秩序と混沌と新世界秩序

はろーはろーこんにちわ!

ミッドサマー観てねぇのかよ!ってツッコミをハイアーセルフが受信したので、
ウィッカーマンを観てきました。

ウィッカーマン、来訪者キリシタンvsケルト原住民の戦いのミュージカルなんですが、

日本人的には、
「まぁキリスト教もヤベェ宗教だよね」
「まぁ人身御供の儀式、やるよね」
みたいな穏やかな気持ちでみれたんで、

(キリスト教視点で)ヤバイ島に来ちゃった!

みたいな本来の持ち味を余り受け取れなかったのが残念。

四季のはなし

さて、前回はヤドリギの花言葉から、夏至祭や冬至祭の話に波及していきました。

特に人気があったわけじゃないんですが、
ぼくが楽しいので、もうちょっと掘り下げていきます。

ぶっちゃけた話、日本で暮らしてると、
「夏至祭だぁ?冬至祭だぁ?そんなんあったかいのぉ??」
という感じ。

それもそのはずで、日本だと、夏至冬至の扱いがちょっと違うからですね。
冬至祭の対応はパッと思い浮かびませんが、
夏至祭に対応するのは、田植神事の類。

そう、立夏に行われる祭です。

実は、東洋と西洋では、春夏秋冬の概念が異なります。

Spring:春分から夏至  春:立春から立夏
Summer:夏至から秋分 夏:立夏から立秋
Autumn:秋分から冬至  秋:立秋から立冬
Winter:冬至から春分  冬:立冬から立春

何でこんな違いが生まれてるかといえば、
例えば、原因をベースとするか、現象をベースとするかの民族性。

例えば、太陽暦と太陰暦の違い。
(太陰暦だと実際の季節と月がズレるので、二十四節気で季節感を補正することにした)

などなど、色々な要素が考えられます。

まぁ、つまるところ、
どちらかというと体感の温度変化という現象を元に季節を設定している都合、
農耕なんかの時期を調べるのも日照時間とかあんまり重要視していなかった説、ありますよね。

あいまいなもの

さて、バルドルとヤドリギの話まで一気に戻りましょう。

バルドルは「天と地のものに傷つけられない」という無敵能力を持っていたわけですが、
ヤドリギはその例外扱いを受けていました。

神話においては、ヤドリギは幼く弱々しかったからだと語られていますが、
実際においては、地上ではなく樹の上に根付く、天と地の境界で育つヤドリギの性質を元に作られた設定ではないかと思われます。

儀式が先か、神話が先かという議題は面白いですが、
基本的には無から神話が生まれることは難しく、
自然現象や接し方などを元に創作されるものがほとんどです。

ですので、やたらと具体的な描写が出てきたら、その描写の必要性があったのではと疑ってみてもいいと思っています。
(時々、ただ単に設定を盛りたくって数字吹かしてるやつもありますけど・・・)

というわけで、「天と地のものに傷つけられない」という性質は、
「天と地の境界に息づくヤドリギが死因となる」ために生み出されたものじゃないかと考えられます。

そうすると、
ヤドリギは、地上にある太陽の象徴で、生命のバックアップデバイスだという推論に加えて、
「天と地の境界にある」という性質も重要なのではないか?という疑問が生まれました。

境界をゆく者

二つの領域の境界にあるものは、二つの領域の秩序から外れた混沌です。

秩序の中にあっては秩序に縛られますが、
秩序の外にあるものは秩序によって縛られはしない。

天と地の世界ではバルドルはチヤホヤされていますが、
そのどちらにも属さない存在からは、「は?知らんけど?」と冷たくされてしまうという事ですね。

これは、ディズニー映画のストーリーでもよく見かけるんじゃないかと思います。

ある秩序の中にあるヴィランとプリンセスが、
その枠外にいるカオスの存在プリンスと出会い変化が生まれる。
そしてヴィランを打ち倒して、プリンスだかプリンセスだかがその地位を奪う話もド定番でしょう。

混沌が新たな秩序へと変貌するわけですね。

また、混沌である境界の領域に属するということはある意味では無敵だという説話といえば
イタリアの「怖いもの知らずのジョヴァンニ」かなと。

あるお城を訪れた無職の旅人ジョヴァンニ(混沌)が、
突如現れた呪われた怪人(混沌)を恐れることなく夜を明かし、
お城の財宝を財宝を手に入れて(秩序化)、
自分の影(混沌)に驚いて死ぬ。

