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「余白」の大切さ (42/365)

みなさんは生活や仕事、そして人生に余白をもっていますか?余白は、空間であり、時間であり、そして心の余裕を表しています。

現代社会に生きていると、とかく余白なくスケジュールを埋めて効率よくTODOを処理していくような生き方が奨励されているように思います。

小学校の授業から始まり、受験で頂点を極め、さらに、就活、婚活、妊活、終活へと無限に続いていく。そもそも人生ってそんな薄っぺらな活動なのでしょうか?

そのそれぞれの過程で、

〇〇日間速習法、とか

絶対成功する〇〇、とか

20年後のためにいまからできること、とか

常にせかされているように感じることはありませんか?特にSNSの普及もあって、同級生、同年代、似たような境遇の人と達成度を比べて焦ることはありませんか?

〇〇子はもう結婚して子供もいるのに私は、とか

同期の〇〇は最年少で課長昇進か。おれなんかまだ、とか

〇〇さんは多趣味で楽しそうだな。私もなにか趣味を持たねば、とか

「趣味を持たねばならない」って(笑)。趣味って強迫観念に駆られてやるものではないですよね。

私もどこか効率至上主義のパラダイムで生きてきたように思います。ただ、40代の頃ある出来事で少しモードを切り替えることができました。

ある時、単独で海外出張があり、せっかくの出張だからとレンタカーを借りて入れられるだけのアポをとりました。かなり詰め込んだので分刻みの移動になり、かなり無理をしたと思います。

帰国してすぐ、仕事の上で少々インパクトのある出来事があって、出張の疲労もあったのでショックが大きかったのか、翌日から左耳がまったく聞こえなくなったのです。いわゆる突発性難聴でした。そのときの顛末はここに書きました。

幸い、ひと月も経たずに症状は改善したのですが、このときはじめて「あまり無理しない方がよいな」と痛感しました。

うまく表現できないのですが、スポーツ選手が現役を引退するような、ちょっと寂しい感覚もあったことを覚えています。

しかし、体が大事ですから開き直って、目標設定に、スケジュール調整に「余白」を持たせるようにしたのです。海外出張で言えば、午前と午後それぞれ1件のアポ。あとはせいぜい、ランチとディナーで計4件、という感じです。

ここで気づいたことはちょっとしたパラダイムシフトなのですが、余白を持った方がうまくいくことが結構あるということです。

特に、時間軸の余白の効果は絶大で、お客さんをまくし立てるのではなく、情報提供して少し間をあけるような感覚、これが結果的に成約に結びついたり、そういう体験が増えるようになりました。

バイタリティ120%、戦略完璧、徹夜上等!という方ならそのまま突っ走っても最高効率で物事を成就していけるのかもしれません。

ただ、私には無理そうです。年齢的なこともありますが、考えてみたらもともとの気質がのんびりしていたような気もします。

余白は、空間、時間、心の余裕です。心に余裕があった方が物事うまく進む、そういう側面もあるかもしれません。

今後ものんびり、ぼちぼち、成長していければよいなと思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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