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北九州市立いのちのたび博物館「COLORS」展と「藤井玉欄-北九州の日本画家」展(-2024.6.9)

閲覧ありがとうございます。日本絵画一愛好家です。

晩春の過日、北九州市立自然史・歴史博物館、愛称「いのちのたび博物館」において、絶賛開催中の企画展「藤井玉欄-北九州の日本画家」展、並びに、同館にて開催されておりました「COLORS (カラーズ) ~自然の色のふしぎ展~」でを拝覧して参りました。

「藤井玉欄」展は、上記の通り、本投稿の時点でも絶賛開催中の展覧会で、本年2024年4月6日から6月9日までの開催となっております。一方、「カラーズ」展は、2024年3月16日から5月6日までの開催であり、残念ながら終了しております。

まずは、北九州市立いのちのたび博物館のウェブサイトのトップページに、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

北九州市立いのちのたび博物館については、以前、入館はしていないのですがミュージアムショップにお伺いしたことがありました。

山口県下関市の下関市立美術館にて2022年8月20日から10月16日にかけて開催されておりました特別展「山水画と風景画のあいだ-真景図の近代」にお伺いしたときに、下関市と北九州市が思ったより近いことがわかり、このときに、北九州市立いのちのたび博物館のミュージアムショップのみを利用したことがあります。

なお、下関市立美術館にお伺いした時のことに関しては、弊方の下記の過去の投稿においても簡単ですが触れさせて頂いておりますので、ご参照頂けますと幸甚です。

それ以降、北九州市にお伺いすることはなく、ぜひ何らかの機会を狙って、いのちのたび博物館にお伺いしたいと思っておりましたところ、何と、本年4月6日から企画展として、本展「藤井玉欄 北九州の日本画家」展が開催されることが明らかとなったのです!

藤井玉欄?! 誰? 知らん!! 萌える!!!

以上、弊方によるナゾの「ヲタク三段論法」でした。ぜんぜんまったく論法ではありませんね。たいへん申し訳ありません。

いのちのたび博物館ウェブサイトの企画展の案内ページから、たいへん恐れ入りますが、下記の通り引用させて頂きたいと思います。

日本画家・藤井玉欄(1872~1947)は小倉市企救郡企救町徳力で生まれました。京都で日本画の大家・望月玉泉(1834~1913)に師事し、4年後、家業を継ぐために帰郷しました。地元に戻った玉欄は田舎絵師と自称し、人々のもとめに応じて様々な作品を残し、多くの門人を育てました。本展では藤井玉欄の作品を紹介し、その生涯に迫ります。

北九州市立いのちのたび博物館 企画展「藤井玉欄-北九州の日本画家」より
https://www.kmnh.jp/current_special_exhibition/17037/ (2024年5月確認)

しかしながら、弊方、おっさん激萌えとかいうておきながら、下記のネガティブ条件が重なりまして、本展にお伺いするか否かたいそう迷いました。

[ネガティブ条件①]
安直なインターネットの検索結果を総合的に判断すると、本展「藤井玉欄」展は、図録も作成されない小規模な企画展であると推測されたため。

[ネガティブ条件②]
本展「藤井玉欄」展の開催中に、北九州市周辺で弊方にとってハシゴしたい展覧会/企画展を確認できず、お伺いするとすれば本展のみとなるため。

[ネガティブ条件③]
仕事や家の都合を考慮すると、本展「藤井玉欄」展にお伺いする日程を捻り出すとしても大型連休(いわゆるゴールデンウィーク)中しかなく、新幹線も展覧会会場もめちゃめちゃ混雑すると思われたため。

[ネガティブ条件④]
新幹線でお伺いするとしても、今年の大型連休から、のぞみが全席指定になって自由席が使えないため。

[ネガティブ条件⑤]
そもそも関西から北九州市までの交通費は、東京方面の交通費と同等かそれ以上になることが見込まれたため。

こんな状況だったのですが、どうしても藤井玉欄先生が気になって気になって気になって仕方がなかったので、弊方の個人的予算の中から別分野の見込み費用を強引に削減して、大型連休中の日程を確保して、本展「藤井玉欄」展にお伺いすることといたしました。

