誰にも言わない(公募落選作)

あたらよ文学賞一次落ちの作品を、また手直しもなく恥ずかしげもなく、せっかく書いたからという理由だけでここに残しておく。
ポロッと出てきた頭の一行が気に入って、そのためだけに書き上げたような作品。だけどテーマに苦戦してアイデアが出ない中ひねり出すようにラストまで書いたから、振り返って考えてもあまりいい内容ではなかったと思う。でも序文はすごく気にいってる。序文は。
創刊ということもあってか、募総数がすごく多かったみたいだから、きっとハイレベルな選考になってるだろうと思う。素敵な創刊号になりますように。

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夜の真ん中に、一つだけ秘密を隠し持っている。
両親がやってるお好み焼き屋『はしおか』が入ってるテナントビルと、隣のビルとの隙間のような路地にそれは住んでいる。三毛猫の彼女。名前はミケネコ。どちらかというと不細工で、ぼってりとした体形の尻尾は曲がっているミケネコ。赤い首輪はあたしがつけた。野良だと思われないように。
彼女は気ままにこの繁華街の中をうろつき、あっちでエサをねだり、こっちで可愛がられ、ある時は向こうのビルの屋上で眠りにつき、またある時はあたしが用意した寝床で眠る。エアコンの室外機と屋外用ゴミ箱が並ぶ、右隣の非常階段の裏に置いてある木箱がそれ。中にはコンビニのノベルティでもらった、黄色の企業キャラクターの柄入りブランケットが入ってる。
店の営業が終わるのは二十三時。それからテーブル回りを片付けて、皿洗いを手伝って、大体二十三時半にあたしの一日の労働が終わる。両親はまだ少し仕事が残ってるから、あたしは先に家に帰る。
お疲れ様、と声をかけて店を出たらトートバッグから猫缶を取り出して、路地裏の非常階段に向かう。今日はミケネコが木箱の中に入って待っていてくれた。今日もお疲れ様、とミケネコが目で言っている気がする。
あたしは無言で猫缶を開けて木箱の手前に置いた。それからペットボトルの水をバッグから出して、置いてあった水飲み用の皿に水をそそぐ。軽くゆすって汚れを浮かせて、その水を捨てる。それからまた注いで猫缶の隣に置く。
ミケネコはあまり鳴かない。静かに猫缶を平らげ、水を飲んで木箱の中で丸くなった。
あたしも一言も発さないままミケネコの夕食を見守り、眠る様子を少し眺めてから家路につく。
これがほとんど親に隠し事なんて持ったことのないあたしの、たった一つの秘密。

