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強いことばを使うということ(錦織一清さんの使う言葉への所感とラブレター)

※大前提として私は錦織一清さんではないので本当の心はわからない。
またこの文は全ファンの代弁と言ったモノではなく、あくまで一ファンのあやとうの所感です。


錦織さんはよく自らを馬鹿と称すし、老害発言がバズりネットニュースになった。

ファンがその発言に一喜一憂しているのをSNSではよく目にする。
あれだけ才能があり、活躍しているのになぜ自らを馬鹿と称するのか、決して老害ではないのになぜそんな事を言うのかと…

しかし、私は思う。

錦織さんは心から自らを馬鹿や老害だと思っているわけではない。
これは『フック』では?

そう感じる理由は今までメディアを通して見た錦織さんの姿勢と、もし私が彼だったらどうするかを考えた時腑に落ちるものがあるのだ。

私は『つかみ』のある言葉が好きだ。
あまり行儀が良いとはされない言葉を使うし、良いことではないとしても発言や文章に面白さを出しやすいから。
『オチをつける』ことに感覚としては近い。
私の話から錦織さんに視点を戻す。
彼は今までメディアに出ている姿として、相手を笑わせるためにオチをつける姿勢がとても多く見受けられる。
それはエンターテイナーとしてのサービス精神から成るものである。
彼が心底愛するステージの世界に興味を持たせるにはということを考えないことはありえない。
ステージの世界を愛しているだけではなく現実的にはチケットが売れないと利益が出ず、作品に関わる人全ての生活が揺らぐことになるという現実的な観点もあるだろう。


強い言葉を使うということは悪いことでもしてはいけないことでもない。
言葉には全て意図がある。その上で効果的な伝え方を我々は試行錯誤する。

ファンの我々ができることは、強い言葉で目眩しを受けることではなく意図を読み取り、彼の心を知ることだけだと思う。
無論意図を読み取れても、その意図に賛同するかどうかは自由だ。

ファンだからといって全てに賛同する必要はない。
強い言葉を使う彼に賛同できないというのであればそれも自由である。
ファン活動というのは料理に例えるとビュッフェで良いと思う。
ビュッフェで出ている料理を全て食べるとお腹が膨れすぎて身動きが取れなくなる。食べたいものを食べたいだけ受け取れば良いのだ。

私はこれからも強い言葉で彼らへの愛を叫ぶだろう。
少年隊が知られ続けるためには新たなファンの獲得が必要だし、そのためのフックとして悪目立ちだとしても声を上げていきたいと思っている。

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