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『キャット・シーク』

はじめに

これは2018年に上演した朗読台本を、一人でも読めるようにアレンジしたものです。(本来は二人用の朗読でした)

拙作ではありますが、もし配信などで「朗読がしたい」という人がいましたら、使って頂いて構いません。

登場人物

湊ユキ……少女。夏祭りの路地裏から、猫と風鈴の世界に迷い込む。
ミミ……猫と風鈴の世界で生きる猫耳少女。ユキを案内する。


【0】

出会って別れる。繋いで離れる。覚えて忘れる。私たちは、日々を繰り返す。過ぎたあの頃の匂いや情景を、置き去りにして。

私は、湊(みなと)ユキ。16歳。都心から少し離れた時鐘町(ときがねちょう)で暮らす、女子高生。

毎年何も起こらない夏休みに、何かを期待している。そして、何かを待っている。

少しだけ踏み出そう。夏の扉に手をかけよう。

君も一緒に、想像の果てを見に行こう。

 『キャット・シーク』愛らしい猫に閉じ込めた、記憶のカケラ。


【1】

忙しない蝉の声。白く照りつける光。風鈴の涼やかな音色。そんな夏に包まれながら、大人たちが屋台の準備に勤しむ。その姿を横目で見ながら私は、今日という日に胸を躍らせていた。

今夜は、年に一度の夏祭り。町中が色めき立つ時間。時鐘町のお祭りには風鈴の屋台が多く並び、町が一日中この音色に包まれる。私は幼い頃からこの空気が大好きだ。毎年夏祭りの日には、夜になるまで待ちきれず、昼から町へと繰り出してしまう。

ソーダ味のアイスを片手に、お馴染みのコースを散策する。このコースは、町並みの変化する様子が一番わかるもので、いつしか夏祭りが来る度、私はこの道を歩くようになっていた。

多くの人の手によって町の景色が移り変わっていく。ずっと暮らしている町のはずなのに、外から迷い込んだような感覚に陥るのは、今日だけの景色だからだろうか。水色のアイスが一段と魅力的に映る。些細な風さえ心地いい。歩きに身を任せていると、あっという間にコースの終着点までついてしまった。

引き返そうとしたその時、どこからか、声がした。

「……やあ、今年も来たんだね」

 呼び止められたと思って振り返ると、そこには誰もいなかった。あたりを見渡してみるが、やはり声の主らしい人はいない。

 「こっちだよ、こっち」

導かれるように目を向けると、そこには、今まで見たことのない細い路地があった。目を凝らしてみると、路地の先に声の主はいるようだったが、姿かたちは影のようで、はっきり捉えることはできない。

「……こんな道あったかな?」

「ずっとあったよ。君が見つけられなかっただけさ」

「あなたは、誰? どうして隠れているの?」

「気になるかい? だったら、おいでよ。その足を一歩踏み出せば、わかるさ」

甘い声に誘われるように私は、その路地へ足を踏み入れた。日差しが入り込まない路地の中は、涼しくて気持ちがいい。騒音に混ざって聞こえていた風鈴の音色が、輪郭をさらけ出し、静けさの中に粒立つ。

路地を抜けてたどり着いた先には、ひとりの少女が立っていた。白い肌。利発そうな顔立ち。金色の大きな瞳に、くるっとカールのかかった長い睫毛。人間離れした美しい風貌。しかしそれ以上に、私はある部分に目を奪われた。

……耳である。そう、彼女には、猫の耳が生えていたのだ。

「ようこそ。こっち側の世界へ」

「まぼろしでもみているのかしら。あなた、その耳は本物?」

「そうだよ。だって、あたしは猫だからね」

「でも、言葉をしゃべってる。人の形をしている。猫人間?」

「可愛くないなあ、その呼び方。あたしは、ミミ。こっち側の世界で暮らしている」

「こっち側の世界?」

「現実の裏側。君たち人間が生きる世界とは、違う場所。でも、この夏祭りの時だけ、つながるのさ」

「お祭りの時だけ?」

「そうさ。この風鈴は、あたしたちの世界の音だから、つながれるんだ」

「どうして、私を呼んだの?」

「君が、あたしのことを知っているからだよ」

「あなたのことを? そんなのデタラメ。だって私たち、初めてあうのに……」

「……そうだね。初めましてだね。でも、こっち側にこれるのは、僕たち猫に関係がある人だけなんだ。となると、もしかしたら、君は、他の猫と知り合いなのかもしれないね」

「猫の知り合い、って言われてもピンとこないわ」

「まあせっかく来たんだ。とっておきの場所に案内してあげるよ。ついてきて」

ミミは、優しく手をとると、私を連れて歩き出した。はじめてみる景色。青空が地平線の先まで広がっている。目立った建物もなく、瞳に映るのは広大な青の世界。その中を私とミミ、二人だけで進んでいく。ミミの手は、柔らかくて冷たくて。はじめて触れるはずなのに、この心地よさには、覚えがあるような気がする。

