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あのことわたしの半分の自由さについて

※ネタバレを含みます。先に観たいという方は動画配信サービス(アマプラ、ネトフリ、U-NEXT)で鑑賞することができますので是非🎥


映画『あのこは貴族』を観た。随分と前から気になっていたのだけれど、心の一番外側にある見えない膜がプスリと破れてしまいそうで、長いこと触れるのに怖気づいていた。しかし「あ、今ならいける」という瞬間は、突然やってくる。熱と頭痛でうまく働かない脳が、私の指を再生ボタンへと走らせた。

ストーリーを書くとザっとこんな感じである。
開業医の娘として生まれた華子。東京の一等地・松濤に実家を構え、27歳にして結婚へと向かっていく。片や、しがない地方の家に生まれ育った美紀は、必死の大学受験の末に慶應義塾大学に入学。しかし親の失業をきっかけに大学中退を余儀なくされ、ホステスとして生活費を稼ぐようになる。並行する世界戦を生きるこの二人は幸一郎という人物をきっかけに、一方は婚約者として、一方は大学の同級生として、ある日突然交わることになる。この出会いによって美紀は友人と起業へ、華子は幸一郎と離婚して友人のマネージャーとしての人生を歩んでいく。

私は美紀に近い感覚を持っているけれど、私の外面はとても華子らしい。その狭間で葛藤しながら、この作品のテーマである「家の経済力が与える子供への影響」について話していこうと思う。

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ときどき思う。生まれた瞬間に人生の半分は決まっているのだと。どんな家に生まれたか、すなわちどれほどの経済力のある家に生まれたか、どんな価値観を持つ親元に生まれたかによって、私たちの人生は縁取られていく。華子が結婚して子供を産むこと、専業主婦になることを信じて疑わなかったことや、美紀の地元の同級生が親の家業を継いでいくのも、この縁取られた中で走り回っているだけなのだろう。

でも、たかが縁でもあると、私は思いたい。砂浜に丸く線を描いた縁。その縁に私たちは、無意識に高い塀を築いてしまう。高い、高い、塀。だけれど何かのきっかけさえあれば、壊すことも、飛び越えることも、私たちにはできる。華子が装飾的女性として一度は人生を進めていくも、離婚を選択して自ら働く人生を歩んでいったように。美紀が大学中退に追い込まれても、ホステスや会社員として培ってきた力が起業という新しい道へと向かわせたように。二人の人生は決して対比構造で語れるものではないけれど、どちらも親に人生を決定づけられている一方で、そこから外れていこうと自らの足で地面を蹴っていく姿が、内なる凛としたものに見えた。

正直私から見る華子の第二の人生は借りものにしか見えないのだけれど、それでも結婚・専業主婦・出産・子育てと地続きの人生を自らの意思で踏み外していくことは、彼女にとって大きな転換点だったのだろう。

親が子供に与える影響力は計り知れないけれど。縛られようとしているのは、もしかしたら自分なのかもしれない。




私たちは自由だよ。半分だけ。

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