娘が生まれた日のこと

この日のことは何年経っても鮮明に思い出せると思う。
事細かに覚えてる。いまだに。
忘れたくないから詳しく書いておこうと思う。長いけど。


2021年が始まって少ししたころ。
予定日はひなまつりの日だったけどそれよりも早く産みたくて
2月に入ってからは毎日スクワット100回、散歩、床拭き、風呂掃除
できることはなんっでもした

早く娘に会いたくて会いたくて楽しみで
そりゃしんどかったけど

それ以上に早く娘に会いたかった

陣クスって言われてる
オロナミンC、カレー、焼き肉も食べに行った
もちろん大好きなラーメンもしばらく食べに行けないだろうし食べた

2月は夫と交際を始めた月でもあったから
もしかしたら記念日に出てくるかも?!って期待もしつつ。笑

そんな期待と裏腹に記念日の昼。
予兆は無し。昼の時点で陣痛がないということは今日はないか…
と思いつついつもより長めに散歩に出かける。

3時間ほど歩いてから帰宅。そこからスクワット。床拭きといつものルーティンを
こなしてから疲れて昼寝。笑

18時前くらいに起きて寒いから炬燵へ。テレビをつけて
夫は遅いし晩御飯待つか~何するか~って考えながらテレビ見てたら
…なんか出た。

破水?織物?尿漏れ…?
っと思いながら急いでトイレへ行く
そのタイミングで夫と実母に連絡。

いよいよ出産が近づいてきている。

急いで病院に電話!と実母に言われてのんきな私は
いちご食べてから電話をした。

そこからタクシーで病院へ。

みんなの出産体験談を聞くと
「大丈夫!」「乗り越えられるよ!」っという言葉ばかりで
この時は陣痛も全然耐えられる感じだったのもあるけれど
甘く見ていたと思う。笑
笑顔で母親と別れ、コロナ禍での出産ということもありここから退院まで誰にも会えないのに
初めての入院ということもあって妙にテンションが上がった。

結果その日は病室に通され、破水してるからとお風呂にも入れず
少しずつ痛みが増してくるけど耐えられる痛さ。
これからどんな痛みが来るのかも想像したけれど
それ以上にやっと会える楽しみが強すぎて一睡もできず。
晩御飯を食べていなかったのもありおなかがペコペコ
朝食が楽しみで仕方なかった。


午前中に子宮口3cm。破水してるから72時間以内に分娩に持ち込みたいと先生は言う
私は娘に一刻も早く会いたい
先生と私の利害が一致。結果内服の促進剤が決定。

10時過ぎから飲み始める。
1時間に1錠ずつ、計6錠飲まないといけない。

1錠目はどうってことないくらいの痛みがやってき始めた。
2錠目を飲み始めてから痛みが一気に変わった
お昼ごはんはカレー。超おいしかったけど痛みの波が来たら食べられない。
結局半分くらい残した。惜しいことをした。
痛すぎて痛みが来たら笑ってしまうくらい痛い。

お昼ご飯食べた後から一気に痛みのレベルが変わる
もう目を開けられない、痛すぎて震えるのは初めて。
痛すぎて痛すぎてナースコールが手放せない
助産師さんが腰をさすってくれたりおしりを押してくれたりしてないと
痛くて痛くて声が漏れる。
呼吸が大切だということは頭で理解しているつもりだけどそれどころじゃない
もう痛い。痛い。無理。しか出てこない。

助産師さんからの驚きの発言が。

15時ごろに子宮口5センチ。まだ5センチ。
「明日は点滴の促進剤ね!」と信じられない言葉を放たれる。
え?明日?明日までこの痛みを味わう?…無理。
神に祈る。早く産ませてくれ!
こんな時なのにうんちがしたい。おなかよりもお尻が痛い。
お尻の穴を抑えてないと耐えられない。
助産師さんにトイレに行かせてほしいと頼むけど
赤ちゃんだから!と行かせてもらえず。

17時で助産師さんが交代した。
その時までは付きっ切りでいてくれたのに忙しいからか
ナースコールしても放置されるようになった。
もう痛すぎて叫ぶ。気持ち悪くもなってきた。
いきみたい気持ちが出てきた。でもまだいきまない!と怒られる、我慢ができない。
もう一度助産師さんにトイレに行かせてほしいと懇願。
いきまないなら、という約束の元行かせてもらえた
…出ない。いきみたくなくてもいきんでしまう。あきらめてトイレから出る。

内診で9センチ。いきんでもOKが出た。なのになかなか分娩室に通してくれない。なぜ。

いよいよ対面の時。

分娩台にやっと移動することが決まったけどその間も陣痛は絶え間なく来る。
隣の部屋に行くだけなのになかなか動けない。
点滴にすがりつきながら分娩台に乗る。
どうやら先生はまだ外来で診察中。私の出産に間に合うかどうか?!
患者さん対応に追われている感じだった。
でも私はそんなことどーーーーでもよかった。とにかく痛みから解放されたい。
早く産むことに集中。

先生が走ってきた。どうやら診察を切り上げてきてくれたらしい。
いきむ、とにかくいきむ。
声は漏らさず目を閉じない、へそを見ながらいきむ。
コウノトリで得た知識。
必死でいきんでたらもう力抜いて!と言われてドゥルン!の感覚。出た!

20:50、娘がこの世に誕生した。
やっと。やっと会えた。

娘の声、一生懸命泣く声。初めての泣き声。
そのあとすぐ
「あ!うんちした!」の先生の声。私かと思ったら娘が出てきてすぐうんちをしたらしい。
それさえも愛おしい。


身体測定が終わってから連れてきてくれ、カンガルーケアをさせてもらった。
初めて見た娘。予想してたよりもずっと大きく感じた。
胸の上に寝かされてる娘がしんどそうで気になったけど
1時間ほど抱っこさせてもらえた。

陣痛の痛みから解放された瞬間
胎盤を出される。すごくすっきりする。
会陰の縫合に後陣痛。産後なのに、痛みからは解放されない。

産んだ瞬間に痛みは忘れる、とよく聞くけどそれは違う
痛みは半年くらいは覚えていた。
もう二度と出産したくないとさえ思う痛みだったし
鼻からスイカも嘘。
腰から下がダンプカーで引きずり倒される感じ。されたことないけど。

助産師さんが生まれてすぐの動画を撮ってくれててうれしかった。
分娩台の上ですぐに旦那にテレビ電話。
そのあと母親にテレビ電話。

娘との写真も撮ってもらい、2時間分娩台の上で休んでから
自分の部屋に帰る。

机の上に晩御飯が置かれていたけれど
胃酸が何度も上がってきていたせいで喉が痛むし
手に力を入れすぎて震えるから箸が持てない。
半分も食べられず。
会陰が痛い。足が痛い。腹筋も痛いし後陣痛も痛い。
まさしく産後の体は交通事故レベル。
なのに食器を持っていかなければいけないのが疑問。

旦那とテレビ電話で話をし、早めに休んだ。


出産という大仕事。
陣痛に耐えてる間はもう子どもなんて産めない!と思ったけれど
出産が終わると不思議と新生児の愛おしさに魅了され
何回でも産める!と思ってしまうのが不思議。


冒頭でも書いたけどこの日のことは一生忘れない。
認知症になったとしても。忘れられないくらい鮮明に覚えてるし
忘れたくない。
この日の感動をずっと覚えていたいと思う。

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