怒り顔

「怒り」は、道しるべ

「そのとき、ッダーン! って、思いっきりグーで机殴って……、そしたらガラスのデスクマット、叩き割ってしまったんよ」

「えー! そんなことあります?」

会社で先輩が話したエピソードに、衝撃を受けた。

その先輩は、とある仕事のために必要な準備を、仲間に依頼したらしい。

絶対にお客様と約束した期限を守るために、資料も揃え、依頼したいことの作業要領も細かく作って、渡した。

勿論、自分でできることなら人に頼んだりしないが、それは職務上どうしても任せないといけなかった。

しかし、約束の期限が近づき再確認したところ、その依頼相手は全くもって忘れていたらしい。

忙しさもあって必死だった彼は、電話の受話器を片手に、無意識にもう一方の片手で……というわけだ。

「その後、ハッと急に冷静になって……、寂しくガラスの片付けしたわ」

「いやー。すごいなぁって思いますよ」


わたしはそのエピソードを聞いて、なんだかものすごくいい話だ、と感じた。

……おかしいだろうか?

先輩の、そのガラスのデスクマットを叩き割るほどの情熱を、うらやましく思ったのだ。


わたしは仕事をする上で、焦ったり、自分の失敗に落ち込んだりすることはあるけれど、「怒り」を感じたことがほぼ無かった。

上司や同僚が他の誰かに対して怒っているらしい様子を見ると、「怖い」と思う以前に「すごいなぁ……」と思っていた。

それは全て、仕事に対する情熱によって成せる技だと思ったから。


「アンガーマネジメント」というスキルも世の中に存在するくらいだ。

普通は、みんな、怒りに悩まされているのだ。

それなのに自分は、おかしいのだろうか?

仕事を続けていれば、いつの日か自然に、自分もガラスのデスクマットを叩き割るのだろうか?

どこからともなく、情熱が降ってくるのだろうか?

ずっとそう思っていた。


「これから福田さんには、ちょっと違うことをしてもらうよ」

忙しくてもどこか冷めた日々を過ごしていたわたしだったが、ある時から、担当する業務が変わった。

たまに「イベントの裏方」のような仕事をすることになったのだ。

「よし、いっちょやりたいように、やってみるか」

そこで、とあるイベントを開催するにあたって、自分なりに会場のレイアウトやタイムスケジュールを組んで、準備を進めていった。


開催日が近づいて、自分もてんやわんやになってきたとき、ある同僚が話しかけてきた。

「福田さん、このレイアウト、ちょっときついんちゃうかな?」

「えっ?」

そのイベントでは講演を予定していて、来場された方には、席に着いていただくために机とイスを準備することにしていた。

決まっている会場の広さに対して、嬉しいことに想定以上のお申し込みがあった。

同僚は、机を並べるには少し狭いのではないかと指摘してきたのだった。

「ほら、台付きのイスってレンタルできるらしいから。それのほうが良いんじゃない?」

「いや、わたしその台付きのイス、そりゃ知ってますよ。わたし既にそれのスペックも値段も調べましたよ。でも今回はアンケート記入があるんです。台付きイスよりも、机があるほうが良いんです。既にそれも検討したうえで、机の寸法も会社の寸法も全部確認してレイアウトしたんですけど」

わたしは思わず、たたみ掛けるように言い返していた。

本当にそうなのだった。自分も心配になったので色々と考えてみた上での、机、なのだった。

「そうなの。まあ一度考えてみて」

「……はぁ。検討してみます」

そんなのちゃんと考えてるのに。百も承知なのに。

些細なことなのにイライラしてしまい、あぁ、これはイカンと思い深呼吸した。

……深呼吸して、ふと思った。

あれ? 今わたし、怒ってるな。


この一件があって、これまで自分が感じてこなかった「怒り」が、どういうときに起こるのかわかった。

自分が、「こうしたい」と能動的に考えているときなのだ。

「こうしたい」のに、上手くいかない、あるいは誰かからそれについて指摘を受けるとき、どうもその自分の思いと状況との乖離によって起こるらしい。

……あぁ、そうか。

あのガラスマットを叩き割った先輩は、お客様との約束を守るために、一生懸命自分で考えて、あの手この手で工夫をしていた。

それに対して、なぜ今まで自分は怒ったことがなかったのか、というと。

今までの自分は、誰かからの依頼を消化するばかりの「やらされ仕事」をしていたのだ。

それは、仕事内容のことではない。

こうするほうが相手は喜ぶだろうとか、助かるだろうとか、自分なりに考えて 仕事する意識に欠けていたのだ。

いつも、仕事をさばくことで頭がいっぱいで、「最低限、ここまではやっとかないといけない」という気持ちしかなかった。

……それだけ、必死だったんだな、とも思う。

過去の自分よ、お疲れ様でした。


「台付きイス」の一件があった夜、お風呂に入り、一晩ぐっすり寝たことで、怒りはすっかりおさまった。

明くる日わたしは、あっさりと業者さんに電話し、台付きのイスをレンタルすることにした。

同僚の言うとおり、今の状況ではそのほうが理にかなっていると思ったからだ。


決して、怒りを誰かにぶつけたりするのは良くない。

いい話だとはいえ、ガラスのデスクマットを叩き割るのも、ちょっと危ない。

怒りに任せて我を通すことも、理にかなわない。

でも、怒りも無く「やらされ仕事」だけして生きているのは、なんともつまらない。

怒り。

それは情熱を計る指標であり、自分で能動的に考えているか? を確かめる、大切な道しるべだ。


読んでいただき、ありがとうございます!