見出し画像

星野画廊「甲斐荘楠音の素顔 その知られざる素描世界の魅力」展

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

2023年の仲春の過日、京都市東山区の神宮道に所在する星野画廊において同年3月4日から4月1日まで開催されておりました「甲斐荘楠音の素顔 その知られざる素描世界の魅力」展を拝覧いたしました。

もう1年近く前になりますね。まだそんなに経過していないくらいに鮮烈な印象が残っている展覧会/企画展でした。

本展は、京都市東山区の岡崎公園所在の京都国立近代美術館(MoMAK)において、2023年2月11日から4月9日にかけて開催されておりました「甲斐荘楠音の全貌」展に協賛するかたちで開催された展覧会ということでした。僭越ながら、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いた、「甲斐荘楠音の全貌」展看板写真を掲載させて頂きます。

弊方が「甲斐荘楠音の全貌」展に最初にお伺いしたのは、初春の金曜日の20時までの夜間会館であり、仕事を早引けさせて頂いて拝覧させて頂いた次第です。

MoMAKの「甲斐荘楠音の全貌」展では、ごくわずかながら展示替えがあり、2月11日から3月12日が前期展示、3月14日から4月9日までが後期展示という位置づけでした。ただし、展示替えされる作品は4-5点でしたので、弊方は、年度末で仕事が非常に忙しい状況でもあり、このときには後期展示にお伺いするつもりはありませんでした。

前期展示の夜間会館をガッツリ拝覧させて頂き、図録をゲットさせて頂こうと、閉館間近に同館ミュージアムショップの「アールプリュ」に駆け込んだときに、弊方にとって予想外の書籍が販売されておりました。

それは、偉大なる求龍堂発行の『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』(2023年、著者「甲斐荘楠音」、ISBN978-4-2312-4 C0071)でした。僭越ながら、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いた写真を掲載させて頂きます。

なお、偉大なる株式会社求龍堂からは、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』(2009年、島田康寛監修、ISBN978-4-7630-0911-1 C0071)が発行されており、弊方、もちろんゲットさせて頂いております。

『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』を拝見したときには、おぉ、なんじゃこりゃああ(by 松田優作先生)、こんな書籍が発行されておったんですかいな! どやさどやさ!! 御堂筋堺筋なにわ筋!!! (by 今いくよ・くるよ師匠)という感じで、図録とともに購入させて頂こうと必然的に思いました。

ところが、MoMAK近隣の星野画廊におかれまして、本展すなわち「甲斐荘楠音の素顔 その知られざる素描世界の魅力」展が開催されており、『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』はその図録的位置づけであることを存じ上げました。

おぉぉぉぉぉぉ!!! これは見たい! どうしても見たい!! 何があろうとぜひ拝覧したい!!! と思ったのですが、いや、あの、その、アレですわ、アレ!!!

「画廊」ですよ、「画廊」!!! めっちゃビビりませんか???

弊方は「画廊」というだけでめっちゃ緊張して、血圧と血糖値とγ-GPTと片目の眼圧がめちゃくちゃ上昇して、倒れそうになるくらいにビビってしまいます。

どう申し上げたらよいのでしょう?! 「画廊」にお伺いして作品を拝見した後に、何か買え! とか言われたらどうしよう?! とか思われませんでしょうか?!?!

そんなことはないと思うのですが、思うのですけれども、なんというか、「画廊」というだけで、弊方メチャクチャ緊張するんですわ!!!

このような理由で、弊方、いちど心が挫けそうになったのですが、甲斐庄(甲斐荘)楠音先生の、よりにもよって「素描」ですよ!!!

メチャクチャ拝見したいですやんかいさ!!! どやさどやさ!!! 御堂筋堺筋なにわ筋!!! (by 今いくよ・くるよ師匠) どないせぇっちゅうねん!!!!!!

