコールセンターサポートシステムの保守業務。
それら全てを並走しようとしていました。

8時間の営業時間は、ほぼずっと会議が入っており、
空いた時間はメンバーやプロジェクトマネージャーのサポート業務。
自分の仕事はまとまった時間は取れず、集中出来ないような状態でした。

ある時から、突然右耳が非常に敏感になり、
主人の声がやたら耳に痛く感じるようになりました。
今でも疲れが溜まったりすると、たまになります。

また、不眠の症状もまた始まってしまい、
毎日、夕方になると熱が出たり、朝起きた時から頭が痛かったり。
隔週で扁桃腺が腫れ、声が出なかったこともありました。

『もうさすがに、これ以上は続けられない』

これら3つの理由から総合して、導かれたのは"退職"の2文字でした。

私が導き出した、結論

引用元:pixabay

身体は一番の資本です。
身体が健康でないと、働きながら生きてはいけない。

8月の時点では結婚が決まっていたので、
近い未来で子供を産むことも視野に入る。
子供を産んでしまったら、私は私だけの命じゃなくなるし、
子の命を守る為に働くことになる。

子供を産み、育児をしながら、今までと同じ仕事がこなせるか。
「子供が出来たから、今までより仕事しなくていいよ」と
仮に会社の人達に言われたとして。
仕事をどうしてもやってしまう私の性格上、
何となく腑に落ちなくて、気持ちがもやっとなってしまうことは
目に見えていました。
仕事は仕事で、ちゃんと自分の納得のいく働きをしたい。

子供を産んでも、全力でできる仕事。
どちらをこなしても、健康で楽しく毎日を過ごせる仕事。

その結果として真っ先に思い浮かんだ職業が、
WEBライターでした。


閲覧ありがとうございます!

#01-Iは、自分の中の葛藤達と向き合う記事となりました。
( この記事を書きながら、私、色々乗り越えてきたな…と
 少し感慨深くなりました。)
この頃の私のように、
今やっている自分の仕事、このまま続けていていいの?と
感じている方などにも刺さるといいなと思いながら書いてみました。

次回は、私はなぜWEBライターを選んだのか。
そして、転職してからについても、お話をしていきたいと思います!

よろしければ、もう少しお付き合いくださいませ!

#01-Ⅱへ続きます。


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