なお、何とか強引に他のミュージアムにお伺いできないかと、弊方の老化した脳みそを捻りまくった結果、かなり離れているのですが、九州国立博物館と太宰府天満宮宝物殿にも強引にお伺いしました。こちらについても、できれば記事化して投稿したいと考えております。

さて、北九州市立いのちのたび博物館の最寄り駅は、JR九州の鹿児島本線のスペースワールド駅で、小倉駅からは5駅で15分くらいのところです。

かつて、この駅の最寄りには、旧新日本製鉄(現日本製鉄)の八幡製鉄所跡地に開業したテーマパーク「スペースワールド」が所在しておりましたが、2017年に閉園しております。けっこう大きなニュースだったと記憶しております。

以前いちどお伺いしているので、いのちのたび博物館までは円滑にお伺いすることができました。ということで、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した、いのちのたび博物館の正面のピンボケした雑な写真を掲載させて頂きます。

申し訳ありません。スマートフォン略するとなぜかスマホで撮影すれば、ピンボケしないかと思うのですが、ガラケー的なガラホを愛するおっさんですので、なにとぞご容赦頂けますようお願いいたします。

入口に入るとすぐ右手には、スケルトンのエレベータとミュージアムショップがあり、正面の少し奥にはサービスカウンターがあり、右手のエレベータの少し奥側には、入館券の券売機があり、券売機とサービスカウンターの間に、常設展の入口があります。

また、入口の左手奥側、入口から見てサービスカウンターの左側はギャラリー館となっており、ここで特別展である「カラーズ」展が開催されておりました。

本展「藤井玉欄」展は、常設展の一部という位置づけで、常設展のみの入館券で拝覧できるとのことでしたので、特別展を拝覧するつもりはなかったのですが、いざ券売機で入館券を購入しようとして迷いました。

せっかくわざわざ、いのちのたび博物館にお伺いしたんやから、特別展も見とこかぁ、くらいの軽い気持ちで、特別展と常設展のセットの入館券を購入して、まず「カラーズ」展を拝覧することにしました。

「カラーズ」展の入口と出口を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

なお、いのちのたび博物館のスタッフの方やオーディエンスの方が写り込んでおりますが、モザイク処理をかけて個人が特定できないようにしております。

「カラーズ」展は、ギャラリー館を周回するような展示構成となっており、そのため、写真のように入口と出口が隣接しておりました。

この「カラーズ」展、たいへん素晴らしい展示会でした。軽い気持ちだったのですが拝覧を選択して正解でした。

本展は、自然界の色の中でも特に生物の色に注目した展示で、剥製、標本、復元モデル等により、さまざまな生物について「色」の観点から解説がなされておりました。

このような「色」に基づく切り口での展示は非常に斬新だと思いましたし、小学生くらいのこどもたちにもわかりやすく解説されておりましたので、もちろん、おっさんにとってもたいへんわかりやすかったです。

展示構成をざっくり備忘録的にまとめさせて頂きますと、次のような感じです。

[第0章:オープンギャラリー]
「第0章」と銘打たれていたわけではないのですが、入口付近はオープンギャラリーとして、多くの生物の剥製や標本、模型等が展示されておりました。

[第1章:生きものの色]
生物の構造色や、色の変異体などについて解説されておりました。

[第2章:生きるための色]
生物の擬態や婚姻色、雌雄の色の違い等について解説されておりました。

[第3章:人の暮らしと自然の色]
染料や顔料、生物由来の色彩名等について解説されておりました。日本絵画関係で用いられる顔料についての解説もありました。

[最終章:生体展示]
こちらも「最終章」と銘打たれていたわけではありませんが、生体展示として、ヘビさんやヤドクガエルさんとかが展示されておりました。

今回の目的は「藤井玉欄」展でしたので、かなりの駆け足で拝覧することになりましたが、結果的には、「カラーズ」展とのダブルメインにしてもよかったかなぁ、という感じでした。

なお、「カラーズ」展は既に終了しているものの、特設ウェブサイトは、本投稿の時点でも存続しておりますので、僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

「生体展示」でのヤドクガエルさんは、青色と黄色と紫色? の3種類でしたが、それぞれのヤドクガエルさんの和名については失念してしまいました。写真撮影可だったので、ヤドクガエルさんを脅かさない程度に、メモ代わりに写真撮影しておけばよかったなぁ、と思いました、

