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集団でつくりあげる境地:「グルーヴ!『心地よい』演奏の秘密」を読んで

「グルーヴ」と聞いて、何となくイメージできる人は多いと思うけど、いざ言葉で説明してと言われるとほとんどの人は苦労するだろう。ましてやクラシック音楽の世界でのグルーヴを。

本書は、クラシック音楽の世界でプロとして活躍する10人の演奏家に、グルーヴについてインタビューしたもの。クラシック音楽のプロが、グルーヴをどう語るのか。ただ、クラシック音楽門外漢の僕にとっては、「グルーヴ」の探究というよりも、集団で高みを目指すことの「達人たち」の真実の言葉を聞き、それが他の世界にどう繋げられるかに関心を持ちながら、とても興味深く読んだ。

例えば、オーケストラで音が揃うなんて土台無理だと、多くの方が語っている。挙句の果てに、揃わないことで音に厚みができ美しい響きが生まれるなんて言われ、音が揃っているのがうまいオーケストラだと思い込んでいた僕の思い込みを気持ちよく破壊してくれた。でもそれが人間のやることだ。

以下、響いた発言の一部を列挙する。

「息を吐く」ことと「語りかける」ことは、音楽の生命力というか生き生きしたものと繋がっていて、それは生命力そのものだと思うんです。(中略)同じ音を刻んで重ねていくことは、脈打つことや鼓動のように連続して繰り返すことと繋がっていて、それは生命力そのものだと思うんです。
鼓動のように、そして呼吸のように振幅があって、その形やテクスチャーに歪みがあると、ひょっとして感情とは別に身体に何か感じるものがあるのかもしれないですね。気持ちがどうというより、身体が共感するというか・・・。
(望ましいグルーヴとは?と問われ)音とかフレーズとかには「かたち」があって、それがカーブしていくイメージですね。「かたち」が変幻自在に常に移り変わっていくイメージですね。(中略)その「かたち」が変わると、「響きのかたち」が変わるんですね。(鈴木学 ヴィオラ)
最終的に凄い演奏になったときというのは、その個性みたいなものを全て超えてしまうんですよね。(中略)その作品なり作曲家なりと自分自身と自分の肉体が一体化してしまうというか、最終的に自分のエゴとかパーソナリティを超えてしまって欲しいというのがあるんです。でもそれは、自分がすごく謙虚になって、自分をゼロにするとか、そういうことでもないんです。全くそうではなくて、自分自身が能動的に作品に歩み寄って、何とか理解しようとして出来るだけの美を引き出そうとしたり、その内容やストーリー性を引き出そうとアプローチする中で、なぜか与えられるものなんですよね。(上野真 ピアノ)
最初は演奏している人全員のパルスがずれている訳ですが、徐々に一体化して来た時に生まれる有機性というのがあると思うんですよね。(中略)そうした耳の情報だけで合わせていくということの先に、みんなの中の拍動というか、パルスが「あ、合ってきた」って時があるんですね。で、一度あったらそのまま最後までいくんです。(中略)そういう舞台上での音を使った心の交流というか、そうやって反応していくうちにみんなの気持ちがどんどん幸せになっていくということは、そんなに頻繁ではないけど、一年のうちに何度か経験することはありますね。(中略)そういう演奏会の時って、例外なく聴衆も同じ感覚を持っているんです。
コンマスの役割っていうのは、何かを仕切ることじゃなくて、みんなから何かを引き出すことだって思うんです。(中略)心の一体感とか、みんなでより良いものをより高い所へっていう気持ちが生まれて、そうすると音も変わってくるし、最終的に出来上がった音楽も全然変わってくると思うんです。それは共感力というか、共生力というか、みんなで何かを共有することで生まれる力なんでしょうね。
僕がこれまで経験した素晴らしい指揮者っていうのは、そういう「ゆとり」を持っていましたね。当然枠があるんですけど、それががちがちに狭くはなくて、「この中だったら好きにやっていいよ」っていう自由があるんです。でも、こっちも好きにやるんだけど、終わってみたらその指揮者のやりたい通りになっていたというか、上手く乗せられたなあって感じることは多かったですね。もっと上の経験になると、指揮者とか一緒に弾いている人の存在すら忘れてしまうような、本当に作曲家というか曲だけしか残らなかったっていうような経験もないわけではないんです。(矢部達哉 ヴァイオリン)
(ジャズに対して)クラシックのグルーヴっていうのは、とにかく一緒にやってる皆さんの勢いというか、力を借りて、そこに自分の魂を乗せていくというか・・。
クラシックの場合は、弾く音が決まっているぶん、見えない部分というか内面の部分で、どうみんなと繋がっていって、どう表現していくかが重要になるんです。
そもそも「グルーヴ」自体がすごく内面的な繋がりなんですよね。それはジャズもクラシックも同じでプレイヤーが感じているものがお互いに響き合うことだと思うんです。特にクラシックの場合は、感情の「共有」というか感情の「響かせあい」というのがすごく大きいですね。相手に響かせるんです。それを相手は受け取って、またそれを返すっていうやり取り、相互作用ですね。(小曽根真 ピアノ)


集団で一つのゴールを目指すには、人間ならではの相互関係性がとても重要で、それを極めれば自他合一の境地に達し自意識が消滅していく。集団の基調に同一のパルスが流れていることで、自由で柔軟な活動を可能にする。そうして、関係する皆がとても心地よい気分になり、パフォーマンスも最高に。

こういう体験を一度味わうと、どんな厳しいトレーニングも苦もなく持続できるのでしょう。組織とは、グルーヴ感を味わうために存在するとも言えるかもしれません。

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