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京都工芸繊維大学美術工芸資料館「よみがえる中世屏風」展(-2024.2.9)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

晩冬の先日、京都工芸繊維大学美術工芸資料館の「よみがえる中世屏風-京洛の祝祭、白砂青松の海-」展を拝覧して参りました。

本展、本投稿の時点で未だ開催中です。会期は昨年2024年1月6日から2月9日までです。約1ヶ月間という短い期間ですね。

本展で展示される「作品」は、厳密にいえば、同館1階ホールの中央部に展示される「石山寺縁起画中画浜松図屏風」と、同館1階第2展示室に展示される「月次祭礼図屏風」の2点でした。

いずれも現代の復元作品です。厳密にいうと、「石山寺縁起画中画浜松図屏風」は「画中画」すなわち「石山寺縁起絵巻」という絵画作品の中に描かれている絵画作品であり、それが復元されたということで、弊方、この「画中画」である「浜松図屏風」は、本当に実在した作品なのかわからないように思いました。

しかしながら、同展の展示解説のうち、東京大学教授の高岸輝先生のコラム(Column)「絵巻の画中画から広がる中世屏風の世界」には次のような記載がありました。

本展では「図録」は作成されておりませんでしたが、無料のパンフレットが作成されており、希望者には受付の方にお願いすれば頂けるとのことでした。同パンフレットから高岸先生のコラムの一部を引用させて頂きます。

絵巻を手掛けた絵師たちは襖絵や掛軸なども描いていたことから、画中画は当時、実際に存在した絵画を反映している可能性が高いと言えます。中世にさかのぼる屏風の遺品は数に限りがあるのに対し、絵巻の画中画はその数十倍以上のサンプルがありますので、主題や様式の流れを詳しく負うことができます。

「よみがえる中世屏風-京洛の祝祭、白砂青松の海-」パンフレット第4ページ上段第5-7行

実は、弊方、いつも通りといっていいのかわかりませんが、鉛筆舐め舐めしながら(例えです。実際には舐め舐めしておりません。)いろいろと書き写し(メモ)させて頂いておりましたところ、同館の方(おそらく同館担当の京都工芸繊維大学の教官の先生ではないかと思われました)から、無料なのでどうぞ、とわざわざ手渡しで同パンフレットを頂戴いたしました。お気遣い頂戴いたしまして、まことにありがとうございました!

このように、作品は現存しないものの、絵巻に描かれた「画中画」としての屏風は、その絵巻を制作した絵師たちが手掛けた「調度品」であり、実在したか、もしくは実在しないまでも「同時代の専門家」である絵師により専門的に考証されて描かれたものである可能性が高いものと考えられるようです。

そもそも当時の絵巻物を拝見できる方々は、間違いなく上流階級の方々であって絵画作品に関する知識もあるでしょうから、雑な考証で画中画が描かれたならば、クライアントである上流階級の方々から激しいツッコミが入るとも考えられます。そうすると、絵師の先生方も、主たる画題ではなく背景的または周辺的な描写であるとしても、画中画の考証には力を入れるように推測されます。神は細部に宿るのよ(by 久世番子先生)という感じでしょうか。

画中画である「浜松図屏風」が、復元された具体的な理由については、愛知県立芸術大学准教授の阪野智啓先生による展示解説「「石山寺縁起画中画浜松図屏風」の復元」において明示されております。少し長くなりますが、イントロダクションの主要部を僭越ながら引用させて頂きます。

白い州浜に根上りの松を描く白砂青松の浜松図は、中世に最も流布した画題として知られていますが、金銀装飾を伴わない純粋な雲英地屏風は現存していません。画中画のような、蒼い雲霞と白い下地だけで構成されるいかにも中世らしい「浜松図」は、画題と技法を考える上でたいへん貴重な作例です。本研究では、小さな画中画を原寸大の屏風絵として描くことによって、伝承が途絶えた雲英地の技法再現と、図案や屏風装についての検証を試みています。

「よみがえる中世屏風-京洛の祝祭、白砂青松の海-」パンフレット第2ページ第4-7行

なお、同展チラシ(フライヤー)に「浜松図屏風」の写真図版が掲載されております。同展パンフレットにも全体写真の掲載はありますが、敢えてチラシの部分的な写真の方を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら掲載させて頂きます。

チラシ下が復元「浜松図屏風」で、チラシ上が復元「月次祭礼図屏風」です。弊方の雑なチラシ写真ではなかなか分かりにくいかと思いますが、実際に復元された作品は、たいへん品格がありつつ大画面の迫力に満ち満ちていたと、弊方、一方的に感じております。

同展パンフレットの発行者は、京都工芸繊維大学美術工芸資料館ではなく、愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所となっておりました。すなわち、画中画「浜松図屏風」を原寸大に復元されたのは。愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所であるということになります。

愛知県立芸術大学文化財保存修復研究所に関して、インターネットを安直に検索しましたところ、同研究所のウェブサイトが確認できましたので、こちらをご確認頂ければと思います。

