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1年ぶりに文章を書き綴ってみる、noteでの一作目

ブログというものを始めてみた

月子の髪型日記
月子の変態日記
月子のネタ帳

中学3年生の時、父から「大学の論文対策で今からブログを始めておいた方がいいと思う」という助言を受け、始めたブログ。自称学校一髪の綺麗な女だった私は毎日憧れのレイア姫の髪型を真似していたのでそれを投稿するところから始めた。2006年から開始したそのブログは、当時はPCでFC2、もしくはガラケーでデコログが主流だったかと記憶しているが、私はYahooなら潰れないだろうと思いYahooで始めた。月子という名前は、中学高校時代の変劇部でのクラブネームだ。

高校生になり、彼氏との面白いネタが増え始めて変態日記に改名。どの辺りで変態日記という名前を恥ずかしいと思い始めたのかは不明だが、大学の友人も変態日記という名前を知っていることからきっと大学生になってからネタ帳に改名したと思う。中高時代は大学受験中さえも毎日更新していたが、大学生になりだんだんと更新が減り、いつしか途絶えたまま社会人になった。私は2014年3月に大学を卒業している。高校時代はmixi、大学に入ってTwitterとFacebookへ移行していった。

ブログのために選択してきた

ブログはとても楽しかった。趣味といっても過言ではなかった。母が文章を書くセンスのある人だし、その叔父は脚本家なので遺伝もあるだろう。小さい頃からずっと読書をしてきたことや、母指導による日本の古典文学の音読を小さい頃続けてきたことも影響しているだろう。

なんなら、毎日ブログを書くためにネタづくりに励んでいた。いつも何か行動する時、ネタになることを選択してきた。人と違うことを選択しがちな自分には気付いていたが、ブログのネタを作るために人と違うことを選択してきたのかもしれないと、今この文章を書きながら感じている。雪の日はあえて危険な道を何回転んでいくかを数えながら進んだし、何度注意されてもレイア姫の髪型を直さなかったし、とにかく道ゆく人に恋をした。

そして、必ずオチをつけた。転ばずに慎重に進んでも最後は必ずすっ転んだし、先生に注意されても外さなかった髪型も友人の「うんこみたい」の一言でそっと外したし、寅さんよろしく必ず失恋した。落語家なのかというくらい、日々ネタとオチを拾ったり作ったりと身を犠牲にして励んだ。そして家族や友人恋人もネタにした。

読者に支えられた

中学高校の友人たちがいつも読んでくれていた。変劇部は文章を書く人が多いというのもあるだろうし、ちょうどブログは流行っていた。ブログを通して友達が増えた。当時でいういわゆるネ友(ネットの友達)で、広島から沖縄に実際に会いにいったりもした。元気かなぁ、ネッコ。マユなんて、当時としては珍しくネ友からリア友(リアルな友達)となり、いまだにFacebookで繋がっている。大学では隠し通していたつもりが学内でみんながこっそり読んでくれていて、とうとう事務局長まで読んでいた。白目を剥いた。ブログのネタにした。

トドメは、就職活動。私は一社だけ、某広島のローカルテレビ局に履歴書を送った。就職活動は合同説明会に一人だけ赤色のトレンチコートに可愛いスカートで登場したところ、大学生ではなく企業関係者と間違われるところからスタートしてからすぐにやめた。一社に絞って、書類を送ったところ一次を突破した。二次は面接ということで、何の面接対策もせぬままに、えいや!で気合いと根性で足を運んだ。緊張はしながらも、ここは舞台よみんなジャガイモよと思いながら得意の笑顔で席についたが、「変態日記、読んでますよ」の面接官の一言でもう頭が真っ白で何を話したか一ミリも覚えていない。

人事部がブログをチェックするという噂は本当なんだ・・・と思ったのは覚えている。多くの皆様に読んでいただけて本当に幸せ者である。きちんとブログのネタにした。

ちなみにその後も順調に進んで最終の役員面接で落ちた。「大前研一先生はそのことについて何といっていましたか?」と聞かれ、「彼が何を思ってるかは存じ上げませんが」と答えたところ、最終的に「第三者を"彼"と呼ぶのは良くない」と、知らない役員からお叱りを受けて終わった。面接は落ちた。すぐにブログのネタにした。

ブログ強制終了

気が付いたら、2020年が始まる前にYahooブログが強制終了されていた。

※12の歳からだと思ってたけど多分14か15歳からです。

わかってる。後手後手にした私が悪かった。2006年から、1500以上の記事を溜めてきていたが、なんか色々手続きしてると面倒臭さが勝って、後回しにしていた。明日やろうはバカ野郎とはよく言ったもので、本当に馬鹿野郎。気付いたら強制終了。マジで泣いた。

こんなオチは想定していなかった。そのために後手に回したなんてことはない。信じてほしい。

そしてnoteに手を出した

2023年の1月3日。新年を迎え、決意を新たに、今noteと向き合っている。実は昨年のうちにnoteのアカウントは作成していた。

遡ること2011年、当時大学2年生だった私は上京して組織人事戦略コンサルティングを提供するベンチャー企業にインターン生として勤務していた。私は、当社が運営する"人事の大学"の初代事務局長を頑張っていた。毎週様々なゲストを招いて、無料セミナーを開催していた。その日もパートナー企業のおしゃれな表参道のセミナー会場で、誰のだったか忘れたがセミナーを開催して30人くらい人が集まっていた。