猫か犬はずっと飼ってみたかったけど、それが実現したことはない。なぜなら家はペット不可のマンションだから。
賃貸じゃないから引っ越せないのよ、ごめんね。と母親に言われて、幼いあたしの希望は砕け散った。以来、一度もペットを飼いたいと言ったことはない。
厳しい親ではなかったし、口うるさくもなかった。友達みたいな両親。あたしには兄弟はいないし、友達とあちこち遊びに行くタイプでもなかったから、必然的に親と過ごす時間は長かったと思う。何か困ったことや悩み事が出来ると、大抵父親か母親にまず相談した。高校を辞めるときも。
高校を辞めた理由はよくある話。希望する学校の受験に失敗し、滑り止めで入学したところになじめなかったから。高卒認定を受けて、それから大学受験をするつもりだったし、その話を親とも先生ともしたのだけど、去年両親のお好み焼き屋を手伝い始めてから別にこのままでも良いかなと思い始めてる自分がいる。今十八歳。高校に通っていれば三年生の夏休み直前。
お好み焼きはどっちかっていうと好き。お店をやるのは結構楽しい。自分でお店をやるなら大学に行く必要はないし、何なら高卒認定すら持ってなくても構わない。だから。という言い訳を見つけてしまって、勉強しなくなって半年たつ。ちょっと人生の袋小路に入ってしまったのかもしれない。
両親はいつものように、人生の迷子になってるあたしに何も言わない。あたしも何をどう言えばいいのか分からなかった。
自宅マンションは家から歩いて五分ほどの場所にある。
ジュースを買って帰ろうと思って、自宅手前にあるコンビニに寄る。今日は中学の時の同級生の、道下君がレジに立ってた。
「おう、おつかれ」
あたしの顔を見て彼は右手を挙げて言った。あたしも右手を挙げておつかれ、と返す。
冷蔵のショーケースから炭酸のペットボトルを取り出して、それからレモンのグミを一袋、手に取ってレジに向かう。
今日の客はまばらだった。
「そういえば今度中学の同窓会があるらしいけど、聞いた?」
道下君がグミをバーコードに通しなが言った。
「知らない。っていうかこの受験の時期に?」
「幹事は四組だった鈴木翔大らしいけど、あいつ高校卒業したら親の土建屋に就職だろ」
四組の鈴木君の顔は、おぼろげにしか思い出せなかった。同じクラスになったこともないし、話した事も多分一度もない。
「多分だけど、受験は関係ないメンツで集まるんじゃないかな。知らないなら仲良かったやつらだけに声かけてるのかも。橋岡はグループ違ったもんな」
鈴木君も道下君も、どちらかというとやんちゃで派手なグループだった。一方こちらは地味寄りで真面目なグループで、高校ドロップアウトなんてしそうにないメンバーばかり。友達はみんな今は受験勉強に忙しくて、あたしだけがなんだか鏡の国にいるみたい。
「そうかもしれないね。道下君とも中学の時は喋った事なかったしね」
「中学の時の橋岡たちって、なんかすげぇ話しかけづらいオーラ出てたけど、実際喋ってみるといいやつだし、わかんねぇよな、人って」
そうだよね。とあたしは頷いた。そのタイミングでちょうど後ろにお客さんが並んだので、レシートを受け取って、またね、と店を後にした。
あたしが働くのは夕方十八時から二十三時半まで。道下君は二十三時から翌朝五時まで。夜のはじめから真ん中へ、真ん中から夜の終わりまで。あたしたちは店で会える時は店で、そうでないときはSNSで、お疲れさまと言い合って、勤労への意欲をバトンタッチする。
中学の時はどちらかというと敬遠しがちな道下君だったけど、たまたま中退後にうちの近所のこのコンビニで働く彼と出会って、話してみて、お互い中退してアルバイトをしている、という共通点をとっかかりに親しくしてみると、あの頃想像していたよりずっと真面目でいい子だった。
だけどそんな真面目ないい子でも高校をドロップアウトすることもある。
一度なぜ高校を辞めたのか聞いてみた。
「いろいろあって」
としか彼は言わなかった。なんだか拒絶するような言い方で、それ以上踏み込むなという無言のメッセージが漂っていた。言いたくない事や今は言えない事もきっとあるのだ。あたしにはそれ以上彼の事情に踏み込めなかった。
そしてなんでも明け透けに話してしまうあたしには、秘密を持てる彼がなんだか羨ましかった。その時からだと思う。秘密を持ちたくなったのは。
ミケネコに出会ったのはその後だ。ランチ営業の終わりにゴミ出しに行くと、ゴミ箱の上にふてぶてしく居座った彼女を見つけた。「何かくれないとここを明けわたさないわ」と言っているような顔つきで、こちらをにらみつけているようだった。
あたしはお昼に食べ残した明太フランスがバッグに入っているのを思い出し、バゲットの何も味がついていない方をいくつかちぎって、彼女の前に置いた。
ミケネコは鼻を近づけてスンスンと匂いを嗅いで、これしかないのなら仕方ないわ、というような顔でパンを平らげて、そのままふらりとどこかへ行ってしまった。
そしてあたしは無事ゴミ箱にゴミを捨て、昼下がりの帰り道を歩きながら、彼女をあたしの秘密にしようと、そう決めた。
そして家に帰って押入れをひっかきまわして、いつかの頂きもののお土産が入っていた木箱を見つけた。ミケネコが寝るのにちょうど良さそうな大きさだった。
木箱の中には高校の時のプリント類が束になって入っていた。いい機会なので処分しておいた。それからもらった時のまま忘れていたノベルティのブランケットも見つけた。袋から出して、空になった木箱に敷いてみた。いい感じだった。
次の日の夜、両親が働いてる間に木箱を持ってミケネコに会った場所に行き、箱を置くのにちょうどよさそうだった非常階段下に置いた。そして買っておいた猫缶の蓋を開けてしばらくその場で待ってみた。ネコは現れない。
両親が店を閉める時間が近づいてきたので、その日はあきらめて猫缶だけ置いて帰った。
そして次の日の七時前。冬の寒い朝だった。寝起きのスウェットにダウンジャケットを羽織り、キャップを被って木箱を見に行った。猫缶は空になってミケネコは木箱の中で丸くなっていた。
その日から毎晩ミケネコにこっそりご飯をあげ続けてる。夜の真ん中の、あたしの小さな秘密。少しだけ道下君になれた気がした。

コンビニで同窓会の立ち話をした数日後、道下君からメッセージが届いた。
『明日同窓会行ってくるけど、暇だったら橋岡も行かね?』
鈴木君たちは、ほとんど喋ったことのない人が一人くらい混ざってても全然気にしないのかもしれないけど、あたしは気にする。行きたいとはこれっぽっちも思えなかった。それに明日は仕事だ。
『ごめんね、仕事だから無理だ』
とだけ送った。返信はなかった。夕方になり仕事にでかけた。
仕事が終わってミケネコに会いに行った。彼女は今日は姿を見せなかった。蓋を開けた猫缶だけ置いて帰りにコンビニに寄ってみた。道下君は休みだった。
誰にも会わないままあたしは炭酸飲料を買って家に帰り、友達から借りっぱなしの漫画を読みながら眠った。
朝になって、昨夜は電気をつけたままで眠ってしまっていたことに気づく。顔を洗ってミケネコに置いて行った猫缶が空になっているか見に行った。
ミケネコの姿はなく、猫缶も昨夜置いてきたままの状態だった。カラスが来るから猫缶はもったいないけど処分する。缶を手に取ろうとした時、ポケットの中でスマホがアラームを知らせた。スマホを取り出してアラームを止めて、そういえば昨夜は道下君からお疲れ様メッセージなかったな、とふと思い出す。メッセージ送信ボックスを開いて、おはよう、起きてる?と送りかけて、少し考えて削除ボタンを押した。なんだかそれは余計な事のように思えたから。考えてみればあたしたち別に毎日連絡する約束なんてしてたわけでもないし。
この日は二度寝してから仕事に出かけた。

