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こうしてハガネの心臓はつくられる

たー坊が生まれてからこの9ヶ月、たー坊とほぼ24時間行動を共にしてきた(正確に言うと、たー坊が退院してからだから7ヶ月と半分くらい)。さすがにいつも常にずっと一緒なので、この環境にも慣れてきた・・どころか、段々感覚が麻痺してきている。水戸黄門にとっての杖、いや助さん角さんのように、のび太くんにとってのドラえもんのように、そしてハンバーグにとっての人参のグラッセのように。一緒にいるのが空気のように当たり前で、いなくなると楽なはずなのに何だかソワソワして落ち着かない。

先日、都内の歯医者さんに急遽いくことになった。ラッシュの時間にかかってしまい、緊急事態宣言も出ていたのでたー坊は旦那さんに預けることにした。移動の往復も含めて3時間超くらい。預けて家を出て駅に向かっている頃から自分の目の前が何だかスースーして落ち着かない。ふと気になって仕方ない。今何しているのか、水分はとっているか、ちゃんと寝ているか、お腹空いて泣いていないか、タオルケットはお腹にかかっているか、家の鍵は施錠されているか(確かかけた)。そして段々主語が旦那さんに変わってゆく。旦那さんはちゃんとそばでたー坊を見ているか、見ているだけでなく、泣いたらあやしているか、旦那さんは鼻ボコちょうちんで一人寝入ってないか、旦那さんはたー坊をちゃんと抱っこできているか、旦那さんは抱っこしたまま眠りこけてないか・・などなど。旦那さんはたー坊を溺愛して止まず、性格も穏やかで包容力も抜群なのだが、如何せん大らかというか、のんびりというか、細かいことをあまり気にしないというか、たー坊のお世話という文脈では要するに不安が尽きない。

たー坊が生後3ヶ月ごろのとき。ある夜、「部屋で休んでていいよ、たー坊は俺が見ておくから。ゆっくり休んでおいでよ」とかっこいいことをいう旦那さん。こんなセリフ、惚れてしまう!旦那さんの良さを再確認し、旦那さんの気遣いに甘えてルンルンで部屋に行き休むことに。寝ていたら、ふと超野太い泣き声が聞こえてきた。最初はお隣さんかなとか思っていたけど、よくよく聞くとどう考えても声の主はたー坊。幻聴かなと思って耳を澄ますとやはりけたたましい泣き声が。休んでいいと言ってもらえた手前、ここで私がしゃしゃり出ていくのもな、とグッと20分ほど耐えに耐えた。ところが全然泣き声は止まない。我慢できず、寝室を出て旦那さんたちのいるリビングへ行き、「大丈夫〜?」と可愛らしい猫撫で声で恐る恐るドアを開けた瞬間。

私の目の前に入ってきた光景は、たー坊を抱っこしながらソファで眠りこける旦那さんだった。あんぐり。ソファに座りながら爆睡の旦那さんと、旦那さんのかなりの角度の斜面に自らの体を預けずり落ちながらギャンギャン泣いているたー坊。もちろん首座り前だったので、首の角度はおかしいくらい傾いて曲がっていた(しかもダウン症児は筋肉の緊張が低く、関節が柔らかいので首や足がすごい方向に曲がったり開いたりする)。自分の胸の中でこれほどギャン泣きしている我が子に気づかずに眠りこけるって一体どういう神経なのだろう。怒り心頭で旦那さんを叩き起こしてたー坊をもぎ取ったことは今でも鮮明に覚えている。そして旦那さんを信じて20分寝室で耐えたことを深く後悔したことも。

その時は旦那さん不審に陥りそうになったが、その後、Daigoさんと北川景子さん夫妻が同様のエピソードを話しているのをテレビで見て、どの家庭もこれが現実なのか、と腹落ちさせた。

ということが子育て開始後すぐにあったので、旦那さんを信用していないわけではないが、何というか常に不安が尽きないというのが根底にある。そういう前提なのでたー坊with旦那さんの3時間超はなんとも不安しかない時間だった。そしてたー坊がいないことでもうひとつ気づいたことがある。

それは、たー坊がいないと、電車に乗っていても誰からも話しかけられないということ。たー坊が生まれる前はこれが当たり前だった。むしろ見知らぬ人から声をかけられたら、なんて想像したらちょっと怖いと思っていた。

でも、たー坊が生まれてから、たー坊と一緒に電車やバスに乗ると本当によく声をかけてもらえる。しかも老若男女問わず。小学生の男の子がたー坊のベビーカーに近寄ってきて、「今何歳?僕もこの前弟が生まれたんだ」なんてことも。おじいちゃんおばあちゃんからは「あらぁかわいいわねぇ」と褒められたりする。若い男性からは「可愛いですね。席どうぞ」と席を譲っていただくことも。たー坊がくれる人との温かい繋がりを通して、世知辛い世の中と言われているが、捨てたもんじゃない、とほっこりすることがとても多い。ちなみに、旦那さんはそれに気付いているのか分からないが、外を歩くときは必ず「自分が抱っこする」「自分がベビーカーを押す」と頑なで、可愛らしい若い女性やノリのいいおばさま、優しそうなおじいちゃんおばあちゃんたちに自分から話しかけては会話を楽しんでいる(本人曰く、声をかけているのではなく、声をかけられているそう)。

