無自覚な私の遺言

 宣告を受ける前の自分でいられる最後の日。ある意味、これは遺書だ。想像しうる恐怖のほとんどを「いつか」に放り投げていられた、無自覚な私は、きっと明日死ぬ。

 まさかこんなに早く来るとは思わなかった。死ぬと決まったわけじゃないし、かと言って生きていられるとも決まったわけじゃない。私たちは、実は、毎日綱渡りで生きている。誇張なく、明日いきなり死ぬかもしれない日々の中で正気を保とうともがきながら息をしている。そんな呼吸が、ゆっくりと、しかし確実に乱れ始めた。

 自分の身体がどこかおかしいと感じ始めたのは1年前。疲れやすさや動悸、胸痛、そして最近は体重の減少が著しかった。一昨日罹った内科で血液を三本採取してもらい、結果が出たのが今日の昼。甲状腺の異常を疑っていた先生は少し意外そうな顔をして言った。

「ガンの時に高くなる数値がちょっと高いんですよね」

 他人事のように聞き流して、なんでもないふりをして、やり過ごそうと思ったのも束の間。先生はどんどんと血液検査の結果を読み上げていく。私はふんふん、と平気な顔を作って相槌を打つので精一杯だった。内心、恐ろしくて仕方がなかった。

「可能性がないわけではないから、胃カメラと大腸カメラで診てみましょう」

 先生の言葉に素直に頷き、明日すぐに検査の日程を組んでもらった。下剤の説明を受けている間も上の空で、私は今この身体のどこかにあるかもしれない異常について考えていた。

 大切な人がいる。失いたくない人。この世で最も愛おしく笑う、幸せにし続けたい命の持ち主。彼女にこの結果をなんと説明しよう。そんなことを考えながら家路につく。まだ決まったわけじゃない。でも、「なんでもなかったよ!」とこの話を晩餐のつまみにすることは叶わない。ただそれだけが痛くて、心配で取り乱してしまう彼女のことを想像して、胸がきゅうと苦しくなった。
 幸せにしたい人を幸せにできないかもしれない。それが、それだけがこんなに恐ろしい。何より愛おしいのに、その相手を、結果的に自分の手で深く傷つけてしまうかもしれない。それが忌まわしくて、悔しい。
 こんなことなら、こんなことなら。
 何ができたのだろう。
 きっと何も変わらない。私は私として生き、私としてこの世の全てと出会った。その全てがまた私の中に溶け込んで、私はどんどん私になっていく。その成れの果てが、今だ。

 誇るしかない。吠えるしかない。抗うしかない。認めるしかない。愛するしかないのだ。しょせん命とは自分のものなどではなかったのだと思い出し、そのままならなさをしっかりと抱きとめて、もう一度この目を開くのだ。
 いつか母の胎盤を破って生まれ出でたその日のように、何度でも私は生まれ直せる。きっと、あなたも。
 命を自分のものだと曲解させる全てを跳ね除け、目に映る全てが奇跡の結末だと受け入れる。広がる現実を端から端まで味わって、その全てを楽しんで、そうして、この命に賛歌を。
 たとえ世界から爆発の轟音が鳴り止まなくとも。たとえ月末の支払いに顰め面をしたくなっても。たとえうす汚い大人の手で純真な夢が失われようとも。
 たとえ、最愛の人が居なくなっても。
 私はこの生を肯定したい。手に入らなかったものばかりの人生をなんとか歩いて、汚れた手で、こんなにも美しいものを握りしめられたこと。あなたの手を握れたこと。たったそれだけで、私は私を肯定できる。ほんとうに、救われる。
 だから私という存在が、もう目の前にいなくなってしまったとしても、私の残滓が、これからも歩むあなたの人生を肯定し続けていられるようにとふみを書く。私の書く文章が、ただの文字の羅列を飛び越えて、爆風から、世間から、汚染から、あなたを守る盾になるように。

 私に囚われず、私をその美しい心の中に住まわせたまま、あなたらしく生きていて。ただそれだけが、私にとっての救いなのです。どうか、どうか私の言葉を、忘れないで。

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