・・・もぉこれは、根性出して星野画廊にお伺いするしかございません。

このような被害妄想的な葛藤が数分続いた結果、おそらく星野画廊で販売されているであろうと予測して、「アールプリュ」では『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』を購入いたしませんでした。

弊方は以前から星野画廊を存じ上げており、MoMAKや旧京都市美術館(現京都市京セラ美術館)等にお伺いするときには、頻繁にその御前を通り過ぎさせて頂いておりましたが、前述いたしましたような理由から、星野画廊には今まで一度もお伺いしたことがありませんでした。

さらに弊方には、星野画廊にお伺いしたいもう一つの大きな理由がありました。それは、同画廊でこれまでに開催された展覧会図録をゲットできないか、ということです。

僭越ながら星野画廊のウェブサイトのトップページに対して、下記の通りリンクを張らせて頂きます。

おぉ! いきなり岡本神草先生の「拳の舞妓」に格調高くお出迎え頂きました!!!

星野画廊ウェブサイトの中に「星野画廊で開催した主な展覧会(リスト)」があり、かなりの図録が作成されており、しかも、現時点でも入手可能な図録が多々あることが判明し、弊方、以前から星野画廊にお伺いしたいと思っておりました。僭越ながら、展覧会(リスト)のページに下記の通りリンクを張らせて頂きます。

いや、しかし、しかしながらですよ! 先ほど申し上げました通り「画廊」ですよ、「画廊」!! めっちゃ緊張してビビりまくるっちゅうねん!!!

しかしながら、見たい! 見たい!! 見たい!!! 偉大なる甲斐庄(甲斐荘)楠音先生の素描、それも拝見したことのない男性の素描がメインでっせ!!! 拝見したいに決まってるっちゅーねん!!!!!!

そこで、何とか根性を捻り出して星野画廊にお伺いすることにしたのですが、仕事や家の都合上、2023年3月末までにお伺いすることは事実上困難な状況でした。

その結果、導き出された日程が、本展の最終日である2023年4月1日の土曜日でした。要すると、本投稿の冒頭の「2023年の仲春の過日」とは、2023年4月1日ということです。

最終日ぎりぎりかぁ、急な都合が入ったらどないしよう?! それでもこの日しか時間とられへんしなぁ・・・

まぁ、それがどないしてん、ということですが、このような事情から、2023年4月1日の土曜日、朝からめちゃくちゃ無意味に緊張しながら、京都市営地下鉄の東山駅に開廊まもない時間帯に下車し、もぉ血圧と血糖値とγ-GPTと片目の眼圧を爆上げさせながら、それはもぉドキドキドキドキしながら、三条神宮道の交差点まで到達し、横断歩道を渡って星野画廊の入口前に立つことになりました。

見出し画像と被ってしまいますが、同展開催時の星野画廊を反対側の道から弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影させて頂いた写真を掲載させて頂きます。ちなみにこの写真は、拝覧した後に撮影させて頂きました。

この写真に掲載される、MoMAK開催の「甲斐荘楠音の全貌」展のポスターが張られている入口の扉の前において、弊方、無意味に緊張しておりました。何でこんな緊張して絵を見なあかんねん、博物館や美術館の入館でこんな緊張することありえへんやろ、とは思いましたが、それでも楠音先生の素描を拝見したくて、めちゃくちゃ気合いを入れて扉を静かに開けました。

そうすると画廊の中央の座席に紳士がお一人座っておられました。

この方が画廊主の星野桂三先生でしょうか?! と思って会釈をしたら、眼を逸らされました。えっ?! 何か失礼なことしたやろか?! うわぁえらいこっちゃえらいこっちゃ!!!

このように思っていると、すぐに奥の部屋からもうお一方紳士が現れて、いらっしゃい、とのお声がけを頂きました。この御方こそが、かの偉大なる星野桂三先生でした!!!

弊方が会釈をした方は、弊方と同じく星野画廊を訪問されたオーディエンスであったということでした。いや~ん、おっさん、か・ん・ち・が・い!

