里親の話から。5歳息子が泣きながら「子どもを好きでいられない大人」について説明してくれたこと。

今日はRACのオンラインイベントの日だった。首藤くんと真奈さんの言葉が心地よくて、色んな気付きがあった1日だった。

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登壇者がまさかの全員34歳で同じ歳!というイベントレポートはゆっくり、じっくり向き合って書きたいなと思っているので少しお待ち下さい。


そんな興奮冷めやらぬ夜に、書きたいことは息子との対話。いつも息子は哲学的な問いを投げてくれる。

今日のお題は「里親と、子どもを好きでいられない大人」について。


①明日来る里親さんについて説明をしていた

明日、私の住むマナハウスに、とってもお世話になっている里親さんが遊びに来てくれる約束になっていた。なので息子と娘にその話をした。

私「明日ね、大好きな里親さんが来てくれるんだ−。小さい頃にちょっとだけ会ったけど、覚えてないよね??」

Y(5歳息子)「覚えてるよ−!小さい時でしょう?・・・でも里親さんってなに?」

私「里親さんっていうのはねー、血のつながってない、自分が生んだわけではない子どもと一緒に生活している人のことだよ。うちもシェアハウスで、ママが生んだわけじゃない子どもたちもいるやん?一緒に生活する人って色んな人やかたちがあるんだよー。

大人が病気だったり、死んじゃったり、子どもを殴っちゃったり、きらい!ってときにも一緒に住めないじゃんか?だから子どもと一緒に施設とか、里親さんていう人が住んだりするんだよ。」


息子の顔が暗くなる。


なんだか、違う意味で誤解させたのかな−と思って話しかける。


私「どうしたの?Yもそういうお家に行かなきゃいけないって心配した?そんなこと無いから大丈夫よー。」

Y「ううん。違う。」


②涙を流す息子と

Yが、明らかに目に涙を浮かべ、寝転がっているのが見える。

私「どうしたの〜。Yはママと一緒だよ。」

ちょっと顔を下に向けて、見えないように布団に潜りだした。


Y「ちがうよ、眠たいなって、おもって。涙が出てきただけだよ。」


(眠たいときにそんな泣き方しないやん。)←私の心の声。息子は私を心配させまいとして、最初は隠そうとする時がある。


私「どうしたの。話していいんだよー。何が悲しかったの?」


Y「・・・」

私「里親さんはねー、寂しいから過ごすだけじゃないんだよ。大人が病気で死んだりってあるでしょ?」



Y「でもね、ママが死んでもね。パパが一緒に過ごしたらいいよね?」

私「そうだね。ママとか、パパとか、片方だけが死んだら、残った人が一緒に住めばいいよね。でもね、場合によっては、仕事で忙しいとか、ずっと面倒見れないとかそういうこともあるよね。そんなときに子どもだけでずっと生活するのは難しいよね。前にも大人が、もういや!って家を出ちゃって、子どもが死んじゃったことがあったじゃない。」


Y「でも保育園に行ったらいいんじゃない?」

私「そうだね。施設とか、保育園とかいろいろあるよね。でも自分だけのパパママ、みたいな、帰る家がほしい子もいるんじゃないかなぁ。だから里親さんがいるんだと思うよ。帰る家、欲しくない?」

Y「うん、欲しい。」

もうここで、私も泣き出した。

私「ほら、前にも話したけど、子どもを置いてでていちゃったお家のはなしとかもあるんよ。」


N(3歳の妹)「そのママはなんで置いてっちゃったの?子どもは死んじゃったの?」

私「そうだね。その子の場合は、死んじゃったんだよね。ご飯がなかったり、色んなことがあってね。でもね、ずっと好きじゃなかったわけじゃないと思うんだ。

たまにね、ママも嫌!とか二人に怒っちゃうときあるじゃない。そんな感じになって、ちょっと外に出ちゃったんだと思うんだよね・・・。

大人の中にも、怒っちゃうときにさ、子どもを叩いちゃったり、殴っちゃったり、お前なんて生まれなきゃよかったとか、言っちゃう人もいるんだ。悲しいんだけどね。でもママは、そういう人は、子どものときにきっと叩かれちゃったり、ほっとかれたり。そういう経験があって、大好きだよとか、HUGとか、してもらえなかったのかな−って思ってるんだよね。悲しいよね。

YもNも小さい子に優しいじゃない?それはママも二人に優しくするし、ママが小さい頃に優しくしてもらったから、そのやり方を知ってるだけなんだよね。


知らないってのもあるけど・・・ほんと大人はさ、誰もが子どもの時代があったのに、なんで子どもをきらいになっちゃったりするんだろうね・・・。」


③「子どもと細胞の都合」で子どもが生まれたくて生まれちゃうんじゃないか説


Y「子どもは、子どもと細胞の都合で生まれてきたいって、勝手に出てきちゃったからじゃない?」

私「え!?どういう意味?」

Y「子どもはさ、自分が生まれたい、生まれたいって言ってさ。細胞で出てくるから。大人が生みたいんじゃないんじゃない?」


きっと性教育の、受精卵の部分かな。細胞たちが出会って、外に出ていく部分を話してくれているんだと思う。


もう涙が止まらない。


私「そっか。面白い考えだね。でも、ママはさー、大人も生まれてきてほしいって思っている人もいると思うよ。だって勝手には生まれないんだよ。子どもだけの意思で出てくるんじゃないもん。

それにやっぱり子ども時代がじぶんにもあるのに、子どもが嫌いってちょっと変じゃない?」


④もともと子どもは、子どもと大人がすきなんじゃないか説も浮上。


Y「うーん、おとなはさぁ。

子どもを好きじゃない大人もね、昔は子どもと大人を好きだったんだ。

でも、子どもを好きだったことをわすれちゃうんだ。きっとそうなんじゃない?

子どもを好きな大人は、子どもと大人を好きだったときのことを、覚えてる人なんだと思う。」




そっか。忘れてるのかもしれない。素直にそう思った。



私「そうかも・・・。なんで忘れちゃうんだろうね。」

Y「忘れちゃうだけだから。きっと昔は好きだったんだよ。忘れちゃうだけだよ」



その大人は、忘れちゃっただけで、悪くないんだよ。

そう言わんばかりに、その言葉を反芻して、

布団と枕を自分用にセッティングし、息子は一人で先に寝た。



⑤正解は一つじゃない。

誰もが子どもを好きでいろとは決して思っていない。愛せない人もいるし、どうやって接したらいいのかわからない人もいるのはわかっている。

でも、難しいなら、託したり。一緒に育てたり。色んな方法がある。

正解は一つじゃない。

今日の真奈さん、首藤くんの話でも思ったし、息子たちと話しても思うことだった。


まとまらないけど、息子たちとの対話は楽しい。

明日、里親さんが来たら色んな話を聞いてみよう。色んな価値観の大人と出会える機会は本当に素敵だ。

子どもは親だけの色に染まらなくていい。


いろんな世界を見よ。

(私も、いろんな世界を自分の目で見よう。)



追記。

ここまで読んでくださった方は、4歳の時の息子との対話シリーズも楽しんでくださると思うので、前のを貼っておきます。


おまけ。

心の中のBGMはなぜか宇多田で。娘と一緒にこれを聞いて寝た。




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