「気づき」には、階層があります
人生には、「気づき」が訪れる瞬間がありますね。
それは「悟り」といったような大きな大きなインパクトのあるものから、
ふと、見慣れた野花の真の美しさに改めて気づき心が震えるような…、
そんな身近なものまで、実にさまざま。
「気づき」の後は、多かれ少なかれ、世界が変わって見えます。
同じ景色なのに、どこか違う景色に見えます。
それは、自分の波長が変わったから。
あるいは、次元が変わったと、言ってもいいかもしれません。
例えば、平面(2D)でしか見れなかったものが、立体(3D)で見えるようになる感じ。
波長が上がると、そこにあるものは同じなんだけど、
それまで見えなかった部分が見えるようになり、
それまで気づかなかったことが感じられるようになり、
この世界の「より真実の姿」が見えるようになります。
(逆に波長が下がると、見えていたものも見えなくなったり、感じられていたことにも気づけなくなったりします。)
また、気づきが訪れた瞬間というのは、とてつもなく感動します。
たましいが、その喜びにうち震えます。
「ああ、そういうことか!分かった!」と、深く深く腑に落ちた感覚になります。
そして、気づきを得た感動にあたたかな涙を流しながら…、
私のようにそそっかしい性格だと、この辺りでもう「すべて分かった」気になってしまいますw
「なるほど。そういうことだったのね」と。
結論づけてしまうというか。
でも…、
実は「気づき」は、階層構造になっています😌
そう、たましいの向上は、言うなれば「螺旋階段」。
しかも、私の感覚では、「下りの」螺旋階段です。
「たましいの向上」というと、つい「上へ上へ」目指したくなる方は多いと思いますが、それはまだ「神」と「自分」が分離した視点。
私の長年の経験によると、どうやらたましいの世界では、コア(そのものの核)(内奥に潜む神性)に近づくほどに、たましいは向上していくよう。
上の絵の階段の、ある縦のライン、一番上をaとするなら、一つ下がa´、もう一つ下がa´´…というように、
螺旋の階段を下っていくと、同じ風景が見える地点に、また戻ってきますね。
ただ、同じ地点に戻ったといっても、前に通った時よりは少し視点が深まっています。
光の源に近づくことでまばゆさが増し、見える風景はよりクリアになっています。
そうやって、少しづつ光を増しながら、経験と学びと気づきを繰り返し、ぐるぐるぐるぐる内奥のまばゆい神性の中心へと向かって降りていく…、螺旋階段。
ですから、一度気づきを得た時と同じ景色を見て、また気づきを得ることがあります。
あるいは、一度学んだことを、また学ばせていただくことがあります。
しかしそれは、前回よりもさらに深い学び、高い次元での気づき。
人間の肉体を含めた自然界にあるものすべてと同じく、たましいの向上にも「後退」ということはありません。螺旋階段を逆戻りすることはありません。
例え人間の目には「後退」「停滞」と見えたとしても、たましいは必ず前へ進んでいます。
同じように見えても、この世には「前とまったく同じ」ものは、ないのですね😌
例えば私は、2005年に「悟り」体験をさせていただき、それこそ人生も人格もガラッと変わるほどの衝撃を受けました。
その時、「意味があるから生きているのではなく、生きている…そのこと自体に意味があるのだ」ということにも気づき、大きな喜びを得たのですが、
私の人生を変え、私にとって究極とも思えたその「気づき」にさえ、実はまだ奥があったことに、気づかされた日がありました。
当時、私は、会うたびに、私のやることなすことどこかバカにするような、蔑むような態度を取ってくる方に出会い、心が痛む日々を送っていました。
しかし「相手の自分に対する態度は、自分が自分にとっている態度の映し出しである」…、
心痛い日々の末、その真理に照らし合わせて内省を行ったところ、
なるほど、確かに私は、まず自分で自分に「お前は価値がない人間だ」と、「なんの役にも立たない、知識も教養もないダメな人間だ」と、まず私自身が心の奥で、自分をバカにし、蔑んでいたことに、深く深く気づかされました。
いつの間にかまた「私の人生には何の意味があるのだろう」という視点に陥っていたことに気づき、
「そうだ、意味があるから生きているのではない。生きている…そのこと自体にすでに意味があるのだ」という気づきに、再び至りました。
その気づきに至ったのは二度目でしたが、やはりとても新鮮な感動…、
むしろ最初の時よりも、たましいにしっかりと染み込む感じ…。
気づけた喜びに胸が震え、改めて大粒の涙を流した…、
そんな経験があります。
「分かったようで、まだ本当には分かっていないようですよ」
「まだ本当には、身についていないみたいですよ」
「だから、もう一度学んでください。気づいてください…😇」
私を蔑む態度を取ることで、当時の彼女は天からのそんなメッセージを伝えてくれていたのですね。
同じ内容でも、
一度目の気づきは、あの時の私だから得た気づき。
二度目の気づきは、あの時から少し進んだその時の私だったから得た、さらに深い気づき。
また学ばせていただけたことへの感謝…、
また気づかせていただけた喜び…、
おかげさまで、私の世界を見る目にまた一段と深みが増した…、
そんな大切な経験の一つです😌
同時にその時の経験は、「今回のこの気づきでさえ、私はきっとまだ核へは至ってはいないのだろう」と、
「謙虚」という大切な心のあり方を、自然に身につけさせてくれたように思います。
気づきは、階層構造になっています。
私たちはまだまだ本当に未熟なので、一度の気づきで一気に神の域に着地することは滅多になく、
一つの気づきを得て、また次の階層でより深い気づきを得て…、
例えば、同じテキストを2周も3周も繰り返すことで、そのすべてをしっかりと身に付けていくように…、
たましいを成長させていくようです。
ですから、時に人生には、「それはもう知っています!」「それならもうやっています!」と言い返したくなるような場面が訪れたりもします。
でも、そういう時ほど、それはまだ「本当には」身についていないものです。
少しだけ厳しい見方をするなら、
その方のたましいが、まだそれを本当には身に付けられていないから、たましいに修められていないから、
現実世界で見せられ…聞かされ…、心に引っかかるのです。
ですから、「もうやっています!」「もう分かっています!」と言いたくなる時ほど、気づきのチャンス^^!