弊方が3種類のヤドクガエルさんが仲良くいらっしゃる水槽を眺めていたとき、紫色っぽいカエルさんが、ケロケロ鳴いて歓迎? してくれましたので、おっさん喜んで激萌えしておりました。

昨年の今頃、偉大なる冥鳴ひまり先生が、 ご近所にお住まいのカエルさんたちの合唱をBGM? にして、Twitch にてオンラインゲームの配信をなされていたことを、弊方思い出しました。

突然わけのわからんことを申し上げてたいへん申し訳ありませんが、先ごろVOICEVOXの感情追加プロジェクトのクラウドファンディングを見事達成されました、偉大なる冥鳴ひまり先生の YouTube チャンネルに僭越ながらリンクを張らせて頂きます。ご参考頂けますと幸甚です。

ちなみに、偉大なる冥鳴ひまり先生の可憐にして愛らしいお姿を生み出された偉大なる“ママ”は、イラストレーターのsameta先生です。

それはさておき、「カラーズ」展を出てすぐに常設展に入りました。

それにしても、まぁデカいですね、いのちのたび博物館!

同館は、西日本最大級ともいわれるそうで、常設展もたいへん見応えがありました。ゆっくり堪能しようと思えば、たぶん丸一日はかかると思われます。僭越ながら、同館内を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

弊方がお伺いした当日、おそらく地元の中学生? くらいと思われる若いぴちぴちした生徒のみなさん方が、おそらく学校行事として、男女問わずキャッキャウフフな感じで、いのちのたび博物館を訪問されておりました。

個人的に非常に残念な気がしたのは、生徒のみなさん方は「カラーズ」展は観覧されず、常設展のみ観覧されていたことでした。

まぁ、あの人数では、ドでかい常設展示室はともかく、ギャラリー館の「カラーズ」展は激込みしそうで難しいとは思うのですが、「カラーズ」展が素晴らしかったので、ぜひ彼女ら彼ら(ジェンダーに配慮しました)にも観覧して頂きたかったなぁ、とおっさん心の中でたいへん余計なお世話をしておりました。

常設展は1階から3階までですが、2階は、ひとつのフロアというより「中二階」という感じになっており、1階が自然史系の展示、3階が歴史系の展示、2階が、北九州市の歩みとこどもミュージアムになっておりました。

この3階の奥側、というか入口やサービスカウンターの直上となる位置には、「歴史ぽけっとミュージアム」という、展示室No. 9, 10, 11の3つの展示室があり、弊方お目当ての「藤井玉欄」展は、No. 9, 10で開催されておりました。

ということで、「歴史ぽけっとミュージアム」の入口を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

弊方、本展はもっと小ぢんまりした企画展かと思っておりましたが、2室に及ぶ規模があり、おっさんこれだけでも激萌えでした。

本展、4月6日から5月9日までが前期展、5月10日から6月9日まで後期展となっており、展示替えがあるのですが、展示替えも含めて合計45の作品または資料が展示されておりました。

本展の展示構成ですが、展示室No. 9では「ふるさと徳力」、「帰郷後の玉欄」というテーマで、展示室No. 10では「晩年の玉欄」というテーマで作品群が展示されておりました。

本展「藤井玉欄」展は撮影可でしたので、No. 9の展示室を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

本展では、A3をA4二つ折りにした計4ページのモノクロ(おそらくコピー)のリーフレットが無料配布されておりました。

このリーフレットの第1ページはポスターと同じ構成の表紙で、第2-3ページには、「藤井玉欄とは、、、?」、「ふるさと徳力」、「帰郷後の玉欄」、「晩年の玉欄 -猪ケ倉雅邦堂のコレクション-」という四つの簡潔な解説があり、第4ページは本展の出品リストでした。

「ふるさと徳力」、「帰郷後の玉欄」、「晩年の玉欄」はいずれも実際の展示構成に対応しているものの、リーフレットの記載内容は、展示解説の記載に一致しているわけではなく、文章表現等に多少の違いがみられました。

