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哲創12 二項対立と受動画像


朝起きると徐々に意識を認識できます。意識すると空腹を感じるので身支度して朝食をとります。食欲がないと食事はとりませんが、水分補給などの行為をおこないます。そういう意識のほかに朝の風景がまず脳裏入るはずです。 今日は「雨か?」天気や部屋の暗さや枕の傾きあるいは夏の日の暑さなど・・・・。 急に「今日はあれをせねばならなかった」といって行動に移ります。
こうした意識にはそれを思い浮かぶには常にその背景が伴っているのです。ただ単に時計を見て「朝の六時か?」というとき、周囲は動いていてその一部を自分は見ている。この連続状態のまま 会社へ出かけ、家事をする。人の行為にはそれを行うと同時にその背景を背負って動いているのです。

意識を意識するというのは変な言い方ですが、一旦意識すると 今朝は「味噌汁が飲みたい。」パンとコーヒーでなくて からはじまって二項対立の構図が始まるのです。ですが必ず其処に至るまでの背景なり、自分の状態(時に体力や健康、組織内の立ち位置、年齢)を常に伴っている。特に今の例では昨日の夜はスープでここずっと朝はコーヒーとパンだったなどの時系列の背景とか塩分が欲しいと感じたなどの背景が其処にあります。
そういう勝手に入り込んでくる受動的な画像が「味噌汁が飲みたい」の裏にあるのだと思います。こういう二項対立に伴う受動画像の多くは意識の奥に埋没するのですが必ず有るのだということを意識しておくべきだと思います。

統計確率を勉強すると、「違いがわかる男の・・」というようなことも数値化できるのですが この検定で有意(違いをはっきりあると認定できる)になるような事象は多くの場合は「肌で感じられる」ことが解ります。       複雑な事象の場合、数値を集めて 相関解析したり、主成分分析したりして要因を抽出する。大抵はこういう問題はすぐ解決するのが普通です。こういう手法は検定で有意でない場合で要因が複雑である場合にここまで解析手法を多用することになるのですが、それを使っても解決しない場合は「複雑な要因」もしくは「解析の前提となる要因」のいずれかもしくはその両方に解決の糸口があります。

多くの場合、科学的なつもりで 思い込みで 多くの要因を出すのが一般的です。その時に隠れている要因があることを常に注意しておくことも頭の隅に置いておく必要があるということです。こういう問題は経験的な知見など「あらゆる可能性を」といってもなかなか思いつかないことも多いのですが、こういう状態を解決する方法は過去の方法や経験の中に原因が含まれることが比較的多いものです。 こういう立ち位置はいわゆる受動画像の中に要因がある。
この辺のところは次回具体的などとともに回想してみようと考えています。

二項対立と受動画像という言葉は妥当性が低いのかも知れませんが、常に覚醒という意識は その日の背景、時に言語や歴史的な中での時代や環境のような受動画像の上に描かれれていることを知っておく必要があります。
この二項対立と受動画像のように並列的に記述することは本来間違いで受動画像という今があって感情や欲望を含めて「こうしたい」対「こうしたくない」という意識が書かれている状況が俯瞰すると浮き上がります。ですからそれが感情であれ理性であっても常に伴ってある。「そうした認識が必要である」と言えるのではないでしょうか。

受動画像についての気づきには注意を向ける必要があるように思います。 例えば今の受動画像は現実ですが昨日の受動画像は一部になる。人はすべてを記憶することは不可能であるので歴史をみる時、一旦今をdeleteしてある意味数少ない記憶や知識の中から抽出して再構築している。これは現代流にいえば仮想現実や拡張空間に作り直して理解すると考えられます。ですから間違いもあるのだということも事実であり、共通な部分があるけれども人によるずれも生じているので同じものを見ても受け取り方は千差万別であることも知っておく必要があろうかと思うのです。絵画を見ても自然を見てもその振れ方は大小あっても人は全く同じではない。見ている事象は殆ど同じに見える部分を共通として持つだけなのだと思われます。

ある具体的な問題について解決を迫られる場合にその問題の要因を引き出して抽出して解析するのは科学的思考ということになるのですが、要因を引き出すこと 抽出することそれと解析の選定を常に見直す必要があるのです。特に解決できなければそちらを疑うのが早く解決できる場合が多いのです。解析を見直し、抽出を見直し、要因を再構築する方向へ舵をきる方が正しい方向性と言えるでしょう。こうしたものは実験計画法などを見るとよく見えます。

実験計画法は要因を抽出して分散分析して答えを引っ張りだすのですが、求められない場合も非常に多いのです。失敗の多くは要因抽出にあります。一部の要因が同一概念のものであった場合とか全く外れたものである場合とかが混在した要因を配置すると 例えば、電圧、電流と温度などを配置すると交互作用が大きくなります。どれも熱量に関係しますので、要因の設定を変える必要があると考えられます。

この要因の設定を変えるという操作は ある意味見る視点を変えるということです。こちらから見ると重ねて見える部分を他の視点・視角から射影してみることです。失敗の回数を出力するのではなく、成功の視点から見る。もしくは その両方から選んだ要因以外のものを選ぶ=選んだ要因は少なくとも主要因ではないことを示しているのです。

ジレンマやトリレンマなどの要因は排除して物事を俯瞰する。そういった見方が現代を見直すポイントになるんだなと感じられる今日この頃です。

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