金曜日の仮宿(小布施町「花」にまつわる物語 落選作)



これはラストが好きな作品。自分ではまあまあの出来だと思ってたけど、最終選考にも残らないんだよね。なんだろう。もしかしたらわたしが小説と思って書いているものは小説ではないのかもしれない。え、やばくない?わたし。
しかし賞レースに残らないのはシンプルに「ヘタクソ」か「つまらない」か「規定外」のどれか、もしくは全部なのである。と自分に言い聞かせる。よし、すっきりした。(いいのかそれで)


             金曜日の仮宿

毎週金曜日の仕事終わりは駅ビルの中にある花屋に寄って、切子ガラスの一輪挿しに似合う花を買う。それから高級食品スーパーでいつもより少しいい惣菜と、缶入りのカクテルを買って帰る。
一週間の勤めに疲れ果てた人々の群れは、それぞれの路線へ向かって流れてゆく。そして私もその流れに乗り、改札を抜けて、電車に乗り込む。
会社用のバッグとは反対側の手に持っている、ピンクと白の花柄エコバッグの中には、さっき買った生春巻き、スモークサーモンのマリネ、パン、デザートの白玉ぜんざい、三百五十ml缶のカクテルが二本、それに小さな花束が入ってる。
私は電車の揺れに諾々と身を任せてぼんやりとした日常を垂れ流す、まるで顔のないような人の群れの中の一人ではあるのだけど、今日は花束を持っている。その金曜日の特別感が、私を今夜だけ何らかの顔を持つ何者かにしてくれるような気がするのだ。帰宅した私を待っている特別な一時に思いを馳せながら、空いたシートに深く腰掛け、軽く目を閉じる。
やがて駅をいくつか過ぎて、私の下りる駅名を車内アナウンスが告げた。惣菜が中で偏ってしまわないよう、用心深くバッグを持ち、改札を抜けて家路を急ぐ。七月の七時過ぎはまだほんのり明るかった。
駅から五分ほど歩くと我が家が見えてくる。
私が一人で暮らすこのマンションは、学生も何人か住んでいるようだった。
マンションの門をくぐると、エントランスで大学生風の女の子と一緒になった。彼女とはこの時間帯によく会う。今日は男の子と一緒だ。同じ大学なのだろうか。年齢も雰囲気もどことなく似ている。何回か見たことのある男の子だ。たぶん、付き合って長いのだろう。
私が郵便受けを開けて手紙を取り出している間に、彼女たちは先にエレベーターに乗り込んで行ってしまった。今日の二人はなんだか喧嘩しているような口ぶりだった。
上に行ってしまったエレベーターを待ち、私の部屋に入る。暑いのですぐにエアコンを入れる。
花瓶に水を注いで花を生けた。今日買ったのは薄紫のトルコギキョウ。カスミソウも混ぜてもらった。花瓶は青い切子なので涼しげな立ち姿になった。
それから手を洗って惣菜を皿に盛り、グラスを出してカクテルを注ぐ。花をテーブルの端に置いて一人でいただきます、と声に出した。
半分ほど惣菜を平らげた辺りでスマホがラインのメッセージ受信を知らせた。私の最後の独身仲間であったった、りえこからだった。彼女は同じ会社の五歳年上のバツイチ男性と、再来月結婚式を挙げるのだ。今日はその余興の依頼だった。三十も半ばを過ぎると、再婚同士の結婚も珍しくない。それが悪いわけでは全くないが、自分の年齢について考えさせられるようで、私には少し切ない。
『もちろん大丈夫だよ』りえこに返事を送って、料理を平らげてからグラスを持ち、ベランダに出る。
夜風は涼しかった。
ベランダ下の路上から男女の争うような声がした。下を覗き込むと、さっきエントランスで会った二人だった。
彼女は何かに怒っているようだったが、会話の内容までは分からない。彼は彼女を宥めている。彼女はまだ怒ってる。そして持っていたバッグを彼に投げた。彼は前のめりでバッグをキャッチして、そのまま彼女を抱きしめて、キスをする。いいね、若さゆえだな。
このあとは見ないでおこう。私は部屋に入って窓を閉めた。
それから冷蔵庫から白玉ぜんざいを出して、デスクに置いてあるパソコンに電源を入れ、作業途中の文書ファイルを開く。タイトルは『(仮)』。まだこの物語に名前はない。
データは『だって、嘘でしょ』という主人公のセリフで終わっていた。このセリフの続きを考える。
私には、書き残しておきたい物語があった。
もうずっと昔、まだ花のような高校生だったころの私たちの物語。そしてついに一度も好きだと言えなかった彼への、まだ胸の内でくすぶったままの、アレ。後夜祭のキャンプファイヤーのように、燃やし尽くして炭と灰の山を積み上げるために、私は今夜も書く。

ー了ー


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