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君が持ち去ったもの


ガラケーを思い出して欲しい。
今はもはや絶滅危惧種となったあのキュートな長方形の頑丈ボディー。
着メロ個人サイト、ガラケー文化は素晴らしかった。

その中でも一番私が覚えてることが、メールのやり取りを繰り返すたびに増えていくre.re.re。

あのreが増えるたびにときめくこともあれば、
めんどくさくてため息をつくこともあったあの時間はとてもまどろっこしくてやり場がなかった。

LINEの既読よりもずっと心臓に優しいけど、じわじわとしたあの破壊力もなかなかなもの。
ちょっとずつ首を絞めにかかってきて呼吸がうまくできなくなるようなあの感じを私は今でもしっかり覚えてる。

そして私がガラケーを思い出す時ぴったりついてくる存在がいる。

 中学三年の冬に携帯電話を買った。
春になって高校に入るとみんな名前と一緒にメアドを交換した。

高校の合格発表の日、中学は違うけど塾が同じ女の子から連絡先を聞かれてメアドを教えた。

でもその夜メールが来たのは女の子だけじゃなくて1人の男の子。
なんでも彼も塾が一緒だったらしい。
中三の時、同じ中学の理系馬鹿に恋心を抱いていた私はその理系馬鹿にしか興味がなかったからその彼がどんな顔をしてるのかどんな人なのか知るよしもなかったけど、なんだか新しい出会いみたいでドキドキしたのを覚えている。

入学式までの数週間毎晩なぜかメールが来た。
まさかの同じクラスで、顔を見たらクラス一番の美形で私は泡を吹いて倒れそうになった。

女子はみんな彼にメアドを聞いたけど、彼は携帯持ってない!と乗り切る。

なんだか不思議な気分だった。

私はなんとか勇気を出してからに話しかけに行ったけど、彼は素っ気なくてまともな会話をしてくれなかった。

それでも毎晩メールは来た。

私と彼は教室の中では他人だが夜のメールでは友達だった。

でもそれだけ。

彼は高校でも花形の球技の部活に入部して、スクールカーストの頂点でいつもクラスの真ん中。
私は吹けば飛ぶような廃部寸前の合唱部に入部。漫画やアイドルが好きな友達と教室の端でそれなりに楽しく過ごした。

彼は文武両道で成績も常にトップクラスなのに対して私は死ぬほど頑張っても全く上手くいかない勉強。

いじられキャラという名の下まるでピエロみたいに扱われて、可愛くて綺麗な女の子とは明確な差別を受けて、自分がどんどん嫌いになっていった。

可愛い彼女もいてなにをやってもうまくいく彼を含めたスクールカーストの上の人たちのことを心底妬ましく思っていた。そして心の底から嫌っていた。

私の高校時代はなりたい自分にはなれなくて。
堅牢なスクールカーストに閉じ込められて、必死にもがき、自分を見失い、消耗し疲弊しきっただけの3年間。

卒業の時はこっそり校門に唾を吐いて帰った。

それでもなぜか私の視界の中に絶え間なく彼はちらついた。
思いを吐き出すためにこっそり始めたブログはなぜか彼にバレて。
毎日日記の感想やらを送りつけて来た。
試験勉強で疲れ果てた深夜に何故かロシア人のエロ動画を送りつけて来た時もあった。
数式に殺された私は彼の送って来たAVのキリル文字字幕に完全にとどめを刺されて死んだ。
きわめつけは高3のとき、通っていた自習室にいきなり彼がやって来たのだ。
勉強して一休みしようとしたら彼の荷物が隣の席にあったからぶっ倒れそうになったのはいうまでもない。

私は無名私立大にも不合格で浪人を決めたのに対して、彼は旧帝大に現役合格。

彼の合格発表の前日に
「おれ、絶対落ちてると思うから○○(私が決めてた予備校)で浪人するわ。」
と散々弱音を吐いておいて、
次の日友達伝いに彼が合格したことを知った。