さて、あれほど緊張していたにも関わらず、入廊して星野先生にお出迎え頂きますとその緊張感は消失してしまい、それよりもスマートな画廊の至るところに楠音先生の作品が飾られておりましたので、これら作品群に意識が完全に移ってしまいました。

ちなみに、弊方が星野先生と勘違いした紳士の方は間もなく画廊から出て行かれました。また、星野先生は、お出迎えのお声がけをくださった後、すぐに奥に戻られました。

この時点では弊方の他にオーディエンスはおられなかったので、弊方、がっつり作品を拝見させて頂くことができました。なお、その後しばらくしてから数人の方が入廊されたと記憶しておりますので全く一人であったわけではありませんでした。

さらにちなみにですが、星野画廊の入口すぐ右横には芳名帳が設置されておりますので、差支えなければ記帳されることをおススメします。住所までバッチリ記載しておくと、星野画廊から展覧会のご案内が届きます。現に弊方の住所にも届いております。

さて、展示されていた素描には、裸体の女性が描かれた作品も含まれておりましたが、多くは裸体の男性が描かれた作品でした。裸体の女性を描いた肖像画を「裸婦像」というのであれば、本展で展示されていた多くの作品は「裸夫像」とでもいう感じの作品でした。

弊方が受けた印象では、「裸婦像」は、どちらかというと標準的なポーズを取った女性像のように思えたのですが、「裸夫像」の方はというと、標準的なポーズというよりも、何と言うか、独り暮らしの男性の日常を裸体で描いたような作品のように見えました。

さらに、これは偏見かもしれませんが、男性の裸体というと、かなり筋肉ムキムキな印象を持つのですが、楠音先生の素描作品は、「肉体美を誇る男」という作品を除いて、筋肉ムキムキではなく、かなり細身の男性像が主体であったと思います。

本展では、A4紙を3つ折りにしたリーフレットが制作されており、展示作品の多くが掲載されておりましたので、開けた状態の一方の面を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した写真を掲載させて頂きます。

展示されていた「裸夫像」の中には、一部、局部が描かれているものもあったのですが、多くの「裸夫像」は、下穿きを身につけておられました。ブリーフっぽく見える下穿きが多いのですが、明らかに褌(ふんどし)もありました。

さて、弊方ガッツリと楠音先生の素描作品を拝見しておりましたのですが、たまたまですが星野桂三先生と少しお話しさせて頂くことができました。

先ほど申し上げた『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』は、弊方の当てにならない予測通り星野画廊で販売されておりましたので、購入させて頂いたのですが、同書に掲載されている素描作品の中には、明確に局部が描かれた「裸夫像」も含まれていました。しかしながら、星野先生からお伺いしたところによれば、本展では、あからさまな描写のある作品については、展示を控えられたとのことでした。

このような作品に関しては、『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』に収録されております、星野先生の論考「甲斐荘楠音の絵を巡って」でも触れられております。僭越ながら下記の通り引用させて頂きます。

またある時、紙箱に入った大量の素描類を持ち込まれたことがある。中には男女が絡み合うあぶない絵も含め、男の裸像や様々にポーズする若い男を描いた素描類が大量に入っていた。当時日本ではそのような絵を発表することが憚られており、またモデルになった人たちに迷惑がかかることのないよう、そのまま書棚にしまい込んだ。

『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』
求龍堂 2023年 第93ページ左カラム第22-26行

その後、2023年に「甲斐荘楠音の全貌」展が開催されることになり、星野先生は、「ふと仕舞い込んだままの素描類のことを思い出し」たそうで(同書第93ページ右カラム第3行)、本展を開催されることをご決断されたそうです。この経緯に関しては、ぜひ『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』に収録される星野先生の論考「甲斐荘楠音の絵を巡って」をお読み頂ければと思います。

本論考の中で、星野先生は次のようなご見解を示されております。本来ならば前後関係も含めて同論考をお読み頂くべきだと思うのですが、弊方の判断により、僭越ながら敢えて下記の通り抜粋の上引用させて頂きます。

 画商として積み重ねた自らの経験ゆえだろうか、「これは世間に発表しなければならない」重要な作品であり、そして「発表することが画商の使命」のように思えたのである。巷で噂されている「穢い絵」が、実はそうではなく極めて美しく素晴らしいものであることを証明しなければならない。甲斐荘楠音の往年の画境に「時代がようやく追いついてきた」、そんな気がした。

