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本当に”傷つけられたこと”のほうが多かった人生だろうか/カツセマサヒコ著『ブルーマリッジ』

――これまでの人生で、傷つけたことと傷つけられたこと、どちらが多かったと思いますか?

そう訊かれたとき、あなたならどう答えるだろう。おそらくほとんどの人が「傷つけられたことのほうが多い」と感じるのではないだろうか。

果たして、それは事実なのか。自分が信じたい事柄のみで構築された、真実でしかないのではないか。

カツセマサヒコ著『ブルーマリッジ』を読んで、そう突きつけられたような気がした。

物語は、対照的なふたりの男性の視点で展開されていく。
ひとりは、いつものスペインバルで29歳の彼女にプロポーズした青年・雨宮守。中堅商社の人事部で働く、26歳。もうひとりは、長年連れ添った妻に離婚したいと告げられた中年・土方剛。雨宮と同じ会社で営業部の課長として働き、ゴリゴリな精神論で成果をあげてきた人物だ。

いわゆる”イマドキな若者”である雨宮と”家父長制の権化”である土方は、大枠で捉えると対照的に見える。しかし、内側に染み付いた先入観や偏見は、さほど遠くないものを感じさせる。

自分の行いを真っ当だと思いたくて、自分の過ちには鈍感で、自分の優位性に気付いていない。どちらの心のなかにも「自分は正しい」という価値観が巣食っている。無意識な偏見や差別、先入観から、誰かを傷つけているとも知らずに。

そんなふたりは、とある疑惑をきっかけに自身の加害性と向き合わざるを得なくなってく。自分の信じてきた自分が、いかに軽薄で思慮に欠けた存在だったかを痛感していくのだ。そして、読者もまた、いかに自分が”無意識な加害者だったか”を自覚させられることになる。

悪ふざけだった? コミュニケーションだった? 正論だった? 

そんなの被害者からしたら、都合のいい言いわけにすぎない。受け手が傷ついたのなら、たとえ傷つける意図がなかったとしても、それは加害だと。当たり前かつ残酷な現実を、『ブルーマリッジ』はまざまざと描く。

土方がわかりやすく加害的な一方で、雨宮が傍から見れば無害だからこそ、読者は自身の行動を振り返ざるをえなくなるのだ。

自分の言動や行動で誰かを傷つけてきたことは、本当になかったのか? と。

傷つけられた過去も傷つけた過去も消えない。それでも、人生は続く。「加害に加担したくない」と思い、日ごろの行いに気を配っていても、傷つけてしまうことだってある。そんな現世を、私たちはどう生きればいいのか。作者に問われているように思えてならない。


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