玉欄先生は、現北九州市小倉南区の徳力のお生れでしたので、最初の展示が「ふるさと徳力」になっている模様です。展示解説の一部から下記の通り引用させて頂きます。

 玉欄の生家近くには、桜の名所・小嵐山がありました。慶長7年(1602)小倉に入った細川忠興(1563~1646)が京都・嵐山の風景に似ていることから、嵐山の桜を移植したと伝える風光明媚な場所です。
 玉欄の自宅近くには叔父で詩人の藤井董一郎(1860?~1928)の居宅があり「嵐山亭」と称され、多くの文人墨客が訪れました。玉欄の京都での修行の世話をしたのも董一郎であったようです。

北九州市立いのちのたび博物館 企画展「藤井玉欄-北九州の日本画家」
「ふるさと徳力」展示解説第7-14行(引用文中ルビは省略)

この「ふるさと徳力」で展示されていた作品の中から、叔父さま董一郎先生(号:愿亭)と玉欄先生との「合作」である、作品No. 3「小嵐山記」という巻子作品を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。

この作品は、明治7年に愿亭先生が文をお書きになられて、その後、時期は不明ですが玉欄先生が小嵐山の風景をお描きになったようです。時間差合作という感じでしょうか。

次の展示である「帰郷後の玉欄」は、玉欄先生が京都に留学されて帰郷されるまでに関する展示でした。展示解説の一部から下記の通り引用させて頂きます。

 15歳で京都に上り、青春時代を京都にある望月玉泉(1834~1913)の画塾で過ごした玉欄ですが、家業を継ぐために帰郷します。
 帰郷の翌年、明治25年(1892)、徳力の嵐山神社に籠もり絵画150幅を描き、翌26年東岸寺(当時は小倉市米町)にて個展を開催します。
 明治33年(1900)には小倉高等女学校(現・小倉西高等学校)図画講師となり、同39年(1906)まで教鞭をとりました。また同40年八幡に、大正2年(1913)戸畑に画会を組織するなど後進の育成に励みました。

北九州市立いのちのたび博物館 企画展「藤井玉欄-北九州の日本画家」
「帰郷後の玉欄」展示解説第2-11行(引用文中ルビは省略)

玉欄先生は、京都画壇の巨匠・望月玉泉門下でいらしたのですね。望月玉泉先生といえば、東京中央画壇の巨匠・川合玉堂先生の最初の師匠でもいらっしゃいました。僭越ながら、投稿済の弊方の下記の記事にリンクを張らせて頂きます。

そういえば、跡見玉枝先生も川合玉堂先生の門下でいらっしゃいました。こちらも僭越ながら、投稿済の弊方の下記の記事にリンクを張らせて頂きます。

また玉欄先生は、故郷で画人として活躍するだけでなく、教育者としても活躍されたのですね。

この「帰郷後の玉欄」で展示されていた作品の中で印象深い作品の一つとして、作品No. 20「武者図」を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑でピンボケしている写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

ピンボケしていてわかりにくいのですが、この作品に描かれている武者は、玉欄先生に似ているそうです。もしかすると自画像なのかもしれませんね。

もう一つ印象深い作品が、作品No.29「鶴図衝立」でした。弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

この鶴図衝立は、小倉藩御用菓子商「福田屋」さまの店頭で使用されていたそうです。福田屋さまは、残念ながら1970年代に廃業されたそうですが、「鶴の子」という名称の銘菓で有名だったそうで、この衝立も銘菓「鶴の子」にちなんだものになっており、今も大切にされているようです。

次に、No. 10の展示室を弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を掲載させて頂きます。こちらの写真もピンボケしており、たいへん申し訳ありません。

No. 10の展示である「晩年の玉欄」の展示解説の一部から、下記の通り引用させて頂きます。

 猪ヶ倉画邦堂は、宮崎県都城市出身の猪ヶ倉武雄(1913~99)が八幡西区藤田に開いた表具展です。絵が好きだった武雄は多くの画家との交流を持ちながらも、玉欄に絵を学びました。
・・・猪ヶ倉画邦堂には、多くの玉欄作品が残っており、玉欄の晩年の活動の一端が知られます。
 ここでは画邦堂に宛てた玉欄の書簡と猪ヶ倉画邦堂のコレクションをご紹介します。