「君は、逃げ水って知ってる?」

「逃げ水?」

「実際はないのに、みえるもの。遠くに水があるのに、そこには絶対追いつけない」

「不思議ね」

「ここは、逃げ水と同じだよ。見えているけど、そこにはないという点でね」

ミミは空を仰ぐ。首の動きに合わせて、大きな耳がふわっと揺れた。憂いをみせた彼女の表情が、すこし気になった。

【2】

しばらく歩くと、何もない景色の中に、ぼんやりと一つの建物が浮かび上がってきた。「あれ、あれ」とミミは微笑む。どうやらそこが目的地のようだ。さらに近づくと、小洒落たログハウスがはっきりと姿を現した。

「さあ。ついたよ」

 「ここは?」

「一番の避暑地だよ。あたしの仲間が沢山いる」

「猫は、涼しいところを見つけるのが得意って言うものね」

「落ち着ける居場所を探しているだけさ」

扉を開くと、そこには無数の瞳が私たちを待ち構えていた。色とりどりの三白眼が、私を物珍しそうに見つめているのがわかる。そこにいた猫たちは皆、ミミと同じ猫人間であった。私のようなただの人間はいない。視線が気になりつつも、ミミの後についていく。

「あなたの仲間、こんなにたくさんいるのね。この場所だけじゃ窮屈じゃない?」

「外にいるよりはマシさ。それに、みんな大人しく涼んでいるだけ。喧嘩もしない」

「でも、なんだかちょっと怖い。あなた……ミミは、そうでもなかったのに」

 「……それは、嬉しいなあ」

バーカウンターのような場所を見つけると、ミミは椅子に腰掛けて、私にも座るよう促した。よく考えると歩きっぱなしだったので、座った途端、ふう、とため息がでる。その呼吸を待ってミミは、落ち着いた声色で話し始めた。

 「ここの猫たちはね、ただの猫じゃないんだ」

 「みればわかるわよ。猫人間だもの」

「じゃあ、どうして人の姿と重なっているか、わかる?」

「うーん。猫が人間になりたがったから、とか?たしか、そういう本を読んだことがある」

「夢があって素敵な回答だね。でも答えはその逆」

「人間が、猫になりたかったの?」

「あたしたちはね、実は人間の一部なのさ。記憶と呼ばれるものを背負ってる」

 「記憶?」

「そう。あたしたちは、人々が忘れてしまった記憶がカタチになったものなんだ。現実世界から追い出された記憶が、こうして猫となる」

「じゃあ、ここにいる猫はみんな……」

「誰かが忘れてしまったものだよ。忘れるのは悪いことじゃない。その分、新しいことを覚えられる。更新していくという意味でも正しい。忘れられるあたしたちも、十分理解してるんだ。でもね、ときどき、それを寂しいと感じるときもある」

「ミミ……私にも猫の知り合いがいるって言ってたわよね? なら、この中に私の記憶もいるの?」

「かもしれないね」

「……もしかして、あなたが私の記憶なの?」

「え?」

「だって私、あなたと喋っているとなんだか安心する。前から知ってる人みたいって、ずっと思っていたもの」

「人間世界からのお客様は、お土産にここから猫を一匹選んで、忘れた記憶を持ち帰ることができる。でも、それを選ぶも選ばないも自由だ。思い出して傷つくこともあるから。……君は、どうしたい?」

「あなたの記憶をみせて。だってミミは、私に見つけてもらうために、私を呼んだんでしょう?……違う?」

 「……後悔、するよ?」

 「それでも、決めたわ」

私たちはゆっくり額と額を合わせる。ふと疑問に思う。ミミが誰かの忘れた記憶だったとして、それが私のものとは限らないのではないか。もし、違う誰かの記憶であったのならば、それを持ち帰るのは悪い気がする。