実は、弊方、愛知県立芸術大学による文化財保存修復活動については、別のミュージアムの図録で存じ上げておりました。それは、愛知県安城市の安城市歴史博物館において2007年に開催された企画展「模写 日本画家がとらえた名画の魅力」、並びに、2016年に開催された「聖徳太子絵伝模写完成記念特別展 まねる うつす つたえる」展でした。

なお、いずれの展覧会/企画展も弊方は拝覧はしておらず、安城市の安祥文化のさとに所在する安城市歴史博物館にお伺いしたときに、これら展覧会/企画展の図録を購入させて頂いて存じ上げた次第です。

せっかくなので、何がせっかくか知りませんが、「模写」展図録、並びに「まねる うつす つたえる」展図録を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら掲載させて頂きます。

文化財保存修復研究所の設立は、2014年とのことですので、2007年開催の「模写 日本画家がとらえた名画の魅力」展は同研究所の設立前、「まねる うつす つたえる」展は同研究所の設立後の展覧会/企画展となりますね。

さて、「浜松図屏風」ですが、弊方個人的には、これまで拝見したことのない、何と言いましょうか、斬新な絵画作品に思えたといいましょうか、現代に復元されたからなのかもしれませんが、たいへんモダンな印象を受けました。しかしながら、先ほど引用させて頂いた通り、この「浜松図屏風」は500年ほど前くらいには流行していたとのことです。

復元された「浜松図屏風」は、前述の通り同館1階ホールの中央に、どどん! と展示されていたのですが、白砂を表現する雲母地がキラキラ煌めくことが分かりやすいように、床あたりから斜め上に向けて投光器で直接ライトアップされておりました。

弊方の知り得る限りでは、お酒と一緒で絵画作品は光に弱いそうですので、このようなライトアップは復元図であるからこそ可能なのではないかな、と妄想的に推測しております。

なお、1階ホールは同館入口に面しているのですが、復元「浜松図屏風」は入口から見えないようにバックパネルのような設置物で遮られており、このバックパネルの入口側には、復元「浜松図屏風」の下図が展示されておりました。下図といってもたいへんな迫力で、弊方としては、十分「作品」であると感じました。

さらに、本展では、「浜松図屏風」の屏風裏に張り付けられる「松葉唐草文染分け裂」も復元されておりました。

一般的に、屏風の裏には「唐紙(からかみ)」と呼ばれる、模様が刷られた装飾性の高い紙が張られていることが多いそうです。

実は弊方、自称「屏風の裏愛好家」あるいは自称「妖怪人間 屏風の裏覗き」であり、展覧会/企画展で屏風作品が展示されておりますと、隙あらば屏風のウラ!!! という感じで屏風の裏を覗こうとするのですが、屏風作品の一般的な展示状況では、屏風の裏を覗くことはなかなか叶わないのです。ちなみに、何とか裏を覗くことができたとしても、たいてい地味目な模様の唐紙か無地の紙が張られていることが多いのですが・・・

しかしながら、本展では、「浜松図屏風」の屏風の裏自体が、復元された「松葉唐草文染分け裂」という「作品」ですので、屏風の裏を無理から覗こうとしなくても思う存分見放題という、屏風の裏愛好家激萌えの展示状況でした!!!

「松葉唐草文染分け裂」で彩られた「浜松図屏風」の裏は、屏風の裏をこよなく愛好する弊方でもお見かけした記憶のない、濃厚な赤と玄奧な黒の対比が美しい様子でした。印象に残る屏風の裏が確認できれば、弊方、鉛筆舐め舐めして記録に残すのですが、「松葉唐草文染分け裂」のような、力強くも表の美しさを妨げない慎み深さを備えた屏風の裏については、正直、記憶がありません。

余談ですが、屏風の裏には、稀に別の絵画作品が描かれていることがあります。僭越ながら一例を挙げさせて頂きたいと思います。

実は、京都工芸繊維大学美術工芸資料館には、2023年の初冬の過日にもお伺いしておりました。2023年11月20日から12月16日まで開催の「日々是探究-京都高等工芸学校教員たちの模写と手習い」展を拝覧させて頂くためでした。

同展(「日々是探求」展)では、偉大なる浅井忠先生による日本画の屏風作品「群鹿図屏風」(2曲1雙)が展示されておりました。浅井忠先生といえば、近代日本の洋画(油彩画、油絵)の大家でいらっしゃるので、本格的な日本画の屏風作品を制作されていたことに、弊方たいへん驚きました。

ご参考までに同館入口の「日々是探求」展の垂れ幕の写真を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを、僭越ながら掲載させて頂きます。

こちらの垂れ幕に部分的に掲載されている作品が「群鹿図屏風」なのですが、これだけでは分かりにくいかと思いますので、たいへん僭越ながら「群鹿図屏風」の全容が把握できる「日々是探求」展のチラシ(フライヤー)についても、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いたものを掲載させて頂きます。

