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ぶっくくらぶを始めてよかった

次男、シロすけは1歳4ヶ月になった。

今朝、急に歩きはじめた。先月?くらいから2, 3歩くらいなら何にも掴まらずに歩けていたのだけれど、急に十何歩もとこ、とこ、とこ、とこ、と歩きはじめた。

「すごい!シロすけ歩いてる!いっぱい歩いてるね〜!」と私。こやぎさんも「シロちゃんいっぱい歩いてるね!すごいね!」と一緒に喜んでくれる。


長男のこやぎさんは3歳3ヶ月。夫と「だいぶ楽になったよね。1歳半から2歳半くらいまでが本当に大変だった……」とよく話している。本人が「やりたい!できる!」と思っていることと実際にできること(本人の能力的に & 社会的に)のギャップが一番大きいのがその時期なのだと思う。

で、先月あたりから次男にその兆しが感じられる。「自転車のベルトを留めたい!(下ろすと泣く)」「全部自分でつかんで食べたい!」「椅子に上りたい!(上れるけど、一人にするのは危ない、下ろすと泣く)」などなど…

総じて2人目だといくらか冷静に見られる。「やりたい!できる!」って本当に眩しい、大切にしたい感情だ。それがどんどん芽生えてきている。日々、昨日とは違うシロすけになっている。


絵本でもそれを感じる。前から『がたんごとん』や『だるまさん』シリーズは大好きだったけど、最近はこれも、これもと本棚からどんどん引っ張り出して持ってきてくれる。(これも、これもと移り気なところが私似な気がしている)

今朝読んだ『すいかくんがね・・』は「あっかんべ」の絵を真似して人差し指を目の横や鼻の下に当てたりしていた(惜しい!)。「ごろごろごろん」と聞くと、自分も転がるふり。私が身振り手振りしなくても、自分で解釈してここまでできるんだ!と驚いた。その2ページが特にお気に入りだったようで、先に進んでもまた「こっちだよ」とばかりにページを戻された。「これが見たい、これが好き」の気持ちがはっきりしてきた。

『パッポー』が一番のお気に入りで、「どの絵本が読みたい?」と聞くと背表紙だけを見てすぐ『パッポー』を引き出してくる。この前、まぐれで「ぱっぽー!」と完璧に言えていて驚いた。元の意味とはすこし違いそうだけど、『電車のなかで本を読む』にあった「生まれたばかりの言葉」が頭に浮かんだ。

子どもの言葉には、魔法のような力があります。大人のこころを驚かせ、それを洗い流すような瑞々しい力。
どうしてそのような力があるのかというと、彼らの言葉はまさに生まれたばかりだからです。
二度と繰り返されることのない、言葉の誕生の瞬間。
子どもたちは幼いころのあいだだけ、詩人のように言葉を話します。

電車のなかで本を読む』島田潤一郎


そうして次男と絵本を読んでいると、「ゆーちゅーぶ」を見ていた長男も「こやぎさんにはこれ読んで!」と自分の本を持ってくる。うーん、どうしようかな、大変だ。でも、何物にも代えがたい、宝物のような時間だ。



7月にこのnoteを読んで、「ぶっくくらぶ」を始めた。

こやぎさんとシロすけ、それぞれの年齢に合った絵本が毎月1冊ずつ送られてくる。自分一人では選べなかったであろう本と毎月出会えるのがとても楽しい。絵本との出会い。

でもそれ以上に、「子どもと絵本を読む時間は尊い、愛しいものだ」と思えるようになったのがなによりも良かった。毎月、本と一緒に送られてくる小冊子を読んでいると、自然とそうなる。

何度も同じ本を「読んで!」とせがまれること、テーブルや台所が散らかったままなのに絵本をじっくり読むことはしばしば苦痛になり得るのだけれど、「今しかない、何物にも代えがたい時間」と思えばそれも軽くなる。


以前ママ友さんがおすすめしていた『0歳~6歳子どもの社会性の発達と保育の本』を読んだときも同じようなことを思った。「いま、目の前にしかいないいまこの瞬間の子どもとの時間と比べれば、日々の雑事なんてなにほどのものか」と。

もちろん、そんな「キレイ事」どころではない時だって多いのだけれど、とはいえ「キレイ事」も大切に抱きかかえていたいな、と思うのでした。

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