同窓会の夜から二週間ほど過ぎた。
会えば普通に話すけど、道下君とのお疲れ様メッセージは途切れがちになった。忙しいのかもしれない。と思って、その事については話題にしなかった。
その日は店は休みだった。
あたしは親から親戚に渡す菓子折りを和菓子屋で買ってくるように頼まれて、商店街に出かけた。
買い物を済ませて和菓子屋を出た所で、偶然、斜め向かいのファストフード店から出てくる道下君と鉢合わせした。正確には、道下君と山根さんと。
道下君とは確かに目が合った。でも彼はなにも言わず、いつものように右手を上げる様子も見せず他人の顔で背中を向けて、山根さんの背中に腕を回してあたしと反対側の方へ歩いて行ってしまった。
道下君と山根さんの背中を見送りながら、あたしは足元に薄く積み上げた何かがボロボロを崩れ落ちていってしまうのを感じた。そうしてすっぽり空いた穴に足を取られそうになりながら、平然を装って家の方に向かって歩いた。
山根さんも中学の同級生だった。
鈴木君たちみたいに派手目なグループの子ともたまに話してるけど、やんちゃなことも派手なこともしない、普通の子。バスケ部だったと思う。
あの頃はショートだったけど、今日は背中半ばまであるサラサラのロングヘアで、キュッと締まった細いウエストを露出した短めトップスと、大き目のワークパンツがすごく似合ってた。身長が高いから服が映えるし、綺麗にメイクしてるから同い年なのにすごく大人っぽく見えた。
そしてあたしはショーウィンドウに映る自分の姿を見る。
無地の黒いTシャツとデニム、そしてスニーカー。もちろんノーメイク。髪型は中学からずっとボブ。ボブ以外にしようと思ったこともなかった。
なんだか子どもっぽくも見えるし、おばちゃんぽくも見える気がする。ああ、あたしって道下君とも山根さんとも違う世界線の住人なのだな、と、一人歩きながら妙に納得する。
家に着いて親に菓子折りを渡して、部屋に戻ってスマホを取り出した。
SNSの画面を開いて山根さんを探してみた。道下君のフォローからすぐに見つかった。
山根さんは最近彼氏ができたみたいだった。彼氏と飲んだかき氷ラテや、もらったリング、どこかのベンチで撮った自撮りなんかが載っていた。そして移り込んだ彼氏の左手首には、道下君がいつもつけてる黒い数珠のブレス。つまり、そういうわけ。
スマホをベッドの上に放り投げて、仰向けになって目を閉じた。なにもかもが馬鹿らしくなって、少しだけ道下君に期待してた自分が恥ずかしくて、枕を顔に押し当てて身をよじった。今日だけでいいからどこかに消えてしまいたかった。
それから両親と砂みたいな味のする夕食を食べ、部屋の戻りスマホを開いて友だちに何かメッセージを送ろうと言葉を探したけど、何も見つけられないまま液晶画面を見つめて夜をいたずらに消費する。ふと時計を見ると二十三時前。ミケネコがお腹をすかしてやってくるかもしれない時間帯だった。
あたしは猫缶と水を入れたペットボトルを持って家を出た。今夜は月が滲んで見える。明日は雨かもしれない。
店の横のゴミ箱の上にはミケネコが変わらない姿であたしを待っていた。
「にゃあ」
珍しくあたしを見てミケネコは鳴いた。
「ごはんにしようね」
猫缶の蓋を開けて、木箱の横に置いた。そして水飲み皿に水を注ぐ。
そういえば今日見た道下君は、ミケネコのベージュの毛色と同じような色のシャツを着ていた。黒に金メッシュとグリーンを入れた髪とよく似合ってたな。山根さんともお似合いだった。
あたしはあんな風にはたぶん一生なれないけど、かっこよくて憧れるな。
「にゃあ」
猫缶を食べ終えたミケネコが、あたしを見上げて鳴いた。今夜はずいぶんミケネコが人懐こい。
「どうしたのあんた、珍しいね」
喉の下を撫でるとグルグルと気持ちよさそうな声を出した。しばらく撫でてあげて、満足するとミケネコは木箱の中で丸くなった。
「おやすみ、ミケネコ」
あたしは立ち上がって、家の方に向かった。
道下君の働くコンビニの前を通った。窓越しにレジに立つ彼の姿が見えた。通り過ぎて、家の少し手前の街灯の下で立ち止まった。
スマホを取り出して、SNSを開いて彼のフォローを外す。バイバイ、道下君。このことはきっと誰にも言わない。夜の真ん中に残す、二つ目のあたしの秘密。
家に帰ったら、多分埃をかぶってる参考書と教科書を用意しよう。明日から頑張るために。そう思った。

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