基本的には、秩序の側にあるものは混沌を恐れます。
理解できない存在だからですね。

通過儀礼

そうした恐怖の対象を迎え入れて克服するための儀式が通過儀礼とかイニシエーションというやつになります。

通過儀礼は3つのステップから構成される儀式として考える事ができます。

1、分離:ある秩序から離れる
2、過渡:混沌の世界に身を置く
3、統合:新たな秩序に参入する

特に、派手な「過渡」のステップに関してはよく注目されてる印象があります。
割礼とかバンジージャンプとか刺青とか。

現代日本だとそんなにピンとこない人も多いかもしれませんが、
節目の時期に行われる人工的な境界のイベントって考えてもらえば、
割と身近なものがたくさんあります。

例えば、成人式。
未成年から離れ、成年の秩序へと参入するための儀式ですよね。

通勤だって、家で過ごすオフタイムから離れ、職場のオンタイムへと参入するための儀式といえるでしょう。

なんで一度混沌の世界へと身を置く必要があるのかといえば、
ざっくり言ってしまえば気持ちを切り替えるためですね。

大人の成人の世界に未成年の子供が迷い込んでしまうと、場違い感パ無いですよね?
でも、子供の世界は卒業だってイベントを一旦挟むことで、大人として成人の世界に参入しやすくなるわけです。

一旦、混沌の世界へ身を置くことで、
古い秩序のルールを忘れてリセットされ、
新しい秩序のルールを受け入れやすくなるわけですね。

バルドルの神話においては、ヤドリギに打ち抜かれて死ぬのが「過渡」のステップになります。
死という混沌を経て、彼はラグナロク後の世界という新しい秩序の中に復活するわけです。

また、バルドルに代表される太陽神は大抵の場合、死を経験したのちに再生するというエピソードがあります。

この手のやつは、1日の太陽の動きだったり、季節の循環だったり、自然現象の観察をもとに、
自然の変化の連続体を、人工的に区切ってデジタルに認識しようとした試みであるとも考えられるでしょう

そう、通過儀礼というのは、切れ目無い連続体に、人工的な切れ目を入れる作業です。

ディズニーの話に戻れば、あれは人々の生活する世界を人工的に切り分けているんだと考えられるでしょう。

プリンセスとヴィランの属していた秩序は、
プリンスの登場によって混沌へと変化し、
プリンセスとプリンスの秩序へと変化します。

もっとミクロな視点で考えてみれば、
プリンセスとヴィランの視点では秩序外の存在であるプリンスは混沌と見做せます。
一方で、プリンスだって自分の属している秩序があるわけで、
彼の視点からはプリンセスもヴィランも混沌に属することになります。

ケイオス!ケイオス!

では、「混沌」とは一体なんなのでしょうか?

今度は迷宮の通過儀礼、クレタ島のミノタウロスで有名なアレを題材に考えてみましょう。

迷宮は迷路と違って一本道でグルグルと回りながら中心に向かって進むのが特徴です。

時には時計回り、時には反時計回りに道なりに進んでいくだけ。

しかしながら、人間はこう言った単調な動作を繰り返していくとトランスして瞑想と同じ状態になれるんですよね。
無になりながら散歩してると、ふとアイディアが降ってきたりした覚えってありません?

あれと似た感じですね。

そして、迷宮の中央で待ち受けるのは、牛頭の怪人ミノタウロスです。
彼は迷宮へと挑んだ英雄テセウス自身のシャドウ、獣性・凶暴性なんかの象徴であるという見方があります。

それを踏まえれば、
迷宮とは「混沌」の象徴であり、
迷宮を歩むことは、自らの無意識と向き合うこと、
怪物ミノタウロスと戦うことは、その無意識に潜む恐れと戦うこと
に対応するものと考えることができます。

英雄テセウスは自らのシャドウに対峙し、そして打ち勝ったことでアテナイの王となります。

すなわち、新たな秩序に参入したわけですね。

そうすると「混沌」とは、自らと向き合うこと、無意識と対峙することに他ならないのでしょうか?

そう、節目節目の時に自己理解を深めることこそが、通過儀礼の目的となるわけです。

神話の通過儀礼のルーツは?

様々な神話において、混沌へと挑む物語は存在します。

女神イシュタルは冥界へと下り7つの門を潜ります。
門を潜るたびに身につけているものを剥ぎ取られ、遂には裸にされてしまったのはなぜでしょうか?

オルフェウスは死んだ妻を蘇らせるべく冥府へと向かいます。
この試みは彼があるタブーを犯したために失敗しますが、そのタブーとはなんだったでしょうか?

神話の前に儀式が存在しているのなら、彼らの失敗は自然の中の必然の中に答えがあるはずです。

自分自身と向き合うこと、自分の中に潜む混沌たる無意識との折り合いをつけるのは、
日常の秩序に身を置いている間は、不安で恐ろしいものと考えがちです。

しかしながら、新たな秩序を手に入れるためには、
今の秩序の先に進もうとするのなら、一度混沌へと足を踏み入れることも必要になるのでは無いでしょうか?

沈む夕日は、暗い夜を経て、輝く朝日へと変貌を遂げるものです。

さて、今回も乱文になってしまいましたね。

そして、そろそろ、2020年が終わりますね!

2021年もよろしくお願いします!

それではまた!

アディオス・アミーゴ!!


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