実は、この「群鹿図屏風」の裏を弊方が隙間からさりげなく覗いた折に、何か絵画作品が描かれていたことを、確かに確認いたしました。

ただし、その屏風の裏作品がどのようなものなのかについては、把握できませんでした。弊方が、2曲1雙の隙間や端から単眼鏡により、はしたなくも覗き見をさせて頂いた限りでは、おそらく野草っぽい植物が少なくとも描かれていたのではないか、と推測されました。

・・・いや、まぁ、それがどないしたんや! と的確に突っ込まれると、たいへん申し訳ございません、としか申し上げようがないのですが、このように、強引に1雙の隙間や各隻の展示スペースの端から見苦しく屏風の裏を覗くような通常の状況と比較すれば、本展では、復元とはいえ「浜松図屏風」の格調高く美しい「屏風表」だけでなく、通常では日の目を見ることのない「屏風の裏」までガッツリもりもり拝見できることなどこれまでほとんど経験することがありませんでしたので、敢えて申し上げさせて頂きました。

それはともかく、復元「浜松図屏風」の雲母地のキラキラ感は、弊方としては激萌えの激萌えとしか表現しようがなかったのですが、今更になって、改めて疑問が生じました。

それは、先日投稿させて頂いた「大阪中之島美術館「決定版! 女性画家たちの大阪」展(-2024.2.25)」で申し上げさせて頂いた、「作品No. 13 「おんな(原題・黒髪の誇り)」の背景の濃厚な雲英(きら)」に関してです。僭越ながら下記にリンクを張らせて頂きます。

版画浮世絵では、作品を手に取って動的(dynamic)に鑑賞すると想定されているため、「雲英刷(きらずり)」という、背景を雲英でキラキラさせる手法を採用していたそうであるのに対して、島成園先生の「おんな(原題・黒髪の誇り)」は、版画浮世絵に比べてかなり大きな作品であるため、当初から壁などに額装して静的(static)に鑑賞する作品ではないか、という疑問を呈させて頂きました。

ところが、島成園先生の時代から見ても、余裕で数百年遡る復元「浜松図屏風」においても、雲英地が採用されているということは、鑑賞者による動的(dynamic)または静的(static)な鑑賞方法と雲英地とは、直接関係がないのではないか、という考えが導きだされました。

そこで、弊方の微妙な灰色っぽい脳細胞を酒吞みながら活性化させて頂きましたところ、照明の問題もあるのではないか、と妄想いたしました。

インターネットで安直に検索したところでは、島成園先生ご活躍の大正から昭和戦前頃は、電灯はそれなりに普及していたものの、やはり高価だったそうで、一家に一電灯くらいの普及率だったらしいという情報が得られました。そうすると、電灯の無い部屋ではどうしていたのかというと、オイルランプが用いられていたようでした。

それでは、今から500年以上前の照明はどうだったか、インターネットで安直に検索したところでは、植物油を灯芯により燃やして照明する「灯明」や「行灯」が主流だった模様です。

もしかすると、こういった灯明や行灯、もしくはオイルランプは、その発せられる光が安定せず瞬いていたのかもしれないと、弊方、妄想いたしました。そうすると、雲英地のように、濃厚な雲英の背景や地塗りはキラキラして見えやすいのではないか、という妄想に落ち着いたのですが、所詮は妄想ですので、実際に実験してみないと分からないですよね。無責任で申し訳ありません。

本展(「よみがえる中世屏風」展)のもう一つの復元作品「月次祭礼図屏風」についてもヲタトークさせて頂こうかと思いましたが、すでに結構な文字数になっておりますので、苦渋の決断ですが、差し控えさせて頂きたいと思います。

せめて展示構成だけでも簡単に紹介させて頂きますと、第二展示室では、復元「月次祭礼図屏風」の展示だけでなく、同復元作品がどのような経緯で復元されたのかが解説されており、おっさん激萌えでした。

ちなみに思文閣出版から発行されている『「月次祭礼図屛風」の復元と研究 よみがえる室町京都のかがやき』も展示されておりました。おっさん購入しようかな? と思いましたが、お値段を見て断念せざるを得ませんでした。思文閣出版さまの同書紹介ページを僭越ながらリンクさせて頂きます。

第三展示室では、箔の平押し(雲母地への箔押し)、みがきつけ(裂箔の重ね貼り)、置き上げ(胡粉の盛り上げ)などが、試作パネルの展示とともに解説されており、雲母原石も含む画材なども展示されており、たいへんわかりやすい展示であったと思います。

いずれにせよ、本展は、伝統的な日本絵画に関するさまざまな知見が具体的に展示解説されておりましたので、期間が短いのですが、ご興味をお持ち頂ければぜひ拝覧して頂ければと、弊方、僭越ながらお勧めさせて頂きたいと思います。

ほら、同館の入口で、モダンなステキ女性が上記掲載写真の通り、「あら、寄っていきましょ」とお誘いになっておられますことですわよ!!!

「絵」を楽しむために知識は要らないと弊方考えております。しかしながら、知識は「絵」をより一層楽しませてくれることがあるのではないか、と弊方は僭越ながら考えておる次第です。偉そうなことを申し上げて申し訳ありませんでした。


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