遂に入院!② このお産、きっと上手くいくという予感。@大阪日赤病院 予定帝王切開

産科病棟の入り口には机が置かれていました。
入院中の荷物の受け渡しは、ここで行われる様です。
入院の為にやってきた面々は、まずこちらで待機し、順番に目の前のナースステーションに呼ばれました。そこでまず入院の手続きを行います。
私は2番目だったので、しばらく待っていると、助産師さんが来られて、先に体重計りましょうと言って下さり、ナースステーションの入口側の体重計で計りました。
この体重を見るのも、これが最後かな…と思いつつ。
(が!!!!甘いんだよ!!!後々の語り草になるようなとんだビックリが後から起こるなんて、その時には知る術もなく。)

その時に声をかけて下さった助産師さんは、検診の時にも何度か聞き取りや入院手術の説明をして下さった方でした。明るくて波長があうこの方が私は大好きで、わーい♪となりながら測定。

その後、受付で事務の方に、必要な書類を提出したり、書類に記載したりしました。
限度額認定証はこちらで提出しました。

そして助産師さんに連れられて、荷物持ちの母同伴で病室へ。
私は東側の部屋でした。無理を言って前日から個室にして貰ったからか、病棟内の様々な施設に大回りしないと行けない、ちょっと不便な部屋でしたが、調整して頂いたので感謝。

※参考:再び登場、大阪日赤のフロア案内図
https://www.osaka-med.jrc.or.jp/aboutus/f03.html

8階の本館A病棟が産科です。
私は81X号室でした。
図の「本館A病棟」と書かれている真ん中の空間は吹き抜けなので、病棟入口まで行くのには、ぐるっと回り込まねばいけませんでした。
また北側にあたる新生児室から分娩室までの通路は、普段はスタッフオンリーで、入院産婦は通れません。
私は丸2日間GCU通いとなったので、こちらもぐるーっと回らなければいけませんでした。

でも、嬉しかった事もありました。
ちょうど環状線が見える側だったので、小さいながらも、行き交う電車を見ることが出来ました。本当は、電車が好きな上の子に見せてあげたかったなぁ…と思いつつ、入院中は昼夜と眺めていました。
また、実は私、結婚してから4年間、日赤のすぐそばの賃貸マンションに住んでいたのですが(毎日日赤の前を通って、鶴橋駅まで歩いて通勤していました)、母が面白がっていた、お尻の割れ目が少しだけ見える女性の後ろ姿のパステル画風の大きな壁画が描かれたラブホテルがどーんと見えたんです(笑)
母はそこを「お尻のホテル」と名付けていたのですが(なんじゃそりゃ)、お尻のホテルが見えるね~とキャッキャ言いながら、荷物を片付けました
(日赤の皆さますんません、変な母娘で…)

日中はこんな感じでした。ちょうど電車が通ってます。

画像1

夜はこんな感じでした。産科は北向きの部屋は無かったのですが、有ったら繁華街方向なので、綺麗だったかもですね。

画像2

そして、ずっと居続ける母に、いい加減しびれを切らした助産師さんが、「お母様はそろそろ…」と退室を促され、じゃあお産頑張れと母は出てゆきました。
次に母に会えるのはお産の次の日です。

そして入院して初めてのご飯となる昼ごはん。
メニューは豚肉の生姜焼的なメニューでした。いかにも病院食!といった見た目に、しょうがないよね…と思って食べ始めたところ…

ん!これ…!私の大好きな脂身が多い!やったー!

私、脂っこいもの大好きなのです。
(が、検診では中性脂肪とコレステロールが低くて引っ掛かります)
最初のご飯から、脂身登場なんて、幸先良い~!、しかも全体的に結構おいしいやん!とほくほくしながら昼食終了!

そして午後からは、オペ前の説明が入ります。
担当の助産師、薬剤師、麻酔科医が病室に来られて説明と、書類に同意のサインを求められます。

入ってこられたのは、最初に病室に連れてきて下さった、大好きな助産師さん。
聞くと、今回の帝王切開の病棟助産師は、この方が私のご担当との事です。

その時、あぁこの出産のオペは上手くいくという、根拠は無いけど確固とした自信が自分の中に生まれました。

やはり自分の中に不安が有ったのだと思います。
前置胎盤と言われて調べ、分娩時に産婦が死亡したケースで、一番多かった原因だと知りました。
万が一にも備えました。
どこか、安心したかったのだと思います。
そんな私にとって、好きな助産師さんが担当につかれたというのは、本当に嬉しい出来事でした。

今でもあの湧き上がるような安心感を覚えています。
精神的なケアの重要性を実感した出来事でした。



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