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運命の列車はどこへ ~『映画 鬼滅の刃無限列車編』を観て~

 久しぶりの投稿となってしまった。

 ブログをお休みしていた間に、世界情勢は本当に大変な局面を迎えている。未来が全く見当つかない。


 そのような中で、遅ればせながら『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』を観た。ストーリーは、無限列車という汽車に鬼が現れるという情報から、主人公の炭次郎他鬼殺隊のメンバーがその列車に乗り込み、闘うというものだ。今回の鬼は、乗客や鬼殺隊ら人間を眠らせて、夢を見せている間に食い殺してしまうという魘夢だ。人間の無意識の深層心理や夢をコントロールしてしまう鬼なのだ。


 まず、無限列車が、観ていても行先など全くわからないミステリアスな列車で、どこへ向かっているのか、どこにたどり着くのかわからないため、不安を駆り立てる。そういえば、列車という舞台は、常にそうだ。『銀河鉄道の夜』『銀河鉄道999』・・・どれも列車は、宿命の旅、運命の旅、生死を分ける旅・・・すなわち、心の旅を乗せた人生の縮図のようにしばしば描かれる。又、『オリエント急行殺人事件』や、多々ある第二次世界大戦下ナチスを描いた映画などでは、ユダヤ人がホロコーストへと送り込まれる長距離列車のように、乗客全員が運命共同体となって、何処へ向かうかわからない恐怖感、先の見えないミステリー感を煽るのにうってつけの舞台としても描かれる。


 そもそも、列車とは、近代社会の発展の象徴、産業や工業の革命の象徴だったといえる。列車の誕生は、初めて人間の長距離移動を可能とさせ、そこからレジャー産業もさかんとなり、人々の意識や価値観を変えた。新しい場所を見て旅行して、更に、余暇を楽しむ余裕を持ち、それは『坊ちゃん』『風立ちぬ』などの作品中でも登場して象徴的に描かれるように、夢や憧れ、旅情や出会い、旅立ち、出発を表すものだった。列車の誕生は、人間に、変化に対する希望や、視野の広がりといったようなものをもたらしてくれたのだ。


 しかし、『鬼滅の刃 無限列車編』でも描かれるように、夢は、良い夢にも悪い夢にもなりうる。夢と悪夢は裏腹で、列車が一体とこへ向かうのか誰一人わからない、行先の見えない不安定さというものも、移動することには内包される。それはまるで、今、テレビで観させられているウクライナ難民の旅路のようである。しかも、映画では、鬼と列車が一体化してしまう。鬼が列車であり、列車が鬼そのものなのだ。いつ、どのタイミングでそれが行われたのかはわからない。だが、確実に、旅、ロマン、近代化・・・それらが、今、悪の権化である鬼へと変わってしまおうとしているようではないか。夢が詐取され、良い夢から悪夢へと支配され、そのまま列車は止まる事を許されず、走り続けているではないか。

 

 今、私達は、行先のわからない不安定な列車に乗っている運命共同体の乗客のようなものかもしれない。「心を燃やせ」「悪夢を断ち切れ」と映画はうたう。実際、乗客全員の命は守られ、鬼は敗けて消え失せる。しかし、今、現実はどうか。見たい夢から覚めて、現実に真剣に取り組まなければならない。人の情熱は、列車の行先きを変えられるのか。再び夢見られる時は来るのか。或いは、2022年、私達は、どのような列車に乗り込み、どのような夢の中にいるのか・・・

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