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地方?東京?それとも?

東京から地方に引っ越して14年たちました。

永田町で働いていた時に出会った現夫。
義曽祖父が地盤を築き、義父も会社を経営しているし、夫も地元に帰って後継者の準備をスタートさせなければなりませんでした。
1年後に結婚して、私も地方で暮らすことになりました。

ずっと認めたくなかったけれど、
私のあの時の選択の仕方はダメだったなーと思っています。
正確にいうと思えるようになりました。
認めたくなかった。笑


私は大学卒業後26才まで
国会議員の秘書をしていました。
ニュースに出ていることが、
国会議事堂が、
議員会館が、
党本部が、
日常で日々新鮮でした。

ボスは当時の強力派閥のメンバーだったので、
秘書の私まで華やかな場面に出ることや、
総裁選の手伝いをすることもありました。

そんな中、毎日のように省庁や企業のトップが議員会館(国会議員の事務所)にいらっしゃるのですが、

若気の至りというか、
知らないことを知りたがる私の思考グセは、

「(ボスと話す)話を聞きたいなー。面白そうだなー。いつかは秘書でなくて、こういう立場の方たちと話ができるようになりたいなー」なんて、お茶を出しながらいつも思っていました。

そんな思いが強くなって動きをとろうかと考え始めた26歳の頃、つきあっていた彼が地元に戻ることになり、結婚話が出るようになりました。

でも私は

育った東京、
親も友達もたくさんいる東京、
機会もモノも場もある東京、
そして刺激的な毎日

から離れたくなかったんです。
心の底から。

なのに。
彼と離れる気持ちも決断ももたず、

「こちら(彼の地元)に来てくれるなら、"嫁"にとらわれなくていい。好きなことをしていてほしい」とわざわざ赤坂見附まで来て話してくれた現・義父の想いにも応えたくなっていました。

そして

「彼が10年後にはある程度成功して東京にマンションを買おうって言ってくれてる」
「あんなにおとうさんも言ってくださってる」
「地方にいって、仕事をたちあげるのもいいかも」
「自分のステージをあげるためにも、ここを離れたほうがいいのかも」

最終的には実父の
「一度行ってみたらどうかな。ダメだったらいつでも戻っておいで」
の一言がきいたのでした。

無理やりいいところばかりをみつけて、自分を納得させて、退職して結婚を決めて地方へ行きました。

はい。
自分の人生、他人の判断に委ねていました。
自分の人生の責任を、あわよくば誰かに転嫁しようとしていました。
話し合って、悩んで、涙も流したけれど、
本当の自分の心を見ないようにしていました。

今の私があの頃に戻って、26歳の自分にほっぺたをペシペシ引っ叩いてあげたい。

「自分のことだよ!責任はすべて自分なんだよ!ちゃんと見て!」

一般企業でキャリアアップしている友達、
外資勤務から海外移住した友達の噂、
同じ議員秘書のくくりでも、私設秘書(事務所所属)の私と違って公設秘書(国家公務員)の女性の友達、

眩しい(正確には「眩しくみえる」)人たちに勝手に焦ってもいました。

なので結婚することで、新しい立場ができることに根拠なしに期待値をかけていました。

そして地方にきて10年近く、
何もないこと、何もできないことに焦っていました。

結局どちらでも焦ってるじゃなーい!

すべては私の問題でした(笑)。
自分の軸がなかっただけ。

もうね、そんな自分を正面からみるのがほんとに遅かった。
永田町にいる間にステップアップするチャンスもいろいろあったんだろうなーとも思います。
年齢も40超えちゃってます。

だけど、40を超えちゃってる私はわかります。
手の中にあるものが。

ちゃんと大切なものは残っています。

昔からの、学生時代の、
そして仕事でお世話になった方々とも続いています。

子ども達にも会えました。
子育てさせてもらっています。

少しずつこれからやっていきたいことも具体的になってきています。

だから、これでOK。今がOK!
前に進むのみです。

そんな私の現在住みたい場所は…
「絶対にここ!」というところはなくなりました。

ただ、やりたいこと、行きたいこと、会いたい人に会うことがスムーズにしいさできるように、
そして運転があまり好きではないので、

・空港へのアクセスがいいところ
・電車や徒歩が主な移動手段であるところ

に移住しようと今は思っています。
そのための計画は自分でで♬

#Iターン #東京から地方 #国家議員秘書 #3人育児
#ライフオーガナイズ


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