【9】エッセイの社会史
昨今、文章や動画の投稿は、ソーシャルメディアを利用すれば誰でも行えるようになった。誰かと誰かの心和ぐやりとりを伝える身辺雑記、人生の悲哀や胸騒ぎを刻みつける感情の浄化が、この世界のどこかで常に記されていく。
というわけで、エッセイ───自分の思考や動作を「説明や感想や意見を交えて」自由に伝える文章───の社会史───人間と人間の関係の変化を明らかにする学問───について説明しよう。
まず、表記はエッセーからエッセイになりつつあり、枕草子に端を発する随筆と物事の善し悪しを判断する小論の意味が混在している。我々は現代の学問が採用している思考の枠組、二元論と要素還元主義によって「随筆と小論」が対立構造だと解釈しているが、ところがどっこい。実際はコインのように表裏一体の関係だ。
詩歌の韻文に対する自由な散文が、稀有な虚構から真実を描き出すフィクション、身近の些細な事実から真実を描き出すノンフィクションとして歩み出したのである。
黙読が未発達だった時代、日常会話に古典や物語の講釈が加味された人々のコミュニケーション。同時代、清少納言を意識していた紫式部が源氏物語を執筆した。いみじくも、弁が立つ人々が世界の中心で語り合う世界で、筆が立つ人々が世界の片隅から意思表示を始めるきっかけとなった。
原本から手書きの写本による情報伝達は、手紙のやりとりが常に自分と相手の分が記される必然に連なり、筆忠実な人々は全国規模の情報ネットワークを可能とした。江戸期の数学書が未来の読者へ宿題を出す遺題継承で投稿活動となり、明治期に新聞小説で文豪が研鑽した言文一致体は、学校制度による標準語を仲立ちとして共有された。
明治末期には小品文という百字文の投稿がなされた。
新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどのハガキ職人(メール職人)、星 新一が第一人者となった超短編のアイデア小説であるショートショートに連なる。大正期から昭和期に作者が主人公の心境小説や私小説が人生の理想と現実を綴り、その隙間を数多の身辺雑記が埋めていったのである。
こうしてエッセイは、ネットでつぶやかれる自分語り、投稿サイトの物語に今も息づいている。
さて、どうでしょう?
壁l・ω・) 壁l)≡サッ!!