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花環の首飾り

エンジニアの父は
私が幼い頃から長期の海外出張があり、
数えきれないくらいの国へ行っている。

インターネットなんてまだなくって
リアルにエアメールだった時代から。

私のお絵描きを母が同封したりしていたようで、
初めて字を書けるようになったときは
「わたしのてがみはじでかいてあります」
…なーんて送ったりしたようです笑。

父が何ヶ月ぶりだったり半年ぶりくらいに
帰国するときはいつも本当に嬉しかったし
大きなトランクやスーツケースから出てくる
珍しいお土産や外国の土産話が楽しみだった。

いまでこそDFでCHANELやDiorの香水や口紅、
メイクパレットや革小物など
家族それぞれにときめきアイテムを選んできてくれるのだけれど、

子供のころは本当におもちゃ箱みたいな
お土産にワクワクしていたものです笑☺︎

いまはちょっとありえないような
剥製なんてこともあったけど…
ピラニアとかコブラとか怖かったなー汗。。

大きなメキシコの帽子や
グアテマラのサーベルや
クレオパトラが持ってそうな剣や(レプリカ)
オーストラリアのコアラ…
チャイナ服のお人形や
ドイツの青い瞳がパチクリするお人形や
オランダの民族衣装の女の子…
フランスのコインのブレスレットや
マリーアントワネットみたいな宝石箱、
銀製品のちいさなおままごとセットや
木製の可愛い細工がされたおもちゃや
ブルガリアの薔薇の香油にベトナムのポーチ…

今思えばテイストも何も…
ディズニーのイッツアスモールワールドみたいな
多国籍リビングだったな笑☺︎♡

プロジェクトによって
橋だったりダムだったり
産業廃棄物関連だったり
海水を真水に変えるだったり
海水の上昇からのモルディブの護岸だったり…
行く国はさまざまだった。

発展途上国といわれるような国へも多く行ったり、
クーデターや紛争に巻き込まれたこともあったり、
本当に心配したこともあったけれど
私の生活している環境とは全然違う世界の話に、
こどもながらに衝撃を受けることも多くあった。

そんななか私が小学生の頃
10歳くらいだっただろうか…
ある国から
父が久しぶりに帰国して、
お土産を開けながら色々な話を聞いていた。

最後に父がそっと取り出したのが、
小さな生花でできた花環の首飾り。

いまでこそ発展しているけれども
当時のその国はダッカという首都でさえも
まだ裸足で物乞いをして生きる
小さな子供たちも多くいたそうだ。

日本人だったり外国人が来ると
野道の花を摘んで作った花環を
買ってと言って来るのだという。

リクシャーとよばれる人力車に
父が乗っていたとき、
幼い女の子が
「おじちゃんお花買って」
というようなことを言って
走って追いかけてきたそうだ。

その時に買うことはたやすいことだけれど
スタッフの助言やさまざまな葛藤もあり、
最初は買わないようにしていたのだそう。
でもリクシャーをずっと走って追いかけてくる
当時の私よりも幼い少女の姿に
結局最後はその花環を買ったのだという。

2キロ位の距離をリクシャーで走り
買い物をする間に待ってもらい
また2キロ位を戻るので5円程の時代だったという。

数十年以上前のこと。
シンガポールだってドバイだってバンコクだって
この何十年で急成長して発展しているけれど
1970年代にはまだ蛇使いがいたり
今とはまだ全然違った世界だったそう。
でも考えてみれば
戦後のこの日本だってそうですよね…。

とにかく当時の私は
自分の暮らす環境とはまるで違った
想像もつかないような世界があって、
自分よりも小さな少女が
ただ今日を生きるためだけに
必死で暮らしている。
そのことがものすごくショックだった。
何かしてあげたいけど何もできなくて、
花環の首飾りをまえに泣いてしまった。

あれから30年以上も経つけれど
自然とドライフラワーになった花環は
いまも私の現在の自宅にあります。
入れてあるのは別のベネズエラの木箱だけど、、

時々確認するように木箱を開けてみては、
これを父に売った少女は
いまどうしているのだろうかと思ったりする。

この何十年の世界の変化は
めざましいものがあるだろう。

だとしても、
この日本の
この時代に生まれたことは
恵まれたことなのかもしれない。

少なくとも
暢気な小学校の低学年だった私には
それはとても衝撃的なことだった。

以前に宿命と運命の話を書いたけれど、
運命は自分の在り方で変えられるけど
宿命は選ぶことってできない。

いつの時代にどこの国に生まれるのか…

罪のないひとたちや幼いこどもたちが
飢餓や紛争で命を落としていく国もある。

青臭いことを言うようだけど、
胸が痛むけど微力すぎる私は
どうしたらよいかわからない。

自分だって
とてもつらいことや悲しいことに遭遇したり
もう二度と立ち直れないような気になったり
生きているといろんなことがある。

悲しみは比べるようなものじゃないし、
どんな悲しみだって、
悲しいものは悲しい。

無理に作り笑顔で感情にフタをしたり
平気なフリをしたりして前進しないで
燃え尽きて気が済むまで感じきったほうがいい。

不完全燃焼でくすぶった気持ちは
何かのタイミングできっとまた顔をだして
再燃したりするから…。

もうぐちゃぐちゃになるくらい泣いたり
もう一生ベッドの中から出たくないと思ったり
そんなときだってあっていいと思う。

でも泣き疲れて飽きてきてすこし落ち着いたら
何も考えたくないけど
ちょっとコーヒーでも飲もうかな
なんかおなかすいてきた気がする
久しぶりに外の空気吸いたくなったな…とか
ひとつひとつ一歩一歩自然に歩めばいい。

そんなときに、
絶望の淵にあっても
屋根があり
家があり
水が出て
電気もあって
あたたかいお風呂に入れて
フカフカのお布団があって
食べ物に困ることもない…
家族がいてくれて
選択肢があって
今日生きるのに不自由することもない…

悩みにちっぽけも何もないけれど、
生きたくてもそれすら難しいひとがいる世界で
自分は有り難いことにも生かされていて
自分次第で選んでいくことまでもできる。

それを思いだすと
世界平和のために尽力はできないけど
せめて有り難いこの環境に感謝をして
愛しい命を全うしよう。
そんな気持ちになります。

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写真が何ですみません♡

Love from aya

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