普通であれば、これでハッピー&御の字なのだが、我が家にはこれに「たー坊がダウン症」と言うオプションがついてくる。そうすると、こちらのコンディション次第ではいろんなドラマチックなことが起こる・・ような気がする。

例えば、たー坊が生後半年たった頃、スーパーでおじいちゃんに声をかけられた。今生後何ヶ月かと聞かれて半年と答えると、

おじいちゃん:「半年なら首座っているよね?」

私:「いえ、まだなんです」

おじいちゃん:「いやいや、半年なら座っているでしょ。ね?ね?」

私:「ええっと・・そうですね」

と、首座り認定スタンプを押し売りされた。

またある時は、ランチで入ったお店にて、

店員さん:「生後何ヶ月ですか?」「2月うまれですか?」

私:「ええ・・っと・・いや、今8ヶ月ですね」

店員さん:「へー、そうですか・・」

なんてことが起こったりする。なぜ2月生まれかと問われたのかよくわからないが、こう言う時に「ダウン症の子は、発達が遅いから月齢の半分くらいに勘違いされるんだ、やっぱり。。」なんてもやっとしたりする。

そのほかにも、生後半年以上経つのに「生後1ヶ月でしょ?」と大きくサバよみをしてもらったり、「女の子ね?」と言われたりもした。以前ブログに書いたように、特に「月齢を問われた時にお互いがハッピーに終わる対処法」に関しては悩みが尽きない。

まず、自分のコンディションが良いもしくは悪くない前提で、明るく本当の月齢を伝える、と言うのが私の今の基本的スタンス。一方、自分のコンディションがあまりよくない場合は決して無理はぜず、雰囲気を壊さない感じでその場からスススと離れるか、「同調」に尽きる。

これまた以前、たー坊の定期検診に行った帰り道、隣の席に座ったおばあさまから声をかけていただいた。その時は、たー坊が眠い時間真っ只中で珍しく電車内でぐずり、ギャン泣きをしていた。最初は一駅ごとに降りてあやしていたが、埒が明かないので、たー坊を片手に抱っこして、もう片方でベビーカーを押しながらヘトヘトで電車に乗った。たまたま空いてた優先席に座ってたー坊を抱っこしてあやして落ち着いてほっとした次の瞬間。隣のおばあさまがたー坊を覗き込んでくれた。そして、「今何ヶ月?」と。「6ヶ月です」と答えると、「ええ、6ヶ月なの。その割には大きすぎじゃない?こんなもんなの?」と。病院の待ち時間と&たー坊のクレーム対応で疲労困憊だったので、「えーっと、うーん、そうですね、そうかもしれないですねー」とお返事をした。お礼を言って次の駅で降りて、次にきた電車に乗り直した。お互いを傷つけず、自分も無理をしない戦法(少しダメージは受けている・・)。

でもこれ、よく考えたらたー坊は本当に本当によく話しかけてもらえるので、こんなことをやっていたらいつまでも家に帰れないし、効率も悪い。心臓にも悪いしストレスも溜まる。そして、段々このやりとりにも慣れてきてこちらも貫禄がついてきた。いちいちメソメソしている場合ではない。「今何ヶ月?」と言うのは、要するに「どちらのご出身ですか?」と聞かれているのと大差なく、「生後○ヶ月くらい?」と聞かれるのは、「今日は暑い/寒いですね」と言われているのとほぼ同義だ。自ら質問するからには何かヒントと言うか、ワンクッションと言うか「ちゃんと仮説を立ててますよ」という意思を提示しないと、と言う質問者の配慮の現れだ。日本社会における素敵すぎる気遣いなのだろう。さすが。

そう思うと、月齢や体格、発達に関したやりとりに毎回衝撃を受ける必要はない。単純に人とのコミュニケーションを楽しめばいいんだ。そんなふうに思えるようになった矢先のこと。

記憶に新しすぎる一昨日、これまたたー坊の病院で中央線に乗った。乗り換えのためにホームからホームへ移動するエレベーターに乗り込んだら、後ろから60−70代くらいのおばさまも乗り込んでこられた。そして、たまたま寝ていたたー坊のベビーカーを覗き込んで開口一番、この一言。

「あらぁ、太っているわねぇ。」

「・・・」

予想外だった一言はあまりにも衝撃が大きくて言葉の威力も半端なく、一瞬状況を理解できなかった。

「フトッテイルワネェ」

エレベーターという箱の中での一瞬の出来事に、どうにか絞り出したのは「あ、ありがとうございます、そうですねぇ」というなんとも間の抜けた返しだった。

家に着くまでも着いてからもずっと「太っているわねぇ」が頭から離れず、夜通し考え抜いた末に至ったのは、恐らくあのおばさまの時代では、大きい赤ちゃんが良しとされていたということ。太っているというのは、ちょっと言葉のチョイスミスではあるが、要は言いたかったことは「太っている=順調に成長している、健康である、元気である」ということ。たー坊は、インパクトある言葉で盛大に率直に褒められたのだ。

犬も歩けば棒に当たる。たー坊と歩くと岩にも当たる。段々慣れてきたと思っていたたー坊との生活は、日々刺激が多くて、飽きることがない。

【ムチムチな足のせい?↓】

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【本日もごきげん↓】

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