「あれ?」と少し立ち止まり、
「本当に身についていたかな?」「どこかズレてしまってはいなかったかな?」と、自分自身を優しく見つめてみたなら、
「ああ、本当だ」という気づきに至り、「また教えていただけて良かった。これでまた一つ、素敵な私になれます。ありがとうございます」という素直な感謝に、きっとたどり着くはず…😊✨
たましいの成長の道は、螺旋階段。
だから、同じ景色にまた出会うのは、ごくごく当たり前のことです。
同じ景色の場所で引っかかってしまった時に、
「ああ、またやってしまった!何やってんの!」
「私はなんて浅はかなの」
「いつまで同じことをやってるの」
と、自分を責める必要なんて、全然ありません😌
同じように見えても、前回よりも少し深まった場所にいます。
「すこーし」かもしれなくても、必ず光は増しています。
だから、自分を責めず、裁かず、
「ああ、また教えてもらえた!」
「また学べた!」
「嬉しいな。ありがたいな✨」
と、そんな風に捉え、「また一つ気づけて良かったね♪」と、気づけた自分を喜んであげてください🥰
何度も何度も引っかかる景色や言葉があるなら、それは、その場所にこそ、あなたのたましいが向上していく上で、とてもとても大切な気づきが眠っているということ。
あなたが真の幸福へとたどり着くために、とても大切な鍵だからこそ、天は何度も何度も足を止めさせて教えてくださるのですね。
ちなみに私が、今生の螺旋階段でダントツ引っかかって時間を使ってしまうのは、
「人のことばかり考えて自分をおざなりにする」「自分より人を優先してしまう」景色が見える地点…😅
私が人生で苦しい思いになる時は、たいていコレ。
もう25年ほども前から、人を変え、状況を変え、何度も何度も教えていただき、そのたびに「あ、そうだった」と内省し、気づかされているのに、
それでも、またつい先日も教わってしまった、重点課題ポイント…😂
螺旋階段の2層目でも3層目でも4層目でも必ず学ぶことになり、気づかされ、もう繰り返し過ぎてa´´´´´´´´…笑
またその景色に苦しみ、言葉をいただいた時には、「あちゃ!また😖!」と瞬間的に自分に呆れ落ち込みそうにもなるけど、
努めて、「また学ばせていただけた」と。
「また出会ったということは、また一つ深まった証拠だね」「うん、私よく頑張ってる^^」と自分を励ましながら、
これからも笑顔で、前向きに、たましいの螺旋階段を歩き続けたいなと思います😌✨
*****
人生は、「自分」という存在の核にある、光り輝く神性へと戻る旅です。
その旅に挑戦しようと地球に生まれてきただけでも、あなたも私も、まず素晴らしい😆✨
そして、なんだかんだありながらも、今まで生きているということ、
色々な景色に色々なことを思いながらも、とにかく螺旋階段を歩み続けているということ、
そこにこそ、人生の意味があり、価値があります。
どんな場所でも、どんな職業でも、どんな人格でもいいのです😌
とにかく何かを経験してきた…、今も経験している…、つまり「生きている」、そして「死んでいく」…、それが何よりの人生の意味であり、価値。
この世に、価値のない人間なんて、だから一人もいません😊
意味のない人生なんて、一つもありません。
辛い日もあると思うけど…、
どうぞあなたも私も、死ぬ日まで、生きて、経験しましょう😌✨
同じ時を共に生き、最後まで読んでくださった神神様、本当にありがとうございました🙏✨
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