⑯大好きな母との別れ


平成15年、6月26日、1時30分

私達は、最愛の母を亡くした。

私が付き添いしておきながら、


母は一人で体を冷たくし。


死亡する一時間半前にナースに起こして貰うまでは

馬鹿な私は、母がその日


死ぬとも思わず寝てしまった。


25日に、叔母や、祖母、叔父も

来ていて、先生が「まだ大丈夫」と

言ったので、私を残して皆一旦

帰ってしまった。

25日の20時前、母が苦しそうに

うめいた。


その時に足が冷たくなっていた。

直ぐ主治医を呼ぶ。


「27日迄、持たないかもしれない」

と言われていたのに。

直ぐに、祖母、叔母に、連絡すべきだったのに。

12時過ぎたら、26日になるのに。


そんな事は思い付かず、

寝てしまった。

馬鹿な娘が横でねてる間、

母は一人ぼっちで、身体を

冷たくしていき、死の方向へと

向かうと言う事が、どんなに寂しく

どんなに心細かっただろう。

ずっと起きていて、

冷たくなっていく身体をずっと

さすってあげれば良かった。

大丈夫よ。私はここにいるよ。

と安心させてあげれば良かった。

私がナースに起こされた時は

もう手の温もりも無く

最後のがんばりのがく式呼吸を

していた。

私はパニックになり、とにかく皆を呼ばなければ!

ということしか頭に無く

母の冷たくなった手を握り締め

電話をかけた。

祖母と叔母だけは呼びたかった。

だけど、ただ母だけを見て

母から産まれて来てから

「」ずっと大好きだった」事、

「母の娘に生まれて来て良かった事」

「母の娘で嬉しかった事。」

沢山伝えたい事あったから

抱きしめて、

伝えてあげればよかった。

「大好きよ。ありがとう。」

だけ、言いながら

他の言葉は見つからなかった

父と夫だけ間に合った

ただひたすら、冷たくなっていく

母を抱きしめて、大好きよ

「ありがとう」と泣きながら

言っていた。

母の呼吸が止まり


少したって、叔母と祖母がついた。

叔母は、「ねーちゃん何で待っててくれんやったん?」とは母に抱きいてた。

祖母は言葉が無くただ

母を抱きしめて静かに泣いていた

母は、今回は二回目の入院だった

絶え間ない痛みと、ストレスで

ずっと側に居て、介護している

祖母と私でさえ、

どうしてあげることもできなかった。

祖母は、人の家に泊まれない人だった。

一度家に帰りたい。と言っていた

そんなとき、祖母がキッチンにきて

「ママが、あんたの身体の事を

心配して、入院を決めたらしい

ママがあんたを思うなら

私はママを思わないと

大切なむすめなのだから。」

と個々に居る覚悟をしたみたい


入院が決まって家を出る時間に

なっても、母はなかなか立ち上がろうとはしなかった。

いつもの母と違い

いつまでもぐずぐずとしていた。

入院しても日に日に弱っていく

「ママはこのまま死ぬん?」
と気弱になっている。


「ただ、このまま弱って死ぬのを待つなら、リスク背負ってでも意識落として薬入れよう。」


言いながら涙が止まらない。

私はどこまで母を苦しめるのか

母は、「これで死んだら事故死なんよ!」と言った。


事故死なんていわずとも

母の頑張りは皆認めてるのに

頑張れなかったから死んだ。

と思われたくないという気持ちが強い様子


そんな事誰にも思わせない。

母の頑張りは私の誇りだった。

本当にこれが最後の賭けになるだろうから、

弟一家に応援を頼み、

私が24時間付き添える体制を作った。

母は、意識を落とす前に、

私と弟に「これで死んだら事故死なんよ。」と2回言った。


薬をシリンジに入れて、少しづつ

入れていった。

ずっと寝ないで、座らないで

丁寧に入れた。

四日目に、母の呼吸がおかしい事に気づき、直ぐナースを呼び、

管も抜かれて、肺の痰や薬を吸引され、母は酷く苦しがり、

それを見て、自分を責めた。

どうしても、もう1度母の笑顔が見たかった。


肺炎を起こし、後2日の命と言われたのに、母は1度蘇った。

自分が何処に居るのか解らずに、


自分が病気だということも忘れて

夫である父の顔も忘れて蘇った。

それからの母の姿はただ悲しく

寂しいと言っては良く泣いた。

私は、もうこの時から、母を生きる道から、楽にさせてあげる事しか
考えなくなってしまった。

それくらい、この時の母の姿は


ただ、ただ哀しさとせつなさだけしか無かった。

点滴が漏れて、もう指す場所が

無くなった時、全ての

延命処置を拒否した。

そのかわり、そうする事で

母が味わうかもしれない、哀しみや、苦痛を感じぬ様、意識レベルも下げた。

母に、哀しみや死への恐怖を感じさせる事を決して許さなかった。


それだけは絶対に許さなかった。

そして、母は死ぬまで眠り続けた。

母の命は私が選択した。

私の選択を受け入れてくれたか

母に聞きたい。

一緒に戦ってきて、負けて悔しい。

母の無念が私の無念だ。

母に最後これで良かったのか

聞きたい。母に会いたい








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