拠り所の話
気づいたら3月も折り返しそうになっていた。
春休みもあと数週間で終わり。今年の春休みは何ができたかなあ、なんて少し振り返って、結局ダンスしかしてないことに気づく。
ダンスばかりの日々は、楽しい。
けど、それと同時に少し空虚な気持ちになることもある。
ダンスで出会った仲間はもちろん、大事で、かけがえのない、大切な仲間たちだ。でも、自分が感じる葛藤を、思っているままに伝えられる訳では無い。
多分、みんなそうなんだろう。色々なところに拠り所を作って、それぞれで話せる話題を選んで。
でもそれが、たまに、少し空虚に感じるんだ。
どんな不安も、どんな葛藤も、苦しみも、悔しさも、全部、話せたらいいのにな。
そしてそれを、いい具合に受け止め合える存在が居ればいいのにな。
多分、それが所謂恋人ってやつ。
けどね、恋人が欲しいなあなんて言う時の私は、相手の幸せを願えない時だって分かってるから。
自分の幸せを、自分の心が満タンになることを優先してしまう。それは、ともすれば相手を不幸にするかもしれない。
拠り所は、1歩間違えれば、すぐに壊れる。
壊れることを知ってしまったら、怖くなるんだ。
寄りかかっていたはずの場所が、急に無くなって、自分の足で立つことしか出来なくなる。
座っている時に椅子をガッと引かれたような、そんな感覚。
壊れる、全部。
いつかは無くなる。
そう考えたら、頼れる場所は自分しか居なくなっていて。
きっとそれが、時折感じる空虚の正体。
いつまで経っても恋人ができない私を親は心配してくれるし、いつか現れるよ、とも言ってくれるけど。
本当に?
見えない未来への不安を抱くのは不毛だ。
でも、私が拠り所とできる人なんて、私が拠り所になれる人なんて、本当に現れるのだろうか。
もうすぐ、生まれて22年になる。
独りで立つことを覚えてしまった私は、椅子に座って寄りかかることを知らないのかもしれない。
あるいは、支え合える人間がいるかもしれないということを、知らない。
ふと、私って、いつか自死してもおかしくないよな。と思う時がある。
いつかポキッと折れても、不思議じゃないよなって。
別に、死にたいとも思わないし、やり残したことも沢山あるからまだまだ死ぬ訳には行かないんだけど。
この感覚は、孤独って名前なのかな。
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