開いていく
今日という1日をどうしても言葉で残しておきたい。でも今言葉が降りてこない。どうしよう。
沖縄料理のお店で、友人がアメリカでの幼少期の経験を話している。彼がどう今まで自分の物語を紡いできたのか、生き抜いてきたのかを聞く。
ゲストハウスに戻って、少しベットに横になる。知らない内に寝ていた。意識のどこかで誰かが知らない言語を話している。スペイン語かな。クメール語にも発音が似ている。ちょくちょく知っている単語が出てきて、空港への行き方の相談をしているのかなと思った。
待ち合わせ場所の駅に向かう。彼女に会うのは久しぶりで、6ヶ月ぶりくらいだ。たくさんお店がある中で、大戸屋にしよう!と大戸屋へ向かう。いろんなお店がある中で結局私たちは大戸屋にするんだね。もう何十回も食べた唐揚げ定食と、かあさん煮を頼む。みんなで活動帰りに何回も食べた定食。
彼女の語りを聞く。私は言葉を探す。ずっとその時かけるべき言葉を探している。でもその言葉が見つかることはなく、私は今そこにいる彼女を見つめる。なぜ彼女は私に自身の物語を語ることができるんだろう。それは繊細で、貴重で、とても大切にされるべきものだと感じるから、簡単に言葉をかけることができなくて、どう振る舞ったらいいのか分からない。
たわいもない話をしながら、夜の街を歩く。透明のホテルが多くて、「どうしてホテルを透明にしたがるんだろう?丸見えなのに」と私が真剣に話していたら、彼女は笑っていた。ゲストハウスに戻って、パフェを食べる。「私たち大戸屋にしてよかったね!おかげで安くパフェまで食べられたね!」彼女を駅まで見送って、今彼女に会うことができて心からよかったと思った。
ゲストハウスに帰る。部屋で英語で話している海外のゲストがいて、お風呂の準備をしながら耳に会話が入ってくる。彼らは真剣に将来のことや自分たちの現状を共有し合っていた。ここで初めて出会ったらしい。
朝起きると雨が降っている音が聞こえた。余裕を持って駅に向かう。音楽を聴きながら電車に揺られる。
2年ぶりに会う友人と駅で待ち合わせる。着ている上着が2人ともモンベルのジャンバーで、思わず笑ってしまう。今日の気候にちょうどいいよね。雨も弾くし。入ったサイゼリアの安さに私が感動していると、彼女が笑っている。
今の自分の現状と、考えていることを彼女に話す。彼女は容易く私が自分であれる場を作ってしまう。彼女は今、この瞬間私と共にあるんだな。ジェンダーやセクシュアリティの話をする。気軽にいろんな考え方や経験を共有した。こういう話が自然にできる社会であったらいいのになあと思う。
電車の時間になり、バタバタで別れて、東京駅へ向かう。成田空港行きのバスが出ている付近に向かって歩く。そこへ向かうにつれて海外から来たであろう人たちが増えていき、少しずつ国際的になっていく。
最後に会う約束をしていた友人と合流して、彼女が書いた文章を読んだ。とても力強く、パワフルで、正直な文章で、読んでいて涙が溢れそうになる。彼女は私に会うために必死に宿題を終わらせてきたと言っていた。私に読んでほしいという本と手紙をもらう。
彼女とも別れ、空港行きのバスに乗り込む。東京の夜景を眺める。この世界に向かって自身が開いていく感覚になっていく。1人旅が好きだ。この世界を自分の目で見て、捉えているといちばん感じることができる瞬間。そこに何かが入り込む余地はない。そうやって自分が感じるものや出会う一瞬が、私の中に残るものなのだろうなと感じる。その時意味が分からなくても、心惹かれる一瞬に出会うことがあって、その瞬間を積み重ねていく。
バスに揺られながら、私には同志、戦友がいるんだな、とふと思う。彼らがいれば、私は自分の足で前に進んでいくことができる。生きていくことができる。そんな風に心から思う。ああ、もっと正確にこの気持ちや心の底から湧き上がるものを表現したいのだけれど、どんな言葉が当てはまるのかすら分からない。物語を語るということは人を突き動かす力があると思う。それだけしか今は言葉にできない。
宿に辿り着いて、今日の宿は温泉があるらしいと聞き、温泉に向かう。彼女がくれた手紙を開いて、心にじんわりと暖かいものが広がっていくのを感じた。露天風呂があって、湯気が風に揺られるのを見つめる。この旅のことを書こう、とふと思った。部屋に戻り、書き始める。
明日の予定を調べて、時間などを計画する。今まで直前まで何も調べずに計画せずにきてなんとかなっていることに感動する。本当はもうちょっと計画的に行動できるようになりたいと思う。この旅のことを書いていたら心がドキドキして眠れなくなってしまった。
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