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きっと成長痛



見聞を深めたいとか、経験を重ねたいとか、そんな崇高な理由ではなくて。
ただ苦しいから繰り返し旅に出ている。
あまりにもしょっちゅう遠くへ行くので、最近では旅行が好きな人というイメージが定着しつつあるけれど、それは全く見当違いで、本当は趣味に全力を注ぐようなポジティブが原動のものではなく、己を含めた全てのものから脱しようと試みているだけの逃避行。


とはいえ、どれだけ遠くへ行っても目を背けたいあれこれに一時的に蓋をしただけじゃなんの解決にもならないことや最果てに行こうが自分自身とは一生お別れ出来ないことはこれまででよおく理解している。
それならばともう上手く付き合っていくほかないので、自分というお荷物だけを持って遠くへ行き、ほかの一切は一旦忘れて自己とふたりきりになるのだ。


一人旅に出てふたりきりって変な表現と思われるだろうけど、自分とは切り離して考えてしまいたくなるほど、扱いづらい自己を有することを自覚している。
生きづらいと嘆けば可哀想な人というベールに包まれて孤高の神にでもなれると勘違いしているのかもしれない。


上手く隠して溶け込むことを覚えた代わりに、どうやってもその生きづらさは消えないというどうしようも無い事実だけを掴んだ。

結局そんな自分を認めてあげられるのも、そんな自分に寄り添い労わってやれるのも、自分しかいないらしい。
この世での生きづらさと折り合いをつけて生きていくために、自分だけの世界に身を投じる時間が必要。わたしにとって旅することは薬を飲むのとおなじです。


先週末から岩手・青森・秋田を3泊4日でまわった。
あまりにも居心地が良すぎたのと、元いた場所に帰るのが憂鬱で(逃げてきたわけなので)、
帰りの飛行機の中ではいっそこのまま墜落すればいいのにと願っていた。


旅行中に感じたこと、起きたできごと見た景色、全てを記憶が鮮明なうちに早く書き留めたいのにゆっくり思考を整理できる時間がない。


だからいつも以上に乱雑な文を書きなぐっているけど、言葉を吐き出さないと、この渦をどこかに吐き出さないと、かわりに涙が出てきてしまいそうで、その瞬間に何かが決壊して膝から崩れ落ちてしまいそうで、ことばを紡いで耐えている。


自分で選んだ生活なのに、ちょっと苦しいな。
今まで好きなことだけを繰り返す日常だったから、急に朝早起きして満員電車に揺られての勉強にも慣れないし、おわってすぐ着替えて用意して“華やか”をむりやり纏って出かけるのも、本当の自分を押し殺しているのと大差なくて。

人一倍、人の顔色を窺って生きてきたから求められているものがなになのか、何となくわかって、わかってしまうからこそ、それを演じて、その演じた自分を好かれたときには見えない腹の内側で自分のなにかが切り刻まれるような痛みがある。すこしずつ痛みは募って、そのうち。そのうち塵になって存在ごとぜんぶ消えてしまえればいいのにな。


一日が終わって帰ってきたベッドの上で、私今なんでこんなにしんどいんだろう。




ここまで書いて気づいたら寝ていて、2日が経って、また乱雑な文を繋げようとしている。


言葉を、自分の世界を発信してもいいのだと教えてくれたあなたがいて、心を文章や歌にしてもいいのだと教えてくれたあなたがいたから、
わたしなりのやり方で上手く立て直して今日も歩いているんだと思う。



苦労した人だけが見れる景色?
なんてクソ喰らえ、とおもいます。

苦労だと思ったらきっといつか壊れてしまうから、わたしは苦労はしたくない。
楽に生きたい。楽に生きたいから、いまほんのちょっとだけ頑張ってる。


全部無駄じゃなかったって言いたい。成長痛だったって言いたい。遠回りしてもいいよって言いたい。自分の人生を好きになりたい。


学ぶことは動揺を鎮めます。
それに、この世界は色んなことを知っているほうが何倍も味わい深くて面白い、らしい。

もっと言葉を知りたい。世界を知りたい。自分の心をただしく知りたい。
本読みたいな〜〜〜。




ちなみにこのnoteのカバーは京都で行われてるもしも猫展に行った際のもので、
人には言えない感情をねこに言い聞かせている女性の絵なんです。一番惹かれた。
猫飼いたいな〜
























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