いつのまにか私たちの連絡手段は愛しのガラケーからスマートフォンへ。

私は高校時代の親しい友達数人以外の連絡先を全て消して、クラスLINEからも退会して、高校の同級生が一番少ない予備校へ。
そして関西の同窓会にも入らずに京都の大学で一からやり直して、高校の写真を全て消して、京都からさらに先の中国へ。

高校の同窓会はもちろん欠席したし、
同窓会から送ってくるお便りは燃やしてしまった。

嫌い嫌い嫌い大嫌い!
もう何にも思い出したくない!

大学一年くらいまでは彼との連絡もあったけど、もう最近ではぷっつりなかった。
でも、ツイッターは繋がっていてたまにイイねが来たりはした。


同窓会にはいかなかったけれど、
私は彼には会いたかった。

なんとなく。

ネットの上でしか繋がって言葉を交わせないのは何故なのか。
言葉を交わし、彼の顔を見ながら話してみたい。
高校生活において私から見て圧倒的勝者だった彼はあの生活をどう思っていたのか。

話したいことも聞きたいこともたくさんあった。

出会って8年経ちながらも私たちはまともに言葉を交わしたこともなかった。

そう、私たちは友達であって友達ではない。
限りなく友達に近い他人で、お互いの人生においてただの通行人に過ぎず、登場人物になることはない。

限りなく希薄で寂しい関係だった。

だから、次にあったときは逃げずにちゃんと言葉を交わして、友達になりたいとたまに考えていた。


でも、時間切れだった。


5月のある日。

私は大学四年生を休学して、中国で暮らしていた。
その日は雨で、一日中寮から出ないで中国人の同居人とダラダラおしゃべりして勉強して、そんな一日が終わった深夜。

遠い日本から、

彼が逝ったという知らせが届いた。

その日はこんこんと眠り、
次の日は勉強して、
次の日は掃除をして、

そんな日々の上塗りの果てにある日私はぼんやりと彼のことを思い出した。

教室の真ん中で笑う彼。
制服を着ていた。
周りにはたくさんの友達がいた。
そして私の周りにも。

大嫌いだった先生の授業、疲れ果てた下校の道。
自転車をこぐ夏の夕方。
カルキの効いた水道水とセーラー服。
トランペットの音と金属バットとボールが衝突する小気味いい音が響く夕方。


こんなふうに丁寧に高校時代を思い出すのは初めてだった。

辛くて悔しくて悲しかった高校時代。
その思いのせいで綺麗で楽しかったところを全部封印してしまった私の思い出は、私の高校時代の隅っこにいた彼を記憶の中に探すことで鮮やかに蘇る。

一瞬、すーっと胸の奥から支えが取れるようななんとも清々しい感覚が私を貫いて、
私が高校時代に抱いた暗雲立ち込める感情が重たく悲しい感情がなくなりはしなくともふわりと浮かび上がるような。

私は彼のなんでもない。
彼も私のなんでもない。

私たちはお互いの人生になんの影響も与えぬままにたくさんのチャンスを逃して友達にもならなかった。

そして彼が逝った今、彼は私を永遠に彼の人生の通行人にしてしまったし。

私たちの関係は永遠に最も近い他人に過ぎない。

だけど、彼は最後に私の高校時代を終わらせて私を汚く黒い感情から自由にしてくれた。

私の高校生活の中にも悪くない瞬間、ありふれた幸せはあったのだと。

そうだ。
彼は私の中から何かを持ち去った。

だからこそ私は今度彼に会ったらちゃんと友達になって、今度こそ私は彼の人生の登場人物になりたい。

「輪廻の果てでまた会おう。」

1人でそう呟いた。

多分会える。そんな気がする。

初めての中国出張、帰りの飛行機の中で
久しぶりに彼の夢を見て目を覚ました時、そんなことを思った。







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