「大丈夫だよ。これは間違いなく、君の記憶だ」

 私の考えを見抜いたかのように、ミミはそう口にすると、私を優しく抱きしめた。ふわっと甘い匂いが広がる。ミミの身体から伝わる体温は、ちょうどよい心地よさだった。

 「……君が選んだんだ。責任持って思い出して。あたしのことを。……ユキ」

導かれるように、私は瞼を閉じた。

【3】

昔、私がまだ小学生だった頃、ずっと一緒だった女の子がいた。その子は、私よりも背が高くて、快活で、よく笑う女の子だった。家に引きこもりがちだった私が外で遊ぶようになったのは、彼女のおかげだった。彼女が私の名前を呼ぶ声は、とても優しくて。

それは風鈴の音色のように、透き通っていた。

「ユキ」

 彼女が私を連れ出してくれた。

「ユキ」

声をかけてくれた。

 「ユキ」

私の手を、ひいてくれた。

「ユキ」

私にとって、人肌が心地よいと思えた、初めての相手だった。

これは、彼女と交わしたある約束の記憶だった。彼女と行った夏祭り。慣れない浴衣を着て、屋台を回って、二人で空に打ち上がる花火をみた。

「夏祭りの花火、今までずっと一人で見てた。家のベランダからこっそり。花火って大きく光って五月蝿いだけで、どうして皆が好きかわからなかった。だけど近くでみた今日の花火は、とても綺麗に思えたの。きっとミミのおかげね。誘ってくれてありがとう」

「こちらこそ。今日の花火は、きみと一緒にみたいって思ってたんだ。あたし、ユキと一緒ならなんでも楽しい。だからできるだけ、ユキとの思い出を残したいんだ」

「私も同じ気持ち。来年もまたこうして、一緒に花火、見にいきましょうね」

「……来年はたぶん、もう、この町にいない」

「……え?」

「……あたし、引っ越すことになったんだ」

「転校しちゃうの……? せっかく仲良くなれたのに」

「またユキのところに戻ってくるよ。いつになるかはわからないけど。……それまで、あたしのこと忘れないでくれる?」

「当たり前でしょ。私、たくさんお手紙かくから。あなたが戻ってくるまで書き続ける。これは約束。あなたが私を忘れないように。私があなたを忘れないように。……ずっと待ってるから」

そうしてミミは私の元から旅立ってしまった。約束を果たすため手紙を送り続けていたが、次第にその数は減っていった。中学生、高校生になるにつれ、私にはまた新しい友達ができた。どんどん世界が広がった。次から次にやってくる目先の新しい出来事に、いつの間にかミミとの思い出は上書きされてしまったのだ。あんなに大切に思っていたのに、どうして。

涙が、頬をつたう。溢れる雫が、私の瞳を開かせた。そして、目の前の少女をもう一度、はっきり捉える。あの頃の面影が、そこにはあった。

 「……ごめんなさい。私、あなたにひどいことをしてしまった。最初、ミミのこと知らないって……」

「いいんだ。さっきも言ったでしょ。忘れるのは、悪いことじゃない」

「でも私、約束破ってしまったわ」

「……ユキ、過去はもう取り返しがつかない。でも、ユキは今ここで思い出してくれた、あたしのこと。あたしとの出会いが大切だったって言ってくれた。……今からでも、遅くないよ」

「……ミミ」

「あたしはただの記憶。現実のミミじゃない。だから、今度こそちゃんと再会しよう。向こうのあたしには、今度は、君から声をかけてあげてくれる?もしかしたら、あたしも忘れちゃってるかも」

「ひどい。……でも、そうね。私、またあなたと出会いたいもの。今日みたいに」

「ユキ……。ありがとう」

 視界が霞んでいく。溺れるような感覚に陥る最中、ミミの姿が遠のいていく。

 気がつくと、私はいつもの道の上に立っていた。持っていたアイスは溶けて、手はベトベトだ。軽く手を払うと私は、振り返ることなく、そのまま歩き出す。

そういえば、このコースを教えてくれたのもの彼女だった。今、彼女はどこにいるのだろう。まだ同じ住所に住んでいるだろうか。帰ったら母に聞いてみるのもいいかもしれない。背中から爽やかな風が吹き抜ける。

「逃げ水にはね、追いつくことはできない。でもね、またきっと、見ることはできるよ」


※2018年8月初出

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