生まれる。@大阪日赤病院 予定帝王切開

オペが始まりました。

よく、帝王切開では、痛みは感じないけど、触られている感じは残っており、あれこれ触られるのが分かって気持ち悪かった、などと聞いていたのですが、私は胸から下は全く感覚が無く、何が行われているのか、さっぱり分かりませんでした。
かなりしっかり麻酔がきいていたのかもしれません。

さてその麻酔をしっかりキメて下さっている麻酔科の先生は、私の左側にいらっしゃったのですが、オペが始まって程なくして…

ぱりーん!!!

何か落とされたんですけど(汗)

顔を横に向けることが出来なかったので、何を落とされたのか分からなかったのですが、麻酔科の先生、何らかの備品か器具を落っことして破損されてしまった様で、慌てられていました…。
うわーめんどくさい、ちょっとPHS貸してください…あーどうしよう、めんどい事になった…
と、ぶつくさ話しながら、どうしようか考えられている様でした。

私は、とりあえず帝王切開の手術に影響出ませんように…と一瞬ドキドキしたのですが、周りの様子から、オペの進行には関係が無さそうと分かって、じゃあいいわと少し安心。
でも、どうしても左横でのゴタゴタが気になって、自分のオペに集中出来ず…

そうこうするうちに、部長の先生が
「これからお腹押しますからね。ちょっと我慢してくださいね。もう産まれますからね」と言われ
「えっ!まじ!?もう切腹してるの!?全く分かんなかったんだけど!てか展開早っ!」
と驚く私。

本当に分からなかったんです。
帝王切開は相当スピーディーに進行するらしく、気がついたら産まれていた、というケースが多いと後で知りました。

そして先生がぐっぐっぐっとお腹を押され、産まれますよー!と声かけがあり、私も緊張すると…




ほぎゃあ ほぎゃあ ほぎゃあ




という声が、オペ室に響き渡りました。

それを聞いて、それまで割と軽いノリのテンションだった私の目に、いきなり涙がじわっと溢れてきました。
自分でも予期しておらず、自分で自分に戸惑ったのですが、今思えば、やはり様々なトラブルを抱えての妊娠であり、心の底では不安に感じていたのかもしれません。
お気楽なかぁちゃんでいたい気持ちも有ったので、自分で涙拭けないし恥ずかしい…と思っていました。
でも、本当に嬉しかった。嬉しかったんだと思います。

子供が取り出されると、オペ室のスタッフの皆さんが口々に「おめでとうございます!」とお祝いして下さいました。
同時進行で、他のオペ室では生きるか死ぬかという手術が行われていたであろう所、オペ室③は、この時、大阪日赤病院で一番幸せな空間となりました。

子供は看護師さん(か、助産師さん)が、まずは体を洗うとのことで、もろもろの計測の後、沐浴がなされました。

検診のエコーで、頭が小さめ、小顔ちゃんですねと言われていたのですが、やはりそうだった様で、産まれてからも小顔ちゃんだね~と言われていました。
また、低置胎盤+少し早めの出産+私の家系の傾向から、体も小さく、小さくて可愛いね~と言われまくってました。
私としてはどんな子なんだとドキドキしながら待っていました。

そして、手を動かせない私に看護師さんがメガネをかけて下さり、他の看護師さんに抱えられ、キルトのおくるみに巻かれた子供がやってきました。

左側にやってきた赤ちゃんは、当然のごとくしわっしわで、第一印象は、上の子よりも姪っ子に似てるな、でした。

看護師さんに
「お母さん、触れてあげてください」
とうなされ、しずしずと右手で顔に触れました。
まだまだ元気一杯で泣く赤ちゃんは、ひとしきり母親との初めての対面を果たすと、保育器(駒が付いており、動かせるタイプです)に入れられ、8階に上がって行きました。

うちの子は小さめに産まれた事もあり、一旦GCU預かりになりました。
絶賛切腹中の母親を置いてオペ室を出て、業務用エレベーターに乗り、8階の待合で待っていた父親の前にやってきました。
こちらはあまり対面の時間は取られず、そのままGCUへ。

ともあれ、両親とのはじめましては無事に済みました。
本当に色々とありましたが、無事、遂にこの世にやってきてくれたのでした。
そして私も妊婦から産婦にクラスチェンジとなったのでした。

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