そこに、株式会社ピースオブケイク(現note株式会社)の創業者で代表の加藤さんと出会う。セミナーのお客さまとして来てくださっていて、事務局長として勇んで名刺交換をした。当時はまだダイヤモンド社にお勤めで、名刺には加藤さんがヒットさせて当時大ブレイクしていた"もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』)"のアニメ絵が描かれていた。今検索するとnoteは2011年12月創業なので、本当に創業直前にお会いしたようだ。「これから面白いサービスをリリースするんですよ」と、加藤さんが教えてくださったのを、今でも覚えている。私もワクワクした。あれよあれよと、作家向けのサービス"cakes"がブレイク、そして作家だけでなく私のような一般人も文章を書けるようにとリリースされた"note"が登場。とうとう先月、上場したことを新聞と加藤さんのFacebookで知った。即ハートボタンをクリックした。この場を借りて、加藤さんにおめでとうございますを伝えたい。もちろん私のことなんて覚えてはいないだろうが。

話がそれた。そんなわけで密やかに応援していたのだけど、手を出していなかったnote。だんだんと文章を書くのも時間を取れずにいた。しかし、この数年の私の状態を振り返るに、ブログが必要だと感じ始める。ブログが閉鎖された今、これがnoteに手を出すタイミングだと思い、そして新年のいいタイミングを口実に、このようにパソコンと向かい合っている。

表現するということ

表現する場がない。楽器もやめ、歌もやめ、ブログもないと、自己を表現できていないことに気づいた。どうもすっきりしないのだ。なんだか毎日が忙しなく過ぎていく。もちろん環境の変化は大いにある。中高時代は寝る時間を削ってでもブログを最低でも30分はかけて書く日々だった。

Facebookで、自己表現ができなくなってきたのも一つ理由として挙げられるかもしれない。ブログからFacebookへの投稿に移行していったわけだが、読者があまりに多い。しかも、私個人を知っている人が多すぎるし、大なり小なりでお仕事の関係の人までつながっている。数百億円企業の社長や、上場している一兆円企業の役員までつながっている。何しろ元変態日記の管理人の月子である。発言に制限がかかると何も書けない。ブログ的に公開されていると、読みたい人だけが読めるので、相当私に関心を持ってくださらないと読むには至らないだろう。そこまできてくださる方には大歓迎でぜひお届けしたい。変態日記を。間違えた。ネタ帳を。

自分のこの数年のパフォーマンスを振り返ってみて感じているのは、自己表現の場がないと息苦しいということだ。私は無意識のうちに、日々の出来事や思考した事を、文章として吐き出すことで整理していたようだ。ITは強い方だが、いまだにアナログで、手紙やノートを愛用する。言葉ではなく写真を投稿するInstagramが流行っているが、私は写真で自己を表現はできた気がしていない。私にとっての自己表現は、文章を吐き出すことが一番しっくりくる。ちなみに、スマホで文章を打つのもなんだかしっくりこない。中学生の頃から、冒頭でも記した通り、父の言う"論文のために"超高速ブラインドタッチを身につけている。脳で感じた言葉を瞬時にタイピングできるスキルのおかげで、自己表現がスムーズにできるのだ。

これからもネタとオチを作り続ける

そんな自分に気付いたため、新年の力を借りて、昨年作成していたnoteアカウントにログインして初めての執筆をしているのである。

とりあえず、まずは今後、月子こと佐々木あやという人間をまとめておこうと思う。学生時代から、取材を受けてネット記事や経済誌に掲載いただいたりはしてきた。最近はラジオやYouTubeに出演させていただいたり、紙の書籍にも掲載いただいた。ありがたいことだ。

とはいえ、やはり自分の言葉で表現したい。私が実現したいことも含めて発信したい。しょうもないネタも含めて発信したい。

2023年、私は今年32歳になる。死ぬまで表現して生きていきたいと思い、今日をnote記念日とする。


ちなみに、どこかに片鱗が落ちていないかと淡い期待を胸に検索してみたら、まさか大ヒットした。

まじで信じてほしい。こんなこと想定していなかった。今日のこのnoteの記事は、オチをつけずに決意表明で終わる予定だった。本当だ、信じてほしい。

いや実は、この記事を書き始めてからだいぶ初めに、検索してみた。ないよね〜と思いながら。そしたら、まさか自分のブログが生きている事を知った。なので自分では、12歳からブログ書き始めてきたと思っていたけど15からだということに気付いて修正したのだ。

いやいやしかし、seesaaって何。アカウント作った記憶ない。ログインなんてできない。え、どうしたのだ。移行作業を試行錯誤をした当時を思い出せないので、全くわからない。移行作業をしたとしても、seesaaていうよく知らないものには移行しないと思う(seesaaさんごめんなさい)。

さすが、常にネタとオチを作ってきた私。もう空気のようにネタ&オチを作ってるんじゃないかと自分自身が怖くなる。

とりあえず、どうすれば該当のブログを管理できるのかを調べる所存。

これからも、私はネタとオチを作って文章にすることで自己表現を続けていく。

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