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おてがみのこと

推しに手紙を書きますか。
わたしは書きます。多い時は1日2回書きます。マチソワ入る時ですね。昔は3日間で6回お手紙を書いたこともありました。さすがに最近はやりません。

エンターテインメントを自粛して一年、俳優の推しに言葉を伝える手段がなくなって一年。140字では伝えきれないから手紙にしてきたけれど、それが叶わなくなって。事務所のありがたみを感じた一年だった。
会えなくてもお手紙を書けば伝えられる環境って、ありがたいなあと思った。

一昨年再会を果たし、さまざまな葛藤の末、去年覚悟を決めて出来る限り全力で最後まで見届けようと決めたWANDSというバンドに、わたしはこの一年で3回ほどお手紙を書いた。
15年近くわたしの世界一に君臨するギタリストと、出会って一年もたたないうちに、わたしの10年間の葛藤を塗り替えたボーカリストに、あたためつづけて零れ落ちた気持ちを、掬い上げて欲しくて文字を認める。今年お休みを取っているキーボーディストには、まだ上手な言葉の掛け方がわからなくて、一度も書けていないけれど。

お手紙ってすごく一方的なものなんだよなあ、と思うことが、書いていてしばしばある。
わたしはファンレターというのはお返事がもらえないものだと思っているので、文面にはほとんど質問を残さない。書いたとしても、お元気でいらっしゃいますでしょうか、とか。公式が情報を出すようなこととか。そんな感じ。返せないことを負担に思わないでほしいとか、期待してないよってことの自己表明なのだけど、なので書くことは必然的にわたしの気持ちの押し付けにならざるを得ない。返せない質問を残すよりは、返さなくてもいい手紙を書こう、という、そういう気分で気持ちの押し付けを文字に認めている。

わたしと対面してお話ししたことがある人はわかると思うけれど、わたしは決して話をするのが上手くはない。頭で考えていることをそのまま言葉に出すタイプの人間なので、そこに組み立てられた思考はない。なのでお手紙は、ある意味向いている手段なんだと思っている。でも、お手紙だからといってさほど面白みのある文章を書いているわけでもない。
そもそもわたしはそれほど技術的なところに興味はなく、柴崎さんのそういう記事は「よくわかんないけど柴崎さんが楽しそう!」で感想が終わる。お手紙も大概そんな感じ。

どちらかというと情緒的な感想を伝えることがほとんどで、かといってそれほど語彙が豊富なわけでもなく、結局大好き、の一言ですべてを誤魔化してしまう。観察眼もそれほど発達しているわけでもないので、漠然と、主観的な好き、の気持ちを大きさで語ることしかできない。
技術はわからないので、好き好きじゃないの尺度でお手紙を書いている。好きしかないけど。
あくまでも、そこにあるのはわたしの主観で。良くも悪くもわたしだけの感想。(たまーにその尺度で語りきれないときに他人も出てくる)

だから、「読んでいてこれ楽しいのかな」とか思って没にしたお手紙は実は結構多い。送ってないだけで、送ったものの他にもたくさんある。
読み返して、なんかこれはすげーバカみたいな文章だなと思うことも多い。最近はわりと夜に書くことが多くて、夜携帯に下書きして、そのテンションで翌日ペンで書いて、翌朝読み直して「小学生の文章だな…」ってなることがよくある。
これでも一応、作文でよく賞を取っていたんだけれどもなあ…おかしいな…どこでこんなちゃらんぽらんな文章を書く人間になったんだろうな?オノマトペ万歳!ぎゅーん!
いろんな言葉を学んできたはずなのにいざ伝えたいときには正しい言葉が浮かばないよね。

ということを改めて感じました。
お手紙って残るから嫌よね。出した時は「よし!」と思うけど、あとで下書きを読み返してしにたくなることもしばしばある。捨ててくださいって言いたいくらいだし何なら言ったこともある。でも、そのときはたくさんある伝えたいことを一つ一つ厳選した結果なんだよね。はあ嫌だわ。なかったことにしたい。膨らみすぎた大好きのワードを、他の言葉でどう表してしまったらいいのだろうか。そろそろ毎回同じようなことをかいていることに、気づかれていそうだ。
でももう、トップのお手紙2通は赤い箱の中から郵便局は移動して、すでに関東にはないのだろうなあ、事務所検閲を経て、いつ彼らの手元に届くだろうか。そわそわ。

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