『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』
求龍堂 2023年 第93ページ右カラム第10-14行

この星野先生のご判断のお陰で、弊方も含めて多くの方々が楠音先生の素描を拝見することができたことになり、たいへん有難い限りです。

ここで、星野桂三先生がご指摘される「穢い絵」についてですが、甲斐庄(甲斐荘)楠音先生をご存知の方ならばご存知の一件だと思います。コトバンクに、「日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)」出典の「甲斐庄楠音」の項目があり、そこに簡潔な説明がありますので、下記にリンクを張らせて頂きます。

https://kotobank.jp/word/甲斐庄 楠音-1641833

要すると、偉大なる土田麦僊先生から、甲斐庄楠音先生の作品が「きたない(穢い)絵」として批判されて、展覧会への出展が拒絶されたということなのですが、この「穢い絵」事件に関しては、すでに1997年にMoMAK並びにかの偉大なる笠岡市立竹喬美術館において開催された「大正日本画の異彩-いきづく情念 甲斐庄楠音展」図録の中で、当時竹喬美術館の主任学芸員(後に同館館長、現同館顧問)の上薗四郎先生が、「甲斐庄絵画の転換期-きたない絵事件をめぐって-」という論考の中で次のように指摘されております。

いまや事の真相を調べる手立てはほとんどないが、あまりにも楠音の回顧談を鵜呑みにしているように思える。私自身、楠音の言葉が偽りであるというつもりもなければ、麦僊を擁護しようという考えもない。むしろ、このような事件があったと語らざるを得ない、楠音にとっての大きな転換点がこの時期にあったと読み取ることの方が妥当ではなかろうか。

「大正日本画の異彩-いきづく情念 甲斐庄楠音展」図録 1997年 第123ページ第22-26行

上薗先生のおっしゃる「転換点」とは何か、ということですが、この点については、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』に収録されている、上薗先生の論考「自己陶酔のかなたに求めたもの 甲斐庄楠音の魅力」の中では、「暗」から「明」への表現の転換であることが示唆されております。

同論考によれば、楠音先生は、ご自身の意向だけでなく、当時の評論家の諸先生からも同様の表現の転換を勧められていた模様です。同書のタイトルに含まれる「ロマンチック・エロチスト」とは、当時の代表的な評論家でいらした豊田豊先生による楠音先生に対するお言葉だった模様です(『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第277ページ第3段落)。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』には、「Kainosho Tadaoto's Texts」として、楠音先生に関する種々のテキストが再録されており、その中に「追想 国画創作協会の頃」というテキストが掲載されておりました。

このテキストの出典は「特集 近代美術史の発掘(1) 甲斐庄楠音」 「三彩」昭和51年(1976)6月号とのことで(『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第244ページ末尾)、念のため、安直にインターネットを検索してみると、国立国会図書館サーチ(NDL SEARCH)で次の検索結果が得られました。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

要すると、著者:田中日佐夫、ジャーナル名「三彩」、1976年6月号、通号:第346巻、掲載ページ:第17-20ページ、という論考の中に含まれるテキストのようです。僭越ながら、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』から楠音先生のご見解を下記の通り引用させて頂きます。

そんなことがあってから「穢い絵」という言葉が、私の脳裏から去ったことはありません。「穢い絵で、綺麗な絵に勝たねばならん」とおもい定めたからでした。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第244ページ第16-17行

ここで、弊方には疑問が出てきました。

まず、「穢い(きたない)絵」事件以前の楠音先生の作風を「暗」の作風であるとするならば、同事件を前後として、楠音先生の作風は「暗」から「明」に、すなわち「綺麗な絵」に転じたのではないか、ということです。

この点に関しては、『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』に収録されている、監修の島田康寛先生による論考「甲斐庄楠音 大正期に噴き出したもう一つの日本美」の中でも指摘がなされております。僭越ながら、島田先生のご指摘を下記の通り引用させて頂きます。

豊田のいう「明」的表現は、第5回国画創作協会展の《歌妓》、第6回展の《雪女》、第7回展の《椿姫》などに現れてきた傾向であり、新樹社展出品の《歌妓立姿》(《歌妓》と同一作か)、《一輪》《春》なども、それ以前の楠音にはなかったものである。

