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自分の原点はどこにある?

学生時代の4年間、田園調布の駅前にあるパン屋でアルバイトをしていました。

その土地柄にもかかわらず当時の時給は¥800。
周りは時給が上がっている頃だったのに低かったことを覚えています。

夏休みなんかに兼業していた他のアルバイトでは
時給¥1000を超えることも普通で、

なので「相変わらずここは時給あがらないよねー」なんて皆と笑いながらも辞めずに、
結局卒業まで4年間お世話になりました。

今さらながらその理由を紐解いていくと、
ひとえに

「仲間、お客様、そして流れる空気」
がよかったから。
それだけ。

そんなことに今さらながら気づきました。

では、何がよかったの?と、もう少し紐解いてみると、

少なくとも18才〜22才の私が感じていた限り
(さらに記憶は都合よく更新されてしまうということもわかった上で)、

働いていた人に「妬み」や「ひがみ」という感情が見受けられなかったし、
他人をおとしめようというような人がいなかった。

もし「あわないな」と思う人がいたとしても、それぞれが大人の対応でやり過ごしている、そんな職場でした。

これ、当たり前と思っていたのですが、
私の少ない経験の中で当たり前だっただけでした。

働いている人には、社員やパートさんとして働いている人もいましたし(給料形態は違っていたとは思います)、

名前を聞けば「あそこの!」と言われる企業の息子さんや娘さんも何人もいました。

地方にお父さんの会社があるけれど、教育のために小さい頃から母親と田園調布に住んでいるというような友達もいました。

ちなみに私は
大学入学直前に順調だった仕事を父親が
急にやめて独立→生活レベルが一気にグーンと下がり
奨学金を受けることになったので、
自分の分くらいは自分で稼ぐ、ふつーの学生アルバイトでした。

お客様にも余裕がある方が多かったような気がする
その店では、

例え忙しくても「穏やか」という言葉の空気がいつも流れていたように思います。

相手を気がける一言が、店側からもお客様側からも多い。

誰かがミスしても、
それを嘆くのではなく、前向きなフォローをする。

クレームが入れば、
店長が電車に乗ってお客様のもとまで走る。

ミスを改善するための言葉は伝えられる時も、
人格は否定されない。

お客様も「あなたのパンのスライス、腕があがったわね」など言葉のプレゼントをくださったり、

混んでいる時にはアイコンタクトだけで「おつかれさま」と言ってくださる。

男性女性問わず、所作が素敵な方も多く、

そんな感じの職場だったので、
私は自分の「心地よい空気感」というものを知ってしまったんだと思います。

さらに、初めてしたアルバイトだったので、
それがスタンダードだと思っていました。

たまたまラッキーな職場の事例のひとつだったのかもしれないし、
土地柄もあったのかもしれません。

卒業後、永田町で働いていた時も、

やはり、多忙だったり混乱しがちな状況でも人がもつ余裕というものを多く感じられる職場だったので、

立場、環境、背景、思考というものは、
やっぱり自分をつくっていくのだと改めて実感。

「自分に心地よい場所」。

子育てが始まって、そんなことを考える機会を見失い、
子どもや住む地域で私の「場」ができて、
おまけに社会からどんどん離れていったので、
自己肯定感も自己効力感も見事に失っていたなーと。

同じように他の土地からきたママでも、
地域になじみ、「母親業」を楽しんでいる人を
みると羨ましく思って、
過去や東京に固執しているだけの自分に
「私はなんて扱いづらいんだ」と責めることもありました。

夫の職業柄、私の働き方や、そもそも働くことにたいしても一言言われることもあったのも、言い訳の一つではあります。

専業主婦でいることが、おとなしく最低限の社会との関わりをしていることが波風たたず、私も変に精神を消耗せずにいられたんですよね。

でもでも。

今もあのパン屋や永田町で、
ホスピタリティを大切にして、
周りの人を尊重しながら笑いながら働いていた自分がやっぱり好きです。
あ、もちろん笑っているより奮闘していることの方が多かったですけれどね。

末っ子が小学1年生になり、やがて3人の子どもが巣立っていくことも考えるようになったこの頃。

まずは今いるこの土地で環境を選んで、一歩ずつ踏み出す時にきているような気がします。

#東京から地方へ #Iターン #主婦 #居場所迷子でした #3人ママ


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