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普通ってどれ?

普通って何?
普通ってどれ?

随分前に
今で言うと、
発達障害と言われている児童を
担任したときに
毎日考えていました。

その当時は、
発達障害や
自閉症スペクトラム症
についても

まだまだ
分かっていることも少なく、
教育現場でも
混乱していることも
多々ありました。

それでも、
私は、
その子を
私たちの感覚で
評価することはしないことに
決めました。
いいえ、
そう決めないと進めませんでした。

本や専門家からたくさん学びましたが、
自転車操業みたいな毎日でした。
それと、



事件は
本の中やクリニックで
起きてるんじゃない!!
現場で起きてるんだ!!




もう、
その子に学びながら
一緒に進んでいくしかない
そうしないと
おっつかない!!


切羽詰まっていました。

毎日がジェットコースターに
乗っているような気分です。

勿論、楽しんでる余裕なんて
1ミリもありませんでした。

乗っては降りて
降りては乗ってですもん。

乗り物酔い状態で帰宅する毎日。

自宅に戻っても、
採点などの細かい事務仕事が
あるから、
寝るのは毎日深夜。

恋?
そんなもんする暇あるかい!!
このボケ!!
って言ってしまいたくなるくらい
プライベートは
やさぐれたまま…
その後、結婚退職するまで
仕事に追われる毎日でした。

ここで半分くらいかな。
教師だったころのことを
書くと、止まらなくなりますw
オチやまとめが必要な方は、ここでお別れです。
ありがとうございました。

その子には、
知的な遅れはなかったので、
会話も成立するし、
机上の学習では特段
私も本人も
困ることは少ないのですが、

独特なこだわりや感覚がありました。
あと認知のバランスも
あまり良くなくて・・・

本人も周りも
そのことが原因で困っていることが
多かったです。

一番初めに困ったのは、
家庭科などの
「初めての体験」

例えば、
⇒日本茶を入れる
⇒洗濯する

ほとんどの子はね、
経験がなくても、楽しんでやるんですよ。
でもね、
そういう子は怖いんだと思うんです。
初めてが、恐怖なんでしょうね。
感覚も過敏だったのもあるでしょう。

だから、教室からいなくなる。
これには参った・・・。
その子のためだけに、
教室を離れられないから…

その子を見ていてくれる人や
その子に個別に対応してくれる人が
誰もいなかったから…

(今の教育現場ではあり得ないw)

苦肉の策で、
取り敢えず、
その場は、その子の好きなようにさせておいて
放課後に「おいで」と言ってみました。

来ないだろうって思っていたけれど、
毎日のように来るようになりました。

その中で、
この子の普通って何かな~って
ずっと考えていました。


今でも、忘れられない子です。

ある日の放課後、
家庭で嫌なことがあったみたいで
ひとしきり、
父親や母親のことを
ぶつぶつと何か言っていました。

その日は、
私にも他の児童のことで
会議があり…
時間がありませんでした。

当然、当時の働き方は
ブラックもブラックですよw

私達教師には、残業手当なんてありませんw
給食時間も休み時間も指導時間です。

そして、事件はおきた

学校は
評価の時期などには
残念ながら、
校内は立ち入り禁止になります。


その子に寄り添ってあげたくても
時間というものは限られていることを
どう理解させようかと試行錯誤の日々。

さらに、
毎日のようにやってくるその子を
快く思わない同僚もいます。

毎日のようにやってくるその子を
受け入れている私へ
批判や批評をぶつけてくる
同僚もいました。

なので、
〇時までは付き合えるけれど、
〇時になったら、帰ること
という約束を毎回していたのです。

それなのに、
その日は、
帰りたくないと駄々をこねはじめました。
しかも廊下で駄々をこねはじめました・・・。

小学校高学年の駄々こねを初めて
目にしました。

正直、可愛くはないw

私の身長と
さほど変わらないその子を
どうすることもできずに

ちょっとの間
そっとしておくことにしました。

落ち着くかなと思ったのは
甘かった・・・。

相手にされないことに
苛立ち

ついに、
廊下の窓ガラスを開けて
「死んでやる!」と
叫びました。

その声を聞きつけて
同じ階の教室で仕事を
していた何人かの
同僚が廊下の様子を
見にやってきました。

「何してるの!?」
「やめなさい。」
「もう、帰りなさい。」
そう声をかける同僚も
いました。

その子は、ますます
感情的になります。(汗)

これ以上は・・・と
私は、
大きく息を吸うと、

「そこから飛び降りても
 死ねません。
   ただ、骨折はするかもしれません。
   骨折とは、骨が折れるということです。
   骨が折れたら、とても痛いです。
 場合によっては、
    救急車を呼ばなければなりません。
 警察の人も来るかもしれません。
    あなたがとても痛くて、
    あなたがとても困ったことに
    なります。
  意地悪で言ってるのでは
  ありません。」

できるだけ淡々と言いました。

すると、その子は
窓を閉めて
鍵もかけ直して
その場から静かに離れて
帰っていきました。

自分の対応が適切だったのかどうか
今でも時々思い出します。

幼少期に経験するべきことを
追体験しようとしていたのかも
知れません。

長くなってしまいましたね。
残りわずかです。

その年の暮れ、
私は外科手術のため入院しました。
入院中に、
子ども達からの手紙をもらいました。

ガンの疑いでの手術だったので、
子ども達は、こわごわ手紙を
書いたのでしょうねw

「早く良くなってね。」
「頑張っているから心配しないでね。」など
私のことを気遣った言葉たちを目にして
子どもたちの成長を感じました。

手紙の束の最後に
「良くなってもどっちでもいいから
 とにかく早く戻ってきて。」
怒ったような文字がありました。
その子の手紙でした。

病室でひとり、思わず笑ってしまいました。
そのたった数分前に、
病理検査の結果を知らされたばかりでした。

ガンではなかったと知ったばかりでした。

でも、正直仕事がハードで
ましてや、
同僚にも理解されず
「休みたいなあ~」って
どこかで思っていたので、

今思えば、
入院は、
神様から与えられた
「合法的な休み」になったのです。

そして、
絶妙なタイミングで
「戻ってこい」と
言うその子の言葉に
神がかったような…
何かに導かれているような
不思議な気持ちになりました。
(勿論、神も仏もないと思うような
 私でしたがw)

アンバランスで
困ったちゃんだったけれど

私に「ふつう」とは何か
とことん考えさせてくれて、

私が教師として何を
大事にしていかなくてはならないのか
教えてくれたのは、
その子でした。

そして、
必要としてくれるところで
頑張れる強さを
与えてくれたのも
その子でした。

その子と一緒に
卒業していった子どもたちも
私を支えてくれました。
私を理解し協力してくれました。

私は
教師になって
教えてもらったことは
たくさんあるなとつくづく思います。



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