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ラジオは親近感

ラジオは好きだろうか。
僕は好きである。
高校2年の冬に聴き始めてから現在に至るまで、聴き続けている。
一番最初に聴いたラジオは『霜降り明星のオールナイトニッポン0』。
世代だなと感じる方もいるかもしれない。霜降りチューブを毎日見ていたので、霜降り明星は好きだった。僕にラジオの世界を教えてくれたのは霜降り明星だ。
僕の初めてはハゲと包茎に奪われた。

ラジオというモノに全く触れてこなかった訳ではない。中学3年の受験期に父に塾まで送ってもらってた車内でTBSの『東京ポッド許可局』というラジオが流れていた。だが、その時はまだラジオの面白さに気づいていなかった。
しかも当時はTWICEに激ハマりしていたので、主にTWICEの曲を聴いていた気がする。ラジオの面白さを知るには、まだ早かった。

初めてが霜降り明星のラジオだったからこそ、面白いと感じたのかもしれない。このラジオは、関西弁特有のテンポと漫才のような掛け合い、それに加えてせいやと粗品の人間性がもろに出ている。2020/6/19の放送ではせいやのzoom事件後だったが、訳の分からないコーナーで2時間乗り切った。まさに伝説の回となった。

ラジオという媒体はテレビなどに比べると小さなコンテンツである。だからこそ、パーソナリティとリスナーの距離が近く、リスナー含めて一つの番組を作っている。これがラジオの良さだと思う。昔は芸人の秘密基地みたいな感じだったが、現在ではどんな些細な事でもネットニュースになる。だから、秘密基地感みたいなものは薄れている気がする。だが、Twitterなどでは毎回の放送終わりにリスナー同士で盛り上がる。こういった内のコミュニティがラジオらしさだと思う。星野源さんが言っていたのだが、ラジオはどうしても内輪ノリになりがちである。だからこそ、その内輪ノリを広げていくことで重要である、と。まさにその通りだと思った。

大学でラジオを聴いていると言われると、勝手に親近感が湧く。ラジオを聴いているというだけで良い人なんだなと思ってしまう。将来が心配だ。
ラジオ好きというのは出身が同じような感覚に近いと思う。住んでる地域が違うだけで、別の県で会って出身を聞いた時に、「え、君も○○○に住んでたの!」と、親近感が湧く。それに聴いている番組まで同じだったら、住んでいた地域まで同じだった感覚に近い。まさに同郷だ。ラジオが持つ力は、こうした親近感だと思う。

今日もラジオを聴いた。土曜日だから、昨日の25時に放送した『霜降り明星のオールナイトニッポン』。オープニングトークで45分近く喋るのはこのラジオの形になっている。最近はマスクをしていないから、電車の中で聴くと普通に笑いそうになる。自分では気づいていないだけで、ニヤニヤしているのかもしれない。たまに、電車内でradikoの画面になっているスマホを見つけると、どんなに知らなくても親近感が湧く。

また明日も同郷の人を見つけてはニヤニヤするのだろう。

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