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神社の御祭神

神社にはそれぞれ御祭神が祀られている。

伊勢の神宮なら、天照大御神

出雲大社なら大国主命

などなど。

この、御祭神とは古事記や日本書紀などの日本神話に出てくる神々の名称である。

では、例えば天満宮の御祭神は菅原道真であったり、

八幡神社の御祭神は応神天皇である。

日本中に多くの天満宮や天満神社、八幡宮や八幡神社があるけれど、応神天皇も菅原道真も、実在した人間であり、人間が神としてお祭りされていることになる。

靖国神社は近代に起こった戦争で亡くなった御霊を御祭神としてお祀りしている。

であれば、お仏壇の中でお祀りされているおじいちゃんやおばあちゃんも神様ではないのか。

という疑問が浮かぶと思う。

日本では、神を祀ることについて二種類の動機がある。

一つは、働きの力の加護を得るため。

例えば伊勢神宮でお祭りする天照大御神は、各地の神宮や神明社でもお祀りされている。

天照大御神の御神徳は、日本の国の守神であること、太陽のように照らす神であることから、広く護る働きがあることがわかる。

出雲大社の大国主命は、各地の住吉神社などでもお祀りされており、日本の国の基礎を築いた神であることから、創り固め成すという働きがあることがわかる。

もう一つは祟りを鎮めるため。

天満宮の御祭神、菅原道真は無実の罪で流罪の憂き目に遭い、祟ったことから神として祀られてたという。このような祟り神を祀ることは、平安時代などによく見られている。無実を晴らしたことを多くの人々が祈ることで、その無念を解消させるというもので、人の祈りの持つ力がそこに示されている。

因みに菅原道真は大変頭の良い学者だったため、御神徳として頭脳明晰の加護が得られるとし、受験生の合格を祈る神社として人気がある。

働きの力が顕著であれば、御祭神として神社に祀られることが人間であっても可能であるが、元々日本には「人間は死んだら神になる」という考え方がある。

亡くなったご先祖は御霊屋に祀り、節目の年ごとに「○○年祭」という個人を偲ぶお祭りを行い、地域によって年数は異なるが、およそ50年で「祭り上げ」としてその一族の子孫を代々守ってくれる神としてお祀りすることになる。

神社の御祭神になるのは、よほどエネルギーが強くてその働きを広く人々に渡せる場合であるが、そうでなくても人は全て、生まれた家または嫁いだ家の守り神として神様になるというのが、日本人の古くからの考え方である。



日本では、八百万の神というように、野も山も太陽も月も花も石も人も、全ては神なのである。