『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第266ページ第32-35行)

一般論として、作家の作風がどの程度劇的に転換されるのか弊方にはわかりかねるのですが、「暗」の作風を「穢い絵」と敢えて単純に類型化したときに、楠音先生は、「穢い絵」事件の後に作風を「明」の「綺麗な絵」に転換していった可能性が考えられるように、弊方としては妄想したいと思います。

さらにここで、星野桂三先生が前述の論考「甲斐荘楠音の絵を巡って」の中で、重要な証言をなされております。こちらもたいへん僭越ながら次の通り引用させて頂きます。

私の画廊にも当時楠音の周辺にいた人たちが何人も出入りしており、楠音のきたない絵にまつわる体験談を話してくれた。
 「家に父が飾っていたこの絵は確か先生の絵ですね」と持ち込まれた絵を、楠音が即座に「ああー、これはきたない絵ですから描き直してあげましょう」と預り、数日後に似ても似つかぬ絵に描き直されてしまった人がいたとか。「楠音の画友だった父の遺品を見せたところ、危うく描き直されそうになって慌ててそのまま持ち帰った」……など。

『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』第93ページ左カラム第11-18行

この証言に基づけば、楠音先生は、「穢い絵」で「綺麗な絵」に「勝とう」とはしておられなかったのではないか、というのが弊方の妄想的疑問です。

先ほどの島田先生の論考「甲斐庄楠音 大正期に噴き出したもう一つの日本美」の中では、広島県立美術館所蔵の「横櫛」が描き直された経緯について言及されているのですが、長期間放置されていたことにより傷んでしまったので修復したものの「そんな苦労をしたが、アノ微笑は戻つては来ない。青い鳥は逃げた。絵画とは何ともはかないものです」(『甲斐庄楠音画集 ロマンチック・エロチスト』第268ページ第15-16行)と楠音先生ご本人がご説明されています。

ところが、楠音先生の没後に、もう一つの「横櫛」が遺族により発見されたそうで、現在MoMAK所蔵となっております(「大正日本画の異彩-いきづく情念 甲斐庄楠音展」図録第129ページ左カラム第2行-右カラム第8行)。

もしかすると、広島県立美術館蔵の「横櫛」は、そもそもほとんど傷んでおらず、それよりも「穢い絵」であったと楠音先生がお考えになられたために「綺麗な絵」に「修復」された(されようとした)、と妄想できるかもしれません。

写真が少なくて寂しいので、このときに星野画廊で購入させて頂いた『国画創作協会の画家たち-新樹社創立会員を中心にして-」展(2005年開催)の図録の表紙を、弊方の微妙なガラケー的ガラホで撮影させて頂いた写真を掲載させて頂きます。

なお、表紙掲載作品は楠音先生の「畜生塚の女」です。ホームページを拝見する限り、おそらく現在でも絶賛頒布中だと思われます。

飽くまで弊方の所感ですが、本展で展示されていた素描作品群のうち、特に「裸夫像」の方は、客観的にみても「暗」の作品あるいは「穢い絵」のようには見えず、かといって「明」の作品あるいは「綺麗な絵」という感じでもないように思いました。

弊方には知る由もありませんが、飽くまで弊方の印象ですが、本展の展示作品群は、楠音先生がモデルに対して真摯に向き合って、肩の力も抜いて? 「穢い」とか「綺麗」とか関係なく描かれたように妄想させて頂きます。

星野桂三先生は、これらの作品群を「美しい絵」であると仰っております(『甲斐荘楠音 知られざる名作-官能と素描』第93ページ右カラム最終行)。弊方も、本展「甲斐荘楠音の素顔 その知られざる素描世界の魅力」で展示されていた楠音先生の素描作品は、いずれも美しかったと思います。ぜひ再び拝見させて頂きたいと思います。

また、えらい長くなってしまいました。今回こそはもっと簡潔にまとめるつもりやったのに・・・。たいへん申し訳ございませんでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?