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誰も知らない

そもそも5次元の世界を体験するなんて・・・
目に視えないものが視えるなんて・・・
あり得ないでしょ。

そう思う方に
私は反論する言葉が見つからない。
私自身も、
未だに疑問に思っていることがあるからだ。

もしかして、
私の脳を調べたら、側頭葉か松果体がどうかなっていて
幻想をみているだけなのかも知れない。
脳の異常な活性によるものだったという
ことだけかも知れない。
とも思う。

でも、私は
頭を打ったとか、幻想をみるような薬を飲んだとか
まったくもって見覚えがないし、
家族に聞いてもそんなことはないという。
どこも痛くないし、病気でもない。
いたって健康である。

話はぶっとびますが、
宇宙の創生の謎について、
素粒子物理学者の高橋徹さんが何かのメディアで話していたのですが、
いくつかの理論を丁寧に説明してくれた最後の結論は、
現在、宇宙についてのほんの5%しか分かっていないということでした。

だとしたら、私たちの身体の宇宙である脳も当然、
分からないことはまだまだあるだろうし、その不思議を解明することも
非常に難しいことだろうと思うのである。

「視える」ということを証明するのが難しいように、
「視えない」ということを証明するのも難しいだろう。

つまり、
私は、難しくて複雑なこのような解明に取り組むよりも、
自分の体験を言語化して、楽しんでみようと思ったのである。

私は、仕事を通して
30歳を過ぎて、ようやく
体験的・感覚的に物事を進めた方がコスパがよいと気付いたので、
今回のこともそれを採用することにしただけである。

出版しといてなんですが、
このような体験を書籍にするメリットは
今のところ見当たらない。

ひっそりとブログに書いていたものを
面白がってくれた友人達の勧めが大きい。
私のこの力に価値を見出してくれた心の友に
感謝している。

「視えない存在」がいるかもしれないと
思うと、
「視えている世界」の可能性が
今の私には感じられる。

今朝、低い雲の隙間から
メッセージが届いた。
上から目線ではない
慈愛が感じられた。
「あなたらしい1日を大切にね。」
という
ごく当たり前の言葉だった。
でも、私らしい1日って何?
私にとって大切にするってどういうこと?
さて、今日の私の可能性は何だろう?



 





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