北九州市立いのちのたび博物館 企画展「藤井玉欄-北九州の日本画家」
「晩年の玉欄 -猪ヶ倉画邦堂のコレクション-」展示解説
第3-6行および第11-14行(引用文中ルビは省略)

「晩年の玉欄」で展示されていた作品で印象深い作品の一つとして、作品No. 44「牡丹孔雀図」を、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を、僭越ながら掲載させて頂きます。

本展で展示されていた唯一の屏風作品ですが、手前のカラフルな牡丹は、玉欄先生が描いたのではなく、玉欄先生歿後に猪ヶ倉画邦堂から作品を借り受けた門人の玉芳さんが描き加えたそうです。

確かに、ぱっと見たときに、牡丹と孔雀とのバランスが何だか微妙な感じやなぁ、と思っていたのですが、弊方個人的には、牡丹はない方がよいと思いました。

本作品は、一見すると円山四条派風の孔雀作品のように見えるかと思います。

例えば応挙先生作の孔雀図は、安直なインターネットの画像検索でも容易に検出されると思いますので、ご覧になって頂きたいのですが、孔雀が花卉とコラボする「花鳥画」と見ることができると思います。

これに対して、玉欄先生の本作「孔雀図」は、水墨ベースで孔雀と岩が描かれているものの(牡丹が描かれていなければ)花卉が描かれておりませんので、「花鳥画」というには微妙な感じがします。

そうすると、華やかなはずの孔雀が、岩の上で物思いに耽るように佇んでいるように見えて、何やら寂寥感を覚える不思議な作品ように思えました。後から描かれた鮮やかで写実的な牡丹は、寂寥感的みたいな感じを打ち消しているようにも思いました。

なお、弊方、屏風の裏愛好家、自称「屏風の裏覗き」という妖怪っぽいおっさんですので、本作品の屏風の裏もバッチリ覗かせて頂きました。「牡丹孔雀図」の屏風の裏も、弊方の微妙なガラケー的なガラホで撮影した雑な写真を僭越ながら掲載させて頂きます。

それがどないしてん! とお思いでしょうが、屏風の裏がスキ♡♡♡ なので、なにとぞご容赦頂けますようお願いいたします。

玉欄先生に関してインターネットを安直に検索すると、2016年に京都市立芸術大学資料館陳列室で開催された「平安百景 -粉本にみる明治の京都-」という企画展のアーカイブを検出することができました。僭越ながらリンクを張らせて頂きます。

展示されている33作品のうち12作品が作者不詳で、作者が判明している残りの21作品のうち三分の一の7作が藤井玉欄先生の作品となっております。これを見る限りでも玉欄先生は、望月玉泉門下の重鎮でいらしたのではないか、と妄想されます。

なお、No. 10では、「藤井玉欄 北九州の日本画家」という約5分ほどの映像解説もエンドレスで放映されておりました。この映像解説の中では、北九州市内の神社や寺院に玉欄先生の大作が所在していることが紹介されておりました。

絵馬や襖絵などはミュージアムでも展示可能ではないかと弊方一方的に勝手に考えておりますので、北九州市立いのちのたび博物館におかれましては、ギャラリー館の特別展として「藤井玉欄大回顧展」とか開催して頂けますと、おっさん激萌え状態になること請け合いです。

また、玉欄先生の師匠でいらっしゃる望月玉泉先生の門人の中には、川合玉堂先生、跡見玉枝先生などの東京画壇でも著名な先生だけでなく、上村松園先生の先駆者的存在であった、女性画人・前田玉英先生もいらっしゃったそうです。

そうなると、「知られざる京都画壇の巨匠 望月玉泉とその門人たち」みたいな展覧会/企画展も、いずれかのミュージアムで開催して頂ければ、おっさん激萌えですが、たいへん難しそうですね。

大規模な個展は作品を探し出してくるのもお借りしてくるのも、なかなかたいへんだと伺ったことがありますので、難しいとは思われますが、どちらかのミュージアムで開催して頂けたらなぁ、と妄想しております。

二つの展覧会を強引にまとめた結果、めちゃくちゃ長くなってしまいました。

ごく最近、弊方の人生で最も悲しい出来事があり、精神的にも辛く、note 投稿も悩んでいたのですが、最後まで閲覧頂きありがとうございました。

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