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コラム『玉串を奉奠(ほうてん)するということ』

神社で正式参拝をすると、大抵の場合玉串奉奠(たまぐし ほうてん)を行なうことになる。この際、玉串として使用するのは榊(さかき)が一般的だ。

榊は神社では勿論のこと、家庭でも神棚に添える植物としても使用されている。ツバキ科の常緑樹で温暖な山中にも自生している木だが、そもそも何故、この植物が神に通ずる木となったのか。

それは、日本神話から始まっている。

スサノオの暴挙に胸を痛めたアマテラスが、天岩戸に籠もられてしまった際、八百万の神々が天安河原で相談し、天岩戸の前に祈りが通じるよう榊の木を立てて、そこに霊力の強い勾玉や鏡を取り付けたことでアマテラスの出御を仰いだという。
結局は、アメノウズメの躍りに賑う外の様子が気になり隙間を空けた瞬間、タジカラヲによって岩戸が開かれるのだが、神代の時代から祈りが通ずる木とされているのだ。
しかし一説によると榊という文字は後から付けられたもので、その樹木そのものは人と神々の境にある木から「サカキ」と呼ばれていたともいわれている。

それでは、なぜ榊を玉串と呼ぶのか。
それも諸説あるようだが、ある神社の神主さんは「魂(たま)の串(くし)」だからではないか、と推察していた。
人間の魂と神とを一つに結ぶ為の串。人の魂が真に祈りを捧げ、神がその祈りを受け取り一つに結ぶ為の串ではないか、というのだ。

神の拠所となるものに、神籬(ひもろぎ)というものがある。神社や神棚以外の場所で祭を行う際、臨時に神を迎えるための依り代となるもののことをいう。古代から神は木や岩などに宿るものと考えられてきた。今でも神を招くために一定の場所を囲い榊を垂直に立てて神の依り代とするのが神籬である。

玉串は、受け取った後神前で軽く掲げ、垂直に立てて祈った後、枝を己のほうから神へと差し出すという作法で行なう。

この垂直に立てて祈るとき、玉串を持つ人は、まさに神籬の状態となるのではないだろうか。

そして奉奠(ほうてん)というのは、謹んで供えるという意味から、神籬となった状態から玉串を手放し、神にその祈りを聞き届けて頂く為に行なうものだ。

玉串を奉奠するということは、祈り人の魂を神に供える行為といえるのだろう。

神社で改めて玉串奉奠する機会があれば、己が神籬の状態(神の依り代)になっていると思ってみて欲しい。きっと畏れ多くも有